基本研が面白いです
月に2回、豊里実顕地で行われる「イズム基本研鑽会」に参加しているのですが、春日山以外の実顕地の様子が伝わってくるのと、そこで出た具体的なことを通して研鑽したことが、拡がっていく実感があって面白いです。
例えば、内部川の諏訪花さんが出した「食材の提案書を見て、量の多さにウッとなって、見なかったことにしたいと思った」という事例(関連記事→)を聞いた時には、「面白い事例だな。このことを通して全国の人たちのやり取りがネット上でできたら楽しいだろうな〜」と思いました。花さんにそのことを伝えると、すぐに投稿してくれて、それを見た人たちがこのことを話題にして・・・と、拡がっていきました。
最近では、「内部川で年末年始に余ってしまう卵をなんとか活かしたい」と思っているというのが話題になり、「内部川の今井律さんが豊里の連絡研に来てみんなに伝えたら、より伝わるのではないか。」という意見が出ました。その場にいた佐々木久江さんが翌日、日頃馴染みのない今井律さんに電話して、「ぜひ連絡研に来ませんか」と誘ったそうです。実際に内部川から豊里の連絡研に来ることになり、そこから拡がっていき、豊里でもいろいろな用途に卵を使うことになったとのことです。
来年は、具体的な事柄に理念を織り交ぜていきたいというのも出ていて、さらに楽しさが増していくのではないかと予感しています。基本研で出たことを「むらネット」にも出して、基本研に参加するのには距離的に遠い実顕地の人たちともネット上で研鑽ができて、拡がっていったら、さらに楽しいだろうなと期待しています。
【春日山実顕地 柳 順】
イズム基本研の案内
<日時> 第2・第4月曜日 13:00~15:00 20:00〜22:00 第2・第4金曜日 20:00~22:00
<会場> 豊里実顕地
<窓口> 豊里: 村岡 一志: 園田 美里: 馬場洋美 内部川: 諏訪花 春日山: 柳 順
こころが動いて形になるとこにアブナサを感じるとリッタさんが出してから2週間、今日は基本研で一緒だなと朝から楽しみだった。さっそく、どうしてそう
感じたのか聞いた。幸ちゃんにというより自分を振り返っていた、こころが動いて形になるところも真心だったと言い切る辺りにアブナサを感じたらしい。
私も2週間振り返っていた。年末年始の卵が二束三文で割卵になると聞いた時、有精卵として活かしていきたいとピンとこころが動いた事実があった。
と同時か先か、「割卵のままではアカン」から出発し、有精卵として活かされるべきと固い自分の考えがあったのも事実。二つの事実があった。
そして、ピンとこころ動く事実に飛び込んだ自分を見つけた。あぁ、そうだったのか!確かな手触り感から齎されくる解放感。何時でも何処でも「我のない自
分に戻れそうな・・・」 橋が架かったかな。
もう4年ぐらいなるのかなあ、同じメンバーで基本研をやってきて、互いの癖も知って出し合える場があることの価値を思う。全集輪読会では中西さんが、
「そうやって話し合いのキッカケになることが、有精卵が有精卵として活かされることやないか。」と後押ししてくれる。
「アブナサを感じる」と聞いた時、言い訳的とか、「自分の考えはこうや、こうや」という前に、パッと聴いていきたい。
「どういうことか」と聴けるひとになりたい。
隣の若者曰く。「なりたい、なりたいって言ってたって、今の幸子さんのままじゃムリやろ。」
近くの方は「大バカだと思っていない。自分は判断できる賢いひとでいたいんでしょ。」 踏んだり蹴ったりって感じ。満身創痍のわたし。
が、いつもなら、ああ、そうなんだなあで分かったつもりで済ませる私だったけど、今年はちがう!自分は大ばかだ、判断できるひとじゃないと納得できる、
得心するところまで検べていく。どんな道筋でいこうか。
律君に電話しようと思った時、そうせずにはおれないくらい自分を動かすものがあった。
電話してる時は自分をはずす・・その連続だった。
何が自分をそうさせたのだろう、新春の研鑚会であり方について研鑚した。
その後、人類一体を真のあり方とし…の一節を思い出した。
日々の暮らしの中から研鑚していく面白さを基本研で実感してます。
暮れの建設出発研に後藤さんが、内部川の年末年始の有精卵を活かしたいと6個パックを持ってきた。聞いて、繋がりのある人たちに食べてほしいと私のこころも動いた。
出し合って100パック発注しようとなったが、何せ14万個あるらしい。他の声をかけてと思うがまとめるほどには力不足、せめて建設部ではこんな
動きをしようと思うと連絡研で出していこうと。
連絡研では費用はどうなるとか、パックする手はどうなるとか質問殺到、結果情報不足!と。 でも、私は自分のこころが動いたという事実から出発していたので、方法は後からついてくると考えていた。建設の動きを聞いて、それぞれがこころのままに行動していったらいいと思っていた。
それから、基本研で話題になり、連絡研に律くんが来て卵への思いを話してくれたり、各職場の数量を栄子さんがまとめるのに立ってくれたりとコロコロと。
年明けて、生活庶務では村窓にきた宅配のひとに手渡され、彼の職場のひとへ広がり、販売所で残った卵は豊里近隣の喫茶店やレストランへ、話はづんで、今度は牛乳を持って訪ねることに。介護部ではデーケアに、病院へ。建設部では梶山作のお年賀の熨斗つき、30年来の業者さんが「初めてだー」となごやかな空気が窓口に漂い。卵を受け取りに連絡研の部屋に行って、連絡研に出てみようと思えたり、律くんも連絡研で卵への思いを話してみて新めて自分の思いを確かめられたとか。10キロケースは里帰りの子弟たちが近隣にも・・・。卵は全て活かされていったそうです。
出し合ってみると、コロコロと心の玉が転げ出て、あなたもわたしも子も孫も、楽しい世界が産まれ出る、花咲く春が産まれ出る。一卵以て産まれ出でる・・・愉快だなあ。
あちこちの研鑽会でこころが動き、実践され、また、こころ動き。基本研も大きな拡がりを作っていく。実顕地の今年の辰年のひとこま。
で、メデタシ。で終わらないのが、想定外、想定内かも。昨日の研鑽会で、リッタさんから、さっちゃんが卵のことを聞いてこころが動いたところから形になるところにアブナイものを感じると出された。
アブナイとはキメツケがなかったか?ということらしい。はて?自分は琴線にふれたもので動いたつもりだけどなあ、気がつかないが他に感じさせるものがあったのかも。我がこころの探検へのきっかけをもらった、いざ。
幸ちゃんへ
いつもながら表現のうまさにまず感心!
リッタさんの感度もすごいよね。 何となく感じてても、その自分を表現できない。
今年はそこをやれる自分になりたいの。研鑽会が終わってから、廊下のあたりで一寸道筋が
見えて、翌朝だれかに話しながら気づくパターンってなんとかしたいわー。
研鑽会で、幸ちゃんのこころが動いて形になるところにアブナサを感じると出されたとき、え、何かまずいことやったかなあ?と自己反省ード。
アブナサ?決めつけがあるってことかあ?有精卵を有精卵として活かしていきたいと動いたこころにウソはないしなあ・・・。
研鑽会のなかに言葉は出していたが、頭はひとりの世界でぐるぐる。他の人からもあまり意見が続かなくて、中途半端~、で、他の話題に。
後日、研鑽会に同席したひとが「あの時、卵がうまく活かされたってのに何で水を差すようなことを言うんだろうと思った。」とか
「あの時、進行のひとがちょっと整理してくれたらいいのに。リッタさんと幸ちゃんのやりとりみたいなったねえ。」と。
又、別のひとが「あの時、幸ちゃん考えこんじゃったねえ、リッタさんに何でそう思うの?って聞かないのかなあ、って思った。」と。
「あの時」はそれぞれに、様々に残っているらしい。「一緒にいた私がやれたことがあるねえ。」とも。
隣の若者「研鑽会って思いを出し合ってとりあえずだけど一致点を見出すことだよね、それぞれ、バラバラに思いが残ってる?研鑽したの?」
うーん、然り!