今期やってきて、みえてきたこと・・・
豊里の研鑽会からの抜書きです。
今は4人ですが、みなさんも書いてみませんか?
【豊里実顕地 喜田栄子】
被災地での話を聞かせてもらい、実顕地の中や普段の生活では分かりにくいけど、当たり前のことが新鮮に思えました。
石巻に行った人らが村でやっているそのままで、食をやっていた人は食で、その場に収まって淡々と無理なくやっていて、楽しいとかいろいろ見えてきたと言っていました。
普段はそんなこと思っていないけど根底に、われひとと共にとか、仲良しがあって、毎日どうなんだろうとやってきている自分らなのだなーと思いました。
それも急になった訳でなくヤマギシを知って、歩んできての積み重ねがあってのことだと。
みんなの話を聞かせてもらいあらためて、これからも毎日、自分磨きを積み重ねて行くんだなーと、そういうものが見えてきたのは大きかったです。
1年目は敢えて出さず、 2年目は言うぞ!と決めて思い切って「ヤマギシの村に住んでいます」と言い、 そして3年目は言いませんでした。
でも、ちょっと今までと異っていたなあと感じています。
それは「ヤマギシ」を出しても出さなくてもどちらでもいいなあと気負いなく自己紹介の日を迎えられたことでした。 そして実際は出さなかったのですが「言えなかった」とは思ってないなあと感じています。
大仰になってしまいそうでうまく表現できないけど、「私の中のヤマギシズム」は「ヤマギシ」を出さなくてもどちらでもいいような気がしたのです。
「ヤマギシ」の村で育ててもらった「私」で今年も教室の仲間と誠実に付き合って行きたいなあと今思っています。
今は何をしていても楽しくて、ロビー美化もモップを持って始めると自分が生き返ってくるようで面白いなーと思っています。75歳ですけど、ようやく私の仕事が見つかったって感じで楽しいです。
研鑽学校Ⅲから帰った夜、原風景について夫婦で考えていたら、父親のことがうわぁーと浮かんできました。南那須でやってきたことも原風景だと思え、これを糧に生きて行ったらいいんだ、余計なことを考えないでストレートに行っていいんじゃないと思いました。
普段は意識していないけど、段階を踏んで自分は変ったんだと。自動解任も特別なものではなく、そういうことに気づかされ、元気づけられるものだと思います。
石巻にもすごーく行きたいと思っていて、同じ家の民子さんが行くと聞いて「うらやましいなー」って言った瞬間、どうしても行かなくちゃって思っていたものが外れたの。今でも行きたい気持ちはあるけど、行かなくてもテレビを見ていたら一番物語っているし、テレビである人が「医者である前に、その人の気持ちを抱きしめたい」と言っていて、私の身代わりでやってくれていると思ったの。
Ⅲから今の日常生活があるって感じですね。大きかったなー。また行きたいなー。
職場で
朝一番 起床や身支度の介助・朝食・デイサービスへの送り出しなどが一段落したところで介護部メンバ-の打ち合わせの時間になる。8時45分頃から1時間ほど。
昨日から今日、ベッドで一日過ごす人、車椅子で移動する人、元気そうだけどちょっと心もとない人、ひとりひとりの様子やその介助をやってみてを出し合う。出し合う。
そうして検討する、突っ込む、つっこまれる、弁明する、時には感情的になる、むくれたくなる、投げ出したくる、助け舟がでる、ほっとなごむ、笑いがでる、大笑いになる、また真面目に確認しあう。
こんな時間を大事にして、それぞれの職場でのやりたい気持ちを共有したいし、具体的には検討する時の現状把握を共通のものにしていきたい。 (簡単じゃない! けど おもしろい?)
今期は「これをやってきた」と言えるかな。 そして見えてきたものは、これをやり続けて検討の精度を上げること。 そしてこれをふつうのこととしてやっていくのだなと。 (達成感や高揚感にたよらずとも)
炊き出しに行って
送り出してもらうということで思ったこと。 食生活の厨房から揚げ物ざるが「石巻で活躍しておいで」と送り出されたエピソ-ドを聞いて、私もその「ざる」そのものなんだと知ったこと。 そのように送り出された「ざる」は存分に持ち味を発揮できる。 日々の安穏な暮らしにぼうっとしているだけのように見えるけど、じつは・・・ 日頃意識してはいないけど、こんなことにも今期やってきたことが見える?
夜7時からの毎日研に出ている。面白い話しや面白くないのもある。自分の興味に合うと面
白い。合わないと面白くない。そういうのもあるがそこに集まった人との交流という場でもある。
夜の一時、人に会いにいくのを日課にして、それが終わるとプールの鍵を閉めに行く。
行きの車の往復、それにプールに着くと大きな声で、~生きとし生けるものが幸せでありま
すように・生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように・生きとし生けるものの願いごと
が叶えられますように・生きとし生けるものにも悟りの光りが現れますように~と自作メロディーで
謳いながら「慈悲の冥想」をやっています。暗いところなのにとても明るい感じがします。
自分中心で生きている私の心を、知識から理性へ、そして智慧ある生き方にしていくためにやっ
ています。これは身体が不自由になってもやれます。その時何かの世話をして貰うのときにも、
この「慈悲の冥想」を唱えるのです。
自分の身体や知識・経験はみんなボロです。無価値です。特に値打ちのあるものは何もありま
せん。どんどん変化するものばかりです。自分自身を値打ち付ける思考からの解任です。そして
水のように無色透明に清くする。「無常の見方」では瞬間・瞬間、自動解任です。
3年前の早朝に血を吐いて、救急で手術台に乗っていました。その時も動けないけれどいまや
れるのはと、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返していました。一週間後三重
大の教授が、30年の経験で始めてです。手術の跡が在りません。う~ん。ハイ退院です。とい
う奇跡のようなものもあります。
実践の書に「死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします」とあるのですが、これがと
ても楽しみです。その瞬間に挑戦です。
山岸先生も岡山での最後はきっとこの実践をされていたのかなと思います。先生、私もそれに
気づいてやっていますよと云うと、気持ちを込めてやるのですよとおっしゃるのです。何しろ心は
我がままでいたいので、地道に心に教えて教えて、吹き込んでそうかなと思えるように育てるし
かないというのが、お釈迦さまの教えでもあります。
今日の連絡研で、「自動解任なら他の職場の出発研に出たいなー」の声があり、
「いいね」となり、夫々の職場が出発研の時間をホワイトボードに書きあいました。
「うちは美味しいコーヒーが出るよ」と早速職場のアピールがあったり「行くならどこに行ってみたいな」と、動いて行く気いっぱいでした。