韓国より
韓国の言葉は、ウラル-アルタイ語で、民族的にはツングースです。モンゴル、韓国、日本語は、文法が同じです。単語も漢字からの直訳ですから、日本語と同じ発音をするものがあり、同じ意味の場合も多いらしく、話し言葉で、所々、単語だけは理解することができます。
さて、1951回(韓国240回)特講は参加者9名、世話係は韓国から、ハンギョル、オクヂン、日本から柳の3人でした。
韓国特講の日程は、いままでは、奥村きみえさんや渡辺操さんの時代を、ほとんどそのまま継承していましたが、1951回は研鑽テーマが少し変わりました。
専門の通訳がいない中で、ハンギョルとオクヂンと電子辞書、そして、参加者の中に少し日本語が出来る子逹がいて、進行と推進と通訳と受講生全員で三位一体ならぬ四位一体になって進んだ特講でした。5月の特講、8月の研鑽学校も産み出せそうで、日本から参加のさせてもらった僕は、この特講参加者逹の背景にある韓国社会、そして240回もやり続けてきた韓国実顕地の皆さんに、この特講を用意してもらって、本当にありがとうと頭が下がります。
これからも一緒に、韓国の、いや世界の特講をつくりましょう。
「直ちに 必ず できるまで」って、いいな。
この特講の、楽しそうな感じが伝わってきます。
すごく、わかりやすい!
「ひとは、あたたかい心で、お互いに手をつないで、生きていきたい」
これなら、私でも誰にでも声かけられます。
特講は、その心を純粋に、そのままで、見られる期間だと思います。
特講をつくる人々の心が集まって、これが出来るのです。
疲れて、寒いとき、いつでも戻れる心の出発点です。
ありがとう!それやりたい!
1951回(韓国240回)特講世話係をやってみて ハンギョル
今回は、初めての特講の世話係でした。
私にとって、新しいチャレンジであり、この運動の意味を考えられる機会になりました。
特講の世話係をやろうと思った理由は、ジェホさんが、日本に交流に行ったからと、いままでやった人たちでなく、他の人も入ったら良いと思ったからです。
それで、今、積極的に参加しました。
日本で一緒にやれる人を探して、柳さんに来てもらって、韓国のオクジンも入って3人で一緒にやりました。
進行の時、僕の中であらかじめ研鑽の「答え」を決めずに進めたかったです。
でも、僕の表情に出てしまうときもありました。
日常の中でも、心境そのままが、顔に出てしまうという自分。
僕は、係として、未熟な部分がありました。
そんな感じで特講の世話係をやりましたが、やるほどに楽しくなってきました。
その理由は、通訳はとても上手とは言えないのですが、間違っても、大きな声でやる。
知らないことは、電子辞書を使ってやる。
それで、自信がつきました。
受講生達も、特講のテーマを「わかった」と止まらないで、これを実践したいとの意思が、どんどん大きくなってきました。
受講生の中でも、20代の5人が、テーマのいろいろなことが、難しくて、頭では、良く分からないこともありましたが、実践力がすごかったです。
参加者の中に、「直ちに、必ず、できるまで」と靴下の底にプリントしている社長さんがいました。
特講の中でこの言葉が、流行語になりました。
特講の後、予定のなかった人も、ヤマギシの村で生活体験することになりました。
この人は、一度、家に戻ってから、翌日、ヤマギシの村に戻ってきました。
「直ちに、必ず、できるまで」の実行でした。
これで、今回の20代の特講参加者5人が全員、一ヶ月の生活体験が実現したのです。
特講を通じて、イズム生活のドアを開けて、即、実践する受講生の人たちを見ながら、僕は、今の生活が、すごく楽しいです。
これからも、特講の世話係をやりながら、みんなと一緒に幸せになりたいです。
特講世話係 感想文 オクジン
1951回(韓国240回)特講に、柳さんとハンギョルと一緒に係で参加しました。
受講生は20代から50代まで、9人でした。
最近の韓国の社会には、宗教、教育、哲学などのいろいろな面で、心の世界を探るプログラムがたくさんあります。
すでに何回かそういうプログラムに参加したあとで、特講に参加する人もたくさんいます。
また、フリースクールとか宗教団体を中心に、共同体をつくりたい人たちも特講に参加します。
このような流れの中で、私にとっては、韓国実顕地での特講開催の意義を考えるのにいい機会となりました。
今度の特講を進めながら、私が一番感じたのは、「ひとは、あたたかい心で、お互いに手をつないで、生きていきたい」のだと思いました。
特講は、その心を純粋に、そのままで、見られる期間だと思います。
特講をつくる人々の心が集まって、これが出来るのです。
疲れて、寒いとき、いつでも戻れる心の出発点です。
その特講をこれからも一緒に創りたいです。