私意尊重の「尊重」に想いをはせる
【11月度テーマ】
私意尊重の「尊重」に想いをはせる
○想いをはせていると、自分の私意から離れていくようだ。
自己主張する自己から、「個体」としての「自」分、「自個」が現れてくる。
○尊重とは、他を侵すことの浅ましさ、愚かさを気付くことである。
○「公」とは、「私」が相互に尊重され共存して生かされている状態をいう。
1か月このテーマで研鑽してきて、私意尊重の「尊重」が、今まで自分が思っていたのとは違ってきたというのが研鑽会で出ていました。
「今までは、自分の私意を大事にする。自分の私意を尊重する為に私意を出すことだと思っていたが、どうも違うようだ。そやけど自分の場合、私意から離れるという経験はまだないなぁ。どんな場合なんだろう・・・」と。
11月もこのテーマで研鑽していきます。
さあ、さらに1か月後にはどのように展開していっているでしょう!?楽しみですね。
【春日山実顕地 柳 順】
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「自個」と云う感覚。養鶏法研鑽会で真の幸福や人生の正態を確かめ『心の手を結ぶ、それが実顕地の充実』のテーマ研鑽。
「そうは思うんだけどやれないんだよねえ~」と繰り返す人がいた。ほんとうは何がしたいんだろう?
自分の手を自分で払いのけている? 切実に欲求する「真の幸福」を得たいと伸ばしている自分の手を。
私は私の心の手をしっかりと握り返してやりたい!と思った瞬間。「自個」と出会った。
こころの手を結ぶとは、こころの手をふり払う浅ましさ、愚かさを気付いた。
「自個」の充実が実顕地の充実。ひな形を作るでなく、自分自身がそうなろうとするもの。
職場の女の人で物の置き場について公意を見出していった。
自分がこうしたら・・と出した後でどうしてそれが出てきたのかふりかえった。
前の研鑽会があって今そう思っているなと思った。
軽くと出してみると、そう思っているのがどこからでてきているのかどこをやろうとしているのかみえやすい。
研鑽会のかたちはかわっても、自分の中は同じものがながれていて繋がったり飛んでいったり面白い、零位に立つって面白くて楽しいものなのかもしれないなあ。
昨日の研鑽会でたまたま初めて萩田さんの隣に座った。
今までその研鑽会でだいたい向かい側に座っていた。
すると「うーん」とか「んー・・・」とか言葉にならないものもきこえてきた。
共存するイメージ・・萩田さんから「自己主張する自己・・・」をきいたときの自己主張が、今までと異う感じだった。
自己主張は駄目、わがままといった常識的なイメージじゃなかった。
安全についての研鑽会での自己主張する自分(私)について語っていたのだが「ふーん・・ハイ」といった具合にゆったり耳を傾けたこのテーマずっと研鑽してきたけど尊重ってなんなんだろう・・・テーマはこうだよね え・・・といった具合になっていったのが面白かった。
とても大事な研鑽テーマだと思うのですが、
『主張』という言葉に首をかしげてしまう自分があって、調べてみました。
すると、「自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。また、その意見や持論。」とありました。
↓
http://dictionary.goo.ne.jp/srch/all/%E4%B8%BB%E5%BC%B5/m0u/
また、手持ちの辞書では、
「自分の意見を相手に認めさせようとして押し通すこと。」
(新明解国語辞典)
……「実顕地では、一般とは違う使い方をする」ということなのでしょうか?
このあたり、よくわからないので伝えてもらえると嬉しいです。
春日山の昨日の研鑽会でもこのことが研鑽されました。自分の思いや考えや主張をまず出すところからすべてはじまる。だからといって、そんな自己主張する自己が母体となって、「自個」が現れてくるわけでもないなぁ。???。それじゃいったい「尊重」って何なのだ? 「尊重」の中で何が行われているのだろう? 肉や野菜や卵を食べた場合は、体の中で消化が進んでもとの姿を止めない血となり肉となる。そんな感じかなぁ。
ふと研鑽資料『二つの幸福-真の幸福と幸福感-』が思い浮かびました。
興味が尽きないなぁ。
3職場の安全世話係で寄って一地帯の安全について公意を見出していった
自分から見たら豚舎、他職場から見たら駐車場。そこは自己主張したり諦めたりしてきた
しかしその場では零位に立って私意を尊重した すると「今まで出しても繋がっていなかったんだねえ」と言ってもらった
他は他の私意があるんだあ・・・
そこを侵していたなあとゆったりとした心境で気づいた
侵すにたいして持っていたイメージが異ったのが新鮮だった