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実顕地づくり研鑽会「豊里編」


衣生活の合言葉は「仲良しで楽しく」これが段取りより優先になった。
今から中身がついてくる。
「養鶏法に行きたいと言っている人が7名で、衣生活から送り出すという人はいません」「もう段取りはではない。段取りは超えた」「この研鑽会で参加できるかどうかが決まるのかな??」「豊里から送り出してもらうのかな?」

「当然としていることが外れたら、のびのび!どうこの軽さ!」と、ちずよさん。
養鶏法に行くと言ったちずよさんも初めは「朝5時からの洗濯なら、養鶏法に参加していてもできる」自分たちも頑張ってやるからのスタートだった。「そんなに頑張らなくても」の声に「そうだね」と言えた。
ソンス「そういうことがやりたいのかな?」「衣生活の仕事がやりたくて、養鶏法に行くの?」「洗濯物をきちんと返すのをやるのかな?」

「お風呂も大風呂とシャワーだけでいいのでは」「洗濯物も毎日、出さなくても」
研鑽する度に変わってきている、成長している(?)様子が次々出てくる話に、聞いている人も軽くなってつい出したくなる研鑽会でした。
「私も行きたくなったわぁ」「なんの障害もなく養鶏法に行きます。で、いいのかな?と、思ってきた。太陽の家に入ることも衣生活に行くこともできるよ。でもやっぱり行きたい」「乳牛部からは中原さんを送り出すけど、中原さん自分でしっかり段取りしていて、ちょっと寂しい」「リンゴの袋かけもやって、手伝いに入り込むところもない」「お風呂磨きの受け入れなら自分もやれるよ」「衣生活メンバーが受け入れしなくてもいいんだ」「衣生活みんな行っていいよ」「職場の出発研を李収穫に来て、その場で味見をして収穫するのはどうか」「食べに来るだけでも収穫だろう」等々
新しい人が配置になった時、衣類供給棚と衣類番号をどうぞと、伝えていた。豊里は大勢だから、大量の衣類の洗濯物を返すので、間違いもあるよと思っていたけど、共にやる人がなくての衣類番号だった。間違うこととは別にそうだねでやれる世界を。
任と量のテーマは違うと外れた話もあった。
実際どこでやるか。毎日やることが出てくる。

前回の実顕地つくり研で、豊里からは衣生活の12名の他は少なくて、今回もっと一緒に研鑽しようと豊里編が開かれたのですが、風のうわさや、むらnetで知っていたけど、その中身はよく知らず、7人抜けるのだったら、私、朝早いのは苦手だけど、夜の洗濯物の仕分けならできるかなと思っていた。でも研鑽会で話を聞いていると、事柄でやるのは勿体ない。一人でしこしこやるのはいやだな。みんなと楽しくやりたいなぁと思った。
次の成長点は太陽の家だという話にもなりましたね。
同じ衣生活として、実顕地つくり研の話の続きが聞きたくて春日山から一人で来た由紀子さんの話が心に染みたけど、どう表現していいのか分かりません。是非、コメントでもう一度聞かせてください。