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参画して22年初めての村暮らし


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福崎敏郎・英子夫妻が加賀実顕地配置になって1ヶ月が過ぎようとしています。
夫妻は参画してから首都圏でひたすら供給活動をしてきた22年間でした。

福崎 「供給マンはみんな長いでしょ、よく働くでしょう、それは面白いからですよ。活用者の人と心通うその手応えがたまらない。ひとりでも多くの人を特講へ送りたいその思いでずーっとやってきました。

加賀実顕地配置になってすぐの受け入れの時だったか福崎さんは「いろいろありましたがこうやって加賀実顕地にやってきました」と言って自己紹介を始められました。その『いろいろ』の中身を聞かせてもらうことから話が始まりました。

意外(?)にも花づくりが大好きで、埼玉供給所時代は広い敷地(2000平方メートルあったそうな)を花一杯にしたくて、パンジーを種から育て、4年かかって花に呼ばれるように人が寄ってくる供給所になったそうです。
埼玉供給所も『いろいろ』あって閉めて、広い守備範囲の練馬供給所に移り、奥村夫妻と模索しながら、「供給量は落ちても、やっぱり本来の仕事がしたいね」と新体制でスタートしようとした、今年の初めに、

「練馬供給所、3月に閉めない?」 まさに青天の霹靂!
2回めの研鑽会の時はそれが「2月に閉めませんか?」になって、それでもずーと一緒に供給の研鑽会をやってきていた、若手達の呼びかけに心響くものがあったそうです。

若手達 「それは置いといて、チャラにして、何にもないところで考えてみませんか?」
   (*この頃、’‘チャラにして’’って流行りましたね~。)
福崎 「まぁ、こいつらの言う事に乗ってみようか」
   「福崎さん!新しい事一緒にやりましょうよ」って言ってくれてるように僕には思えた訳よ。
   「なんか中身はわからんけど、お前らの好きなようにせいや~」って感じかな。

そんな訳で、オーストラリア交流の後の配置は「どこでもいいよ」と応えて、加賀実顕地にやってきました。
加賀実顕地では全くの初心者で養豚をやっています。餌やり、糞だし、ちょっとした修理や、加工も積極的に見つけてこなし、古坊さんを感激させています。

福崎 体は疲れるけど、気持は楽だね~、体はだんだん健康になってる感じがする。思い切り体動かして、美味しいご飯食べて、美味しいお酒飲んで、爆睡してるからねー。目覚めがちがう、全然違う、久しぶりに、起きたらよしやるぞー!って感じ。

傍で英子さんはニコニコして、聞いています。

英子 あんまり、仕事してるって感じがしない。みんなでやるのが楽しい。ヤマギシって、毎日がお祭りみたいでしょ、みんなと一緒にやらせてもらってるって感じ、楽しいだけの場所よね。
(ちょっと、これを聞くと初めて村にきた会員さんみたいに聞こえるけど、彼女が言うと、自然に聞こえます、何しろ今まで、供給所で一人で生活部分をしてきたのですから)

ふたりとも先日春日山の6月の交流会に行ってとっても味わってきました。

福崎 よかったわー交流会、なんかしらんけどよかったわー、初めてだものああいうの、幼年さんがいて、爺ちゃん婆ちゃんがいて、若いのが少ないけど居て、研鑽会がどうとか、係がどうとか、聞いて、最後にヘタっくそ!なギターの伴奏で心地よーく、七夕さま歌ってさ、‘‘俺のほうががうまいわーあれ、もっと練習せなアカンわー’’ でもあれで、弾けるっていうのええし、気持よく歌えるってのもええなぁ~ 
  
何しろ実顕地暮らしを思いっきり100パーセント味わっている二人です。

福崎 だって初めてだものこんな暮らし、夢みたい。朝昼晩研鑽会して、お互いの思ってる事聞き合って、ホント家族以上だよね

*66才にして、こんなに素直に(乗りの良さっていうか)変革を受け入れて喜んで暮らせるって、福崎さんの持ち味ですよね。

福崎 彼等(若手達)の言葉じゃない心を感じたというか、彼等がホントにそう思っているかどうかわからんけど、自分がそう感じられたのが持ち味かな?

その昔、参画前に参加した「お父さん研鑽会」でさんざん美杉の森へ通った。そこで最後にいつも歌う「森が生まれる」の歌詞が胸に迫って、涙なくしては歌えなかったと語ってくれた <熱-い福崎さん> でした

平島春美 加賀実顕地