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120名の研鑽会[実顕地づくり研 関東編]


1-2015-09-10
9月10,11日に岡部実顕地で全国実顕地づくり研(関東編)が120名余りで開かれました。
集中豪雨が心配される中よくこれだけのメンバーが寄れたなぁとその迫力にまずはびっくり。
そして、2週間前位に決まったこの大企画を総出で準備してくれた岡部メンバーの底力に敬意。

『関東の実顕地について考え、色々思っていることを出し合っていきたいです。関東の人だったら自分の実顕地について思っていることテーマとか、実顕地の間でお互い思っている事など。
他の実顕地の人はまわりからみて関東の実顕地についてどう思っているか、色々出し合っていきたいです。』

進行の松本哲さんから研鑽会が始まる度にこの言葉が発せられました。合計8時間に及ぶ研鑽会の中身はこの事を各自が思いっ切りやったという印象でした。
その実顕地の中だけでは言い尽くせないひとりひとりの胸のうちを大勢の中だからこそ、エネルギーをもらって言い尽くす。いつもと違った観点で後押ししてくれる人がいる、そんな空気が流れていました。

冒頭は参加したメンバーが乗ってきた車の場内での移動コースと参観ルートの行き違いの話題で岡部実顕地がいかに防疫の事を重視しているかが皆にまず認識された始まりでした。
狭い敷地の中で産業エリアと生活エリアが隣接していていかに防疫をするかがいつも念頭にあり、それが色々なところでネックになっているような印象をうけました。
その中で夏の韓国メディアの取材を断った話も再々でました。

いかに防疫をするか→いかに産業をまもるか→自分達はなにをしたいのだろう?

と話が深まっていく中で見えてくる構図、まじめに取り組めば取り組むほど身動きできなくなる。
全体が高齢化していく中で自分達でなんとかしようと色々やってみている。
 *販売所の看板が新しくなる。(生活の女の人がとっても喜んでる)
 *去年の豪雪でこわれたハウスを、公の資金を利用して苺ハウスとトマトハウスとして建設中
 *子豚舎をウィンドレスで建設中
 *マヨネーズ工場を移転
 *大市はみんな喜んでいく
が全体の決断ができない。経営的にはいま底をついて、横ばいだが経営規模を維持すると考えたら建て替えに踏み切れないし、新しくできた崖条例から考えても今までのようには建てられない。

「自分の実顕地の売り上げの中でなんとかしようと考えていないか?」という佐川さんの声かけもあり、ずーとテーマになっている「転換しよう!」というのは「そこ」とまわりから見ていると見える。
 夕張実顕地が、「産業をどうするか?」から「人の寄って来る実顕地に」と視点を変えてパン工場の横のボロいお店を作り変えてる。やってる人が楽しそう。なんでこんな人がいるんだろう?って感じで人が寄ってるよ、という話も別海の岸上さんから出ました。

岡部実顕地は楽園村などにインターネットでの申し込みが多いという現状からみても東京に近い実顕地として、なにをやっていったらいいのか?
皆が望む、子どもの声が聞こえる実顕地にして行くには?(若い人が寄って来る実顕地)
その為に産業構造はどうあったらいいのか?
岡部の意志と他の実顕地の人の意志はかみ合っているのか?
首都圏にある運動体としての実顕地ならどのような形がいいのか?
今が考え時なのではないかと話しは詰まって行きました。 

「形じゃない、心でしょうー」という話もありました。が心だけ見せられない「形をつくって、形じゃない、心です」というところに値打ちがある。そうじゃないと負け惜しみになる、と言う話もでましたね。

もうひとつのテーマは多摩実顕地の「町田ファーム」 いつ常設店になるの?
多摩には場所もある、お客もいる、のになかなか話が進まないのはどうして?
なにが止めてるんだろう?
後藤さん曰く、「僕何枚も設計図書きました。場所があるからああしたい、こうしたいとプランは出る、車はこう入ったたらいいとか、物はこう陳列したらいいとか、形のほうへ頭がいっちゃう。早い話、みかん箱ひっくかえして、野菜並べたらできる。」
場所も決まらないうちに決起集会やって、開店日きめた名古屋ファームの話しが内部川・美里メンバーーから熱く語られて話がつきない。
結局のところ、全員一致でなんて事は進んでない、やりながら、この人こういう人だったんだーとか、オレがやれるなら、他の人も出来ると思えたり。
世界に向けてヤマギシの何を伝えたいかは人それぞれ、それでいい。いろんなお客さんがいる。毎日200人からの人と出会える、供給だったら、ひとりの供給マンとの出会いだけど、ファームだったら、そこに村人もいるし、お客さんもいる。供給とは違う層の人と出会える。特に子連れの若いお母さんが開店直後に来るのが美味しい(?)と軽い感じで話がどんどん出ましたよ。
 一見無駄のように見える動員数で職場から名古屋ファームに送り出されている、その人達が職場にお店で貰ったエネルギーを持ち帰る、その循環がいいなぁ~と町田ファームに人一倍熱いものがある春日山の家公子さんが先日覗いてきた名古屋ファームの話をしていました。
多摩の千佐子さんはファームやって供給もやるとなって、新しい職場がふえるというのでは意味がない。やれる人がやっていく、やりたいのはそういう事じゃないと思ってる。
そんな中、千葉供給所を閉めて、次なるファームに燃えている田代和子さんが活用者をファーム直送便に繋いで味わっている様子を和子節で語ってくれました。閉めるというより若い人が考えてくれたことに乗っかってこれが繋ぐってことだなぁとすっきり楽しんでますと爽やかでした。
それと稲田くんが結婚するのがなんともうれしい!とも。
町田ファームが出来るという事は岡部実顕地も雄物川実顕地も成田実顕地もひっくるめた話
。お店が出来るという事は全部が関係するその位の事だと思っていると順子さん。
 「岡部実顕地も多摩を盛り上げてきた、お膳立てはできてる。機は熟してる後はやるだけだろう、多摩はそこをどう思ってるんだ?」と突っ込みが入るとすかさず「岡部がー」「多摩がー」といってるうちはダメでしょうー」と合いの手が入る、場面もありました。
雄物川の山原夫妻からも実顕地用に作っていたお味噌がファームで思いがけず好評で、売りきってしまい、来年どうする?となって、初めて全体で考えたらいいんだなと、視点が変ったと出していました。他の実顕地の人も作る過程に関われないかなとも考えているそうです。

那須実顕地と雄物川実顕地の養豚の流れが変わったことや長悦さんが今まで疎遠だった多摩実顕地のメンバーとファームを通して、近くなった話、高齢化が心配事として語られる中、一志では70代が元気(一志の朝市はこの人達が主流)な話等々色々忌憚なく出されました。

最後に宮崎さんが研鑽会で元気もらいました、関東ひとつで町田ファームも常設になるナ、岡部と榛名もひとつ、成田と岡部もひとつ、それでファームがあったら楽しいナと。
榛名の杉崎さんは先日オーストラリアに行ってきて、久保田大雅ともやってると実感した。海外の実顕地ともいっしょにやってるんだと思えたと締めてくれました。

春日山実顕地 平島春美