鹿妻食堂炊き出し 報告会【豊里】
5月15日、帰ってきた鹿妻食堂炊き出しメンバー第1陣の人たちを囲んで報告会がもたれました。
帰って来た人たちはみんな元気で、鹿妻でパワーをもらってきたかのようでした。被災の状況はたいへん厳しいのに、報告の内容は明るく力強く感じました。
炊き出しとは炊いて出すものだったと実感した。
スタッフに入ってこられる地元の人たちが増え、出し方などをその人たちと一緒に考えることができた。
自治会長やハイツの大家さんなど、地元の中心になってくれそうな人と共に、炊き出しの後の町の復興を描いていきたい。
被災地に行った自分たちがやれたのは鳴子実顕地や豊里実顕地などのみんなとのつながりがあってこそだと実感した。
などの報告を聞かせてもらいました。
【豊里実顕地 萩田喜七郎】
何でこんなに興奮しているんだろう?
被災地だけでなく、地域の拠所をつくって皆が繋がっていくという考え方は誰しもの願い、考えだと思うなあ。誰でもが良いなあと思うだろう。
で、ヤマギシズムとそれはどう繋がるんだろう?と考えた。
あ、自分は正しい、良いと思うものを押していた!冷や水をかぶった気がして、興奮状態が引いた。
「これが正しい」とする囲い、自分は正しいと考えられる人だとしている。
又してもというのも、おこがましいのですが。ヤマギシズムとは真逆のようです。
昨夕の研鑽会で、このことを出した。
「いつも幸ちゃんは、そこに行くけど、ほかにも考えられるんじゃないか?」という意見がでた。
うん、自分は今、「これが正しい」とキメつけて動かさない考えのない考え方、そうかどうかと物事を考える考え方を体得したいなあと思うのです。
だから、いつもそこに帰るんだと思う。
「ほろ酔い加減のような」という言葉も出た。
うん、それこそ何となく楽しい。でもね、あの時は酔っ払い状態だったような気がする。
ほかの研鑽会でも出してしらべてみた。
「皆の研鑽の一致点をやっていっただけで、何でそんな風になるのか解らないけど。コミニュティカフェを作ることだけが目的になって、過程を楽しむ辺りの意識が薄いなあ。いつもだけど。」という意見があった。
うん、自分はすぐ結果的なものを求めていくなあ。今回も結果うまくいきそうだという辺りで興奮してたのかも。
過程を楽しむかあ。以前より気になっていた「結果は作り出していくというより、そういう状態から生まれてくるものという考え方」はどうだろうかな あ。そういう状態になる要素を見出して足していく、現実的な気がする。
震災の炊き出しも、食糧を供給するだけから次の段階に移っていく頃。コミニティ・カフェとして地域の拠所をつくるという描きを聞いて心が動いた。
東北なまりも今こそ活かすべき、という廻りからの送り出しもあって参加。
帰ってから、思い切りやらせてもらった、一役やれたよなあ。とは思うものの、報告会でも何か興奮状態。こころが穏やかでない。何でだろう?