前進・飛躍の年
前進・飛躍の年
前進・飛躍って何だろう
つくるとは、やめるとは
印刷 ⇒ 令和4年3月
◯年間テーマ
前進・飛躍の年
◯3月度テーマ
前進、飛躍って何だろう
つくるとは、やめるとは
ほころび始めた梅の花を見つけ、春へのきざしが感じられるようになってきました。
各実顕地では、子ども達の卒業・出発をお祝いされている頃でしょうか。入学・進学を控え新しい生活へ思いを馳せている子ども達も多くいることでしょう。
子どもたちにとっても、私達大人にとっても進級、新しい季節が動き出しました。
先月のテーマ解説にも、たくさんのコメントが寄せられ、あちらこちらで話題となりました。引き続き「前進、飛躍」をテーマに探っていきたいです。
実顕地づくり研、村づくり研、豊里づくり研、仲良し班づくり研・・・
研鑽会である人がつぶやいた。
「○○づくり研ばかりだな。みんなそんなにつくりたいのか」
つくりたいよね、やっぱり。実顕地づくりや職場づくりと言いながらいろいろなことを考えてやってきたし、それで前に進んでいる感じがするし。
これからどうするかを考えるときも、「つくっていく=前進」みたいなイメージがある。
でもそのつぶやきを聞いて、つくるという感じが強すぎるのかな?とも思った。
つくるつくる、ばかり言ってると、やめたり捨てたりすることがだんだんやりにくくなっていくのかもしれない。
やめたり捨てたりしなければ新しいことが始められないとか、つくること、やめたり捨てたりすること、どちらも合わせて前進だというのは分かってはいるけど、実際にやめようとすると少し(事によっては大きく)抵抗感があったりする。
何々のためには仕方無いと自分を納得させることも。
つくるもやめるも同じように軽く楽しく考えられたら良いんだけど。
例えば新しい職場に行ってみると、何だか使ってなさそうなものが山積みになっていることや、いくつもの倉庫に代々の備品が詰め込まれている。そんな状況が目に入ってきた私は、片づけたらすっきりするのでは、と声をかけてみるが、ここは〇〇さん、ここは△△さんが見ているから。で止まってしまうことも。
ある人からみたら宝の山でもある人から見たらガラクタの山。もちろんその反対もある。そんな観方の違いに、同じ一つの状況を見てもたくさんの観方があることに、実際の場面で自分が気づくことができれば、(そんなお互いになりあえたら、)そこから展開していく世界が変わっていくのでは、、、
つくるに対してどう思っているか、やめるとか捨てるとかに対してどう思っているか、そんなことを軽く出し合うところから、今月も共に探っていきたいです。
出発研で若者の送り出しをした 特講後も研鑽会に出て、一緒に考えてきた事も他の人からきいた
送り出しというが、自分もそうやってやってきたなあと振り返る
現実的なことをきいてるとそれぞれが、いろいろあって今ここにいるんだなあと思う
そういうものが彼を包み込んで、今ふわっと風にのって羽ばたいていくのだろうか
昨日の乳牛部の出発研は つくるとは、やめるとはなどでやった
提案や調正の具体例も出てきて白熱気味?とにかくどんどん出てきた
同じひとつの状況をきいてもたくさんの観方がある・・
まさにこれだった
一言も発しなかったけどなんかいっぱいだしたかんじもした 何度も笑ってきいてるからかしらね
なんかこれだからやめられないってかんじ
『同じ状況を見ても、たくさんの観方がある』 そうだなぁと思った。
新しいゴミステーションが完成間近。そろそろ皆んなに知らせたいなぁ、と浮かんだ。
出発研で日付と右隣りの建物になる、ことを入れた「お知らせ」を貼りたいと出した。
すると、前のゴミステーションを撤去すれば、使用開始の日付も隣だということも分かるだろうから要らないのでは?という観方。
ゴミを集めにくる人にも事前に知らせたら良いのでは。
住民もいろいろ居るから、やっぱり知らせたら、などなど。
取り合えず、撤去してから立て看板に「ゴミステーション こちら」と→を書こう、となった。
私の中が「たくさんの観方」を聴きたい!と湧いてくる心境なので、心地よかった。
誰々の意見みたいな感じではなく、あ~、それも有りだねぇと境なく積み重なって広がっていく。
また、ちがう観方が足されていくかも、と楽しみに。
私の中でも、たくさんの観方があるなぁ、と。
新しくなるゴミステーションを見て、「キレイになるネ~」とゴミを集める津市の業者さんが嬉しそうに言ってたよ、と聞いた。
すると、ここは『実顕地の窓口の一つ』かな?という観方が湧いてきた。
研鑽会で出してみたら、そんなところに生き方があらわれのではという観方が足されて、
そうだ、集める人の様子も見ながらゴミの出し方も考えていきたいなぁと浮かんでくる。
寄って話しあっていくと、どんどん展開していく、愉しく、行動的になっていく感じ。
昨日の村つくり研やってみて・・
乳牛部の出発研と繋がっているのを実感した
なんでも出せる出発研の雰囲気が自他の境をなくすと思う
こないだ、なんでも頼んだらいいんだよって言ってくれる人がいた
今回の志田千晴ちゃん(バトミントン)の事では頼んで頼んでその連続だった
自分のやりたいことが次々実現している
前進のイメージだ
昨日20号春の女子会♡があった
20人くらい集合
今までは家のお風呂がテーマでよく寄っていた
和美さんから圭一君の話しをきいて何度も拍手がおこった
心があったかくなった・・
今月のテーマ、たい肥、苺、野菜等様々な話題が出て今の暮らしをつくっている諸々を知ることができた
よく笑った仲良しの空間だった
何かしら寄りたくなるのは今までいい思いをしてきているからかなあ
「前進・飛躍」って何だろうと考えてみると、「目的」があって、それを実現する「方向」にあるかどうか。
自分の目的は、「私が幸せになりたい、自由に、伸び伸びと生きていく。」
ずっと「私」だけでイイのかなぁ、と思っていたけれど・・・この頃、「私」と「みんな」との境がユルクなってきている感じがする。
それが、目的を実現する方向にあるような・・・
体調を気遣って声かけてくれた人がいた
心に沁みてきた・・・
バタバタしてても それを感じられるものがなければ・・
やめたらとか かえたらとかいうものにたいして
かたいものが出てくる時が 考える時かなあ
村づくり出発研でいろんなつくる、やめるが出た。
いつでもやめられる。やめるのは簡単。始めるよりやめるのは凄く難しい。など。私は過去の体験から両方あるなあと思った。やめる行為そのものに消極的とか寂しいの色がついているわけでなく、その時の私の心境が映し出されていたのか。ネガティブ思考に陥る時もダメとせず、そんな時こそ零位に立つてどんな感じなんだろうと考え続けたことが大きかった。
未だ戦火絶えない今日、ヤマギシズムに出会えた私は研鑽し続けることだけは、やめたくない。
人にたいして、こうしたらいいをやめたらもっと楽になれるかも・・と浮かんできた。
律子さんの世界はほど遠いが、その心境になりたいその世界に生きているとは思うけど邪魔するものが出てくる。あ~あ
結婚の決め手は新しい実顕地をつくっていく人だった
おばちゃんがそうすすめてくれたから
何も無いところからやっていくイメージだったなあ
今は律子さんのコメントをみて身近なことだなと思った
まずは食べ過ぎをやめる これがなかなか・・・