いってらっしゃい!逢澤さん
‘‘逢澤さんには笑顔が似合う‘‘
夕べ沖永さんがそう言ってたけれど、ホントそうです。
思い出す顔はいつも笑ってる顔のような気がする。
それともうひとつ、洗いたての「青い繋ぎ姿」
ヤマギシの男の人の繋ぎ姿は見慣れているけれど、逢澤さんのはピカイチでしたね!
ついこの前まで、その姿で陣頭指揮を取っていたんですもの。
この時期ですから通夜も告別式もしないことにはなったけど、やっぱり東屋で祭壇飾っておくりたいとみんなの気持が形になりました。最愛の仲間の住生活の面々がワイワイ言いながら、五段の祭壇を組み立ててくれました。最近はその人のお部屋で通夜葬儀をすることも多く東屋で、しかも五段の祭壇を組むことは久しくなかったのです。
なかなか組むのも手強かったようです。
「最後に組むのを段どりしたのは誰や?」
「逢澤さん!」
「ウチラ 言われた通りにやってただけだもの」
「ちょっと、電話して聞いてくれよ!」
(大笑い)
なんとも賑やかだったようです。
そばで一緒にやっていた洋子さんが「動いてるのは口ばっかり!ホントに住生活の人達、仲がいいのよね~、楽しそうー」逢澤さんも上からニコニコ見ていたでしょう。
逢澤さんはクリスチャンでした、ヤマギシズムに触れて『聖書では汝の敵を愛せよ』と言うけど『実践の書では敵はいない』と言ってる、そこに感銘を受けたと言ってらしたとか。
逢澤さんが私達に見せてくれたほんの一面から感じられたもの
情熱・潔さ・追い求める姿勢・そして少年のようね茶目っ気!
(2年前の飯田実顕地で開催された養鶏法の人達のライングループの投稿の中から)
いつでも一生懸命!!
高い所が大好きでちょっと前まではスカイマスターに乗って木の枝を払ったり、屋根に上ってといの掃除をしたり脚立の登って剪定をしたり。
高い所が好きというだけでなく 遠くを射程に入れながら足元を一生懸命固めていらしたのでしょうね。
これからは高い高い所からニコニコしながら私達を「なにやってんだ~」とみてるかしら?
初めての研鑽学校の係が 逢澤さんでした 逢澤さんの大きな優しさにつつまれてたなぁと 色々な場面を思い出します 台風が来て 停電の中 ろうそくを灯してやった研鑽会 禅問答のような場面 どんな時も優しくて 凛としていて
最後の懇親会での 三位一体 だったか 係の人3人で ラジオ体操をやってくれ 中々終わらない私達の音楽?に 「おーい まだかぁー」と言った声が今でも耳に残っています
見かける時はいつも颯爽と 先頭を歩いていたイメージです
春日山の全員参加の研鑽学校の交流会での逢澤さんの言葉 忘れません
ちょうど4年前、夫婦でタイに交流に来てくれました。
逢澤さんは好奇心いっぱいで、何にでも興味を持って、ご飯の時も、歩いている時も、とにかくいつもいつも質問、質問。
私はいい加減頭に来て、
「そんなに聞かれても、知ってるわけありません!」
逢澤さんはポカーンとして、ちょっとモジモジ。こんな冷水を浴びても、ずっとタイGの事を気にかけてくれました。
優しくて、温かくて、どこか神父様のよう。
なんて言うと、きっとまた、ちょっと顔を赤らめて、モジモジ笑ってるかな。
もう30年数年も前になりますが
参画の研鑽学校の時
「ヤマギシは レースのカーテンでも雑巾にする所だぞ それでもやっていけれるのか?!」
研鑽会の中での逢沢さんに言われた一言。 思い出します。
聴きそびれてしまいましたが、あの言葉の深い意味は…
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。行ってらっしゃい!
むらネットで訃報を知り、びっくりしました。
ここ二年はコロナで春日山でお目にかかることもなく、なんで?って感じです。
思い出すのは、ほんとに笑顔。
そして、真知子さんとの睦まじい姿。
「学園のこどもたちのことは、何があっても私が守ります」という入学式のあいさつは
いつのころだったでしょうか?
子どもを放すことが不安な新米ママの私の心に、すとんと入ってきて、今でも生き続けています。
どうぞ、やすらかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。逢沢さんは、いつ会ってもニコニコしていて、優しいお方でした。
こんなふうに村ネットで送り出し、もいいですね。
私が参画したとき豊里養鶏部でご一緒でした。