気持ちが落ちた
パーマをかけている時に竹本佳子さんが、「先日愛和館で渡邊一族が食事をしているのを見ていて、なんか寂しそうに見えた。」と言った。
私が「どうしてそう見えたの?」と聞いたら、「ある人が、自分の子供はあんまり帰ってこないし、ああいう光景を見ていると寂しくなると言っていたし、私の聞いた人では良く思っていない人が多い。周りと調和して見えないから寂しそうに見えたのかも知れない。」とのこと。
「みんなだって、親族が帰ってきた時には一緒に食べているじゃない!渡邊家は人数が多いだけなのに、何でみんなそんなふうに思うの!?」と思った。
そういう私の反応を佳子さんは、「郁恵ちゃんはいつも“あなたはそう思うんでしょ”っていう感じだね。仲良し班で決める愛和館片付けのことも“いつが都合が良いか?”と郁恵ちゃんが聞いてきたから、私の都合の良い日を連絡したのに、全然違う日に段取りされていて、それを言ったら“誰か替われる人を探して”と言ったでしょ。その事を職場で出したら、みんなも“それは郁恵ちゃんが変な感じだね“と言っていたよ。」と言われた。
こんなことを言われて気持ちが落ち込んだ。自分の思いをもっとみんなに出していこうと思ってやっているけれど、自分のことを人から悪く言われることにはあまり慣れていないからか、言われると気持ちが落ちる……(つづく)
(春日山実顕地 岡本郁恵)
郁恵の話とても残念な気持ちになる。
佳子さんは何を村でやっているの・・・。いい加減にして欲しい、正常な気持ちを狂わせないで欲しい。
村に居ない事をいいことにこんな事書いています。他にもたくさんそういう声を聞くので残念に思います。
私が思うに郁恵の言っていることは、とても正常だと思う。
ただ、周りの人が嫉妬していたり、郁恵のように思えないから悔しいんじゃないの。
郁恵はそのままで居てね。
私はドイツでやっているけど、周りで可笑しなことを言う人がいたら言わせておくし。
私の出来る事はただ優しい気持ちで真っ直ぐ生きていくだけ。(自分を強くさせてくれるよ、優しさは)
最近すごくそう感じます。
私のこと覚えてる?旧(鹿野 ゆき)
ゆきちゃん、コメントありがとうございます!
って返すの遅くなったけど、もちろん覚えてますよ!
春祭りのとこにもコメントしたけど。
自分を強くさせてくれる優しさって私にはまだわからないけど、優しい気持ちっていいな~。
ドイツで真っ直ぐに生きてるんですね(*^。^*)
またどこかで会える日を楽しみにしてます!
真由ちゃん
寝る前にコメントを読んで、明日書こうと思ったけど、眠れないので書いちゃいます。
ほんと大変だったね。つらいね。苦しいんだろうね。
私でよければそばに行って、話しを聞かせてもらいたいけど、物理的に無理でごめんね。
いつか話を聞かせてください。
よければメールしてください。ソンジュンくんにアドレス聞いてくださいね。
では、またね。
佳世さんのコメントがすっごい染み入ってきたー。
まだうまく処理しきれてないんですけど。
「何かに縛られて暮らしてるように見える」って突然言われたり、
仕事もしないで毎日誰かが部屋にきていてご飯食べさせてたりするみたいなのを見ると、子供たちを育てていかなきゃならないのに、あなたたちまで養っていけないわよ!と思ってみたり、
みんなで集まって話をしても、人の言ってることを言葉じりだけとらえて混ぜっ返してる(ように見える?)のを見るとまったくその人の言葉を聞く気がなくなったり、
家出娘を拾ってきて住まわせていたので、するならするで相談してくれればよかったのにーと思ってそれを言うと、じゃあ聞きに来てくれればよかったじゃん!って返され、終了、
そうだけどさぁ、こうやって暮らしているんだもん、最低限みんなに話しをしたりしてやっていかなきゃいけないことがあるんじゃないの?と思ったり
それを言うと、じゃああんたは何でも出してるの?とか、自分の暮らしたいような実顕地に変えていけばいいんだから!と返されたり、
で、私はこうやって自由に暮らしている、あんたは何かに縛られてやってるんじゃない?とまた言われる。
ホントに、頭ごちゃごちゃなんです。特に今週。
堂々巡りでキリがないから考えたくない!と思って考えないようにしててもやっぱり考えちゃうし。
抽象的に書くのは苦手だし伝わらないと思うので、今までの状況が分からないから何ともいえないかもしれませんが、とりあえず私の頭の中を出してみました。
一緒に考えてもらえると嬉しいです〜。
佳世さん>
>>思ったことを話し合うには、相手はそう思ったんだな、っていう理解がないと冷静には話し合えないと思うよ。
分かっているつもりでも、なかなか難しいですー…
そうじゃない!私はそんな風に思ってない!ってすーぐ出てきちゃう(笑)
そういう自分で自分の嫌だなーと思う気持ちとかも出してみようと思っているんですけど。
何を聞いても落ち込まなくなったって、すごいですね~。
真由ちゃん
うんうん、そうだよね。いやだよね。やっぱりできたらわかってほしいよね。
気持ちを受け止めてくれる人の存在があって、自分をゆっくり見つめていけたこの1年だったと思います。
去年の私はこんなのやだーとか言って泣きわめいてたよ。(爆
その理屈だけを知ってもそうできる人は多分まれでしょう。
知るって言っても奥が深いよね。
でも、そんなに難しいことでもないかもよ。生きてきて、いろいろ常識とか、こうあるべきとかくっつけてきて難しくなってきてるだけなのかもね。
私の場合、良し悪し、善悪の観念がすごい強かったと思う。正しいことをやりたいという気持ち。
正しいことをやってない人が許せないとか。
だから正しいことのものさしはその時々で変わるけど、人を裁くことそのものは変わらなかった。それが自分を一番苦しめてたんだなーって、ほんとつい最近知ったとこ。
でもそれでいろんなことが変わったよ。
は、またしても真由ちゃんがかわいいという気持ちが勝ってしまって、書きすぎてしまった・・・。
では、またね。
郁恵ちゃん
ブラジル来れたらいいね♪
>>自分も佳子さんの話しを聞いて、そう言ってた人達が敵みたいな(笑)嫌なイメージを持ってしまったけど、それも自分の中だけの世界ですよね。
佳子さんの話を聞いて、郁恵ちゃんのなかになんでそういうイメージが出てきたか?自分の心さんにも聞いてみたら面白いかもね。
佳子さんが言ってることは佳子さんの捉えたことで、そこにいる人がどう思い、感じたか?なんでそんな言葉が出てきたか?また、それを郁恵ちゃんが捉えてる。そして私がそれを読んで捉える。にゃはは。きりがないようだけど、ほんとにそうなんだよねー。
思ったことを話し合うには、相手はそう思ったんだな、っていう理解がないと冷静には話し合えないと思うよ。
自分のことを言われたようでも、それは相手の思ってることで、自分のことじゃないってはっきり知ったら、どんなことを聞いても落ち込まなくなったんだ。へへへ。
ことばではなかなか表現できないけどね。
そこからしかお互いの気持ちに入っていけないんじゃないかな?
へ?って思うことでも相手はどんな気持ちで言ってるのかな?なにが本当にはいいたいのかなーーー?って。
お互いの世界が溶け合うって、そういうことだと私は理解してます。
思ってそうなるっていうものではないと思うよ。
郁恵ちゃんの素直さに感激してついつい書きすぎちゃった。
またブラジル来たときに、ゆっくり話しましょう。(笑
晴江さん、交流研の時は隣りの隣りにいたと思います(笑)
研学での「愛の理」や「隔てる」は私も心に残っています。
自分の基準から見て、相手の気持ちを受け入れられない自分がいたと思います。
佳代さん、お久し振りですね。ブラジルからコメント頂けるなんて嬉しいです。私もブラジル行ってみたいです。
初め佳代さんのコメントの意味がよくわかりませんでしたが・・・
あくまでもその人の思いであって事実ではないということかな?ちょっと違う?
自分も佳子さんの話しを聞いて、そう言ってた人達が敵みたいな(笑)嫌なイメージを持ってしまったけど、それも自分の中だけの世界ですよね。
(つづく)
郁恵ちゃんが木の花へ行ってきて、研鑽会でもよく発言するようになってきたり、感じが変わってきたなーと思っていました。それで、パーマをかけてもらった時に、今までだったら郁恵ちゃんには話さなかったかな、と思うようなことも話題に出して、「郁恵ちゃんはどんな風に思う?」と聞いてみたくなり、私の感じたことも話してみたくなりました。
資料研で(郁恵ちゃんの投稿はまだみていなかった)そのことを、「私が郁恵ちゃんともっと近くなりたいと思って、正直に話そうと思って話した」と出したら、郁恵ちゃんの投稿を知っている人が、「郁恵ちゃんはそのようには受け取っていないよ。」と言う中身で出しました。
「心磨き」の資料をつかっての研鑽会でした。
心にも二つあることを知る。
「心一つでの心」と「我執からの心」・・・
私はパーマの場面で、「心一つでの心」でやろうとしたつもりだったけれど、実際にはどうだったのかな・・・と考えはじめました。
「我執からの情熱もある」と出てきて、「「心一つでの心」を・・さんはまだ知らないんじゃないかな?」という発言があったときに、以前、「心には二つある」と私自身実感した、そのときの感覚がサーっと蘇りました。
「心一つでの心」に自分がなった時には、自分がどこまでもどこまでもひろがっていくような、何が来ても まるであたたかく受け入れて包み込めるような、深い深いところから沸いてくる愛のような、そんな感覚でいたことを思い出しました。
そうして、パーマの時の私の心は「我執からの心」だった。「我執からの情熱」で、郁恵ちゃんに接していた、と、よくみえてきました。
その私の心が郁恵ちゃんの気持ちを落ち込ませたのでしょう。
やっぱり、心は繋がっているんだね、「ひとつ」なんだね。
郁恵ちゃん美しい。黄色いお召し物がとてもステキです。
思いを出すとか、聞くとか言っても、思いを出し合っている自覚があるかどうかってことかな?って思いました。
実際のことを話し合っているように勘違いしやすいかな?
と、読んで、勝手に思いました。
「郁恵ちゃんが変な感じだね」という所は実際には佳子さんはそうは言ってませんでした。実際は「それはびっくりする話しだねという感じでみんなも言ってたよ」と言っていました。
それを聞いて一方的に郁恵ちゃんの方がおかしいと思われた感じがして、自分なりの理由もあったのにと思いました。
郁恵ちゃん
確か研学で春日食生活部の人たちとの交流会で私は隣にいたかな?
この投稿ができる郁恵ちゃんが大好きです。まな板の鯉になれてるもん。いいなあ。言われ弱い。あるある。でもそのままにしない。投稿をするということは考えようとしていることだよね。ここがいい。
まず愛和館でのこと。賑やかにやっていたりしているところに遭遇した自分は?って思うときがある。たぶんへんなものが出てきたとしたら今の私だったらへだてをつくっちゃったのかなと思います。研学で保ちあいの理、愛の理の研鑽資料で「へだてをつくるところに小愛、、、悩み、、悲しみ、、が生じるとかあった。
そして愛和館片付けのこと。郁恵ちゃんは人をあてはめることが目的だったのよね。要は事柄優先かな。違うかな。大事なものを忘れていたのよね。
いろいろ経験して感じて考えて、明るい明日をやっていきましょうよ。
自分のあったかい心に気づくことができる研学は素晴らしいです。四の五の言わずに潔くのってみること!!これにつきます。元気出してね。
自分の子供が帰ってこないから寂しくて他の家族のことをどうこうっていうのも
それはそれで変に聞こえるし
片付けの日も「他の日になった時に教えて欲しかった」って言われるとそうだなぁと思うけど
「あの子が変」というのも「?」ってなってしまった。
うーん、なんか私もちょっと嫌な気持ちになった。
数年前だけど、
「愛和館で市川家が楽しそうに話をしていると入って行きにくい」
と言われたことがある。
で、結局今も愛和館に食べにこなくなっちゃったんだけど。
(それだけが原因ではないと思うけど。)
ってか、市川じゃないし!(笑)とか
じゃあ、話とかしてなきゃ満足なのか?とか
思ったけど、ホントにいやだったから、そのことを考えなくした。
状況が分からないからよくはわからないけど、
片付けの日なんて、そうそう都合よく自分のいい日に当てはまらないんじゃないの?
実際のその片付けのことをどうしたらいいかとか、
こうしてほしかったとか、そういう話ならとってもしたいけど、
それはあの子が変、とかそういう風になっちゃうのってどうなんかな?
変な感じがするし、私は嫌だなー。