ありがとうございました、鳴子実顕地!
ロビーのボードに、ファックスが貼ってありました。
「9月9日をもって、鳴子実顕地を閉めることになりました。」
その話は元々知っていたし、先月鳴子に帰省した時にも最後の戸締りやゴミ出しを手伝ってきたところでした。
でも、全国実顕地様宛のそのファックスを見たとき、
「ああ本当になくなるんだな」
と改めて思わされました。
色んな事を経験させてもらい、色んな人との繋がりを作らせてもらい、3人の子供を立派に育ててもらい、振り返ってみると楽しいことばかりが思い出されます。
でも実際は苦しいことや嫌なこと、心がすさんでしまうこともいっぱいあって、でも思い出になると楽しいことになってるのはそれはそれで人間の良さ、かな。
実顕地はなくなっても、鳴子の地で生まれた人とのつながりは自分の中にしっかり生きてて、自分にとっては「宮城県大崎市鳴子温泉」で始まるあの地が、自分達にとっての「ふるさと」になったんだなあと思います。
(僕にとっては韓国実顕地に次ぐ、第3の故郷ともいえます。)
ばっけ!
ばっけミソは美味しかったです。
あとはシソ巻きですかね。
作る人によって味わいが違いました。
上中晶子さんのコメントを読んでいて、
「あれ、こんな文章書いたっけか?」
と思い、自分の記事を読み返しました。
読み返してみると、なんだか違う人が書いた文のように見えて、新鮮でした。
自分の書いたことに、
「おお…、なんかいいこと書いてあるなあ」
と思ってしまった。
鳴子実顕地では 2年ちょっと学園食生活でやらせてもらいました。
春のばっけ(蕗のとう)夏の夜空・彗星 秋にはリス 狐やタヌキ・冬の早朝ジョギング・山ほどの雪(アイスバーンを駆けぬける)などなど・・・鳴子ならではの自然が時には厳しく展開していましたっけ。
あれから 16~7年。鳴子で暮らした皆のことを思い出しました。あのころの太陽さんは成人を迎えた? 仕事に付いた人 お母さんになった人 時のたつのは早いものです。
どうぞ お幸せに!
この記事、とても感慨深く読ませてもらいました。
・・人間の良さ、かな。とか、
人とのつながりは自分のなかにしっかり生きてて、が心に響きました。
鳴子の創成期の話、面白いですねー。
僕は最後の方にいたので、その名残みたいなものは色々と見てきました。
色んな歴史があったんだなーと思います。
初めて触れた実顕地は鳴子。サンケイリビングの「子ども楽園村」募集の記事。由紀子さん母子と我が家母子の7人連れで訪問。川渡駅に軽トラで迎え。荷台
にも分乗。ふ~ん、山奥。愛和館に通されたら、テーブルの上に山のようなゆで卵の入った大ボールが2つあった。「その卵、殻むいておいて」
「はい」と始めたけど、これ何するんだろ?誰も来ない。「私ら、楽園村の下見に来たんだよね、何で卵の殻むき、やらされるんだろね。」で、1時間程。
「終わった?ご飯たべよう」私ら持参のおにぎりを見て「それちょうだい。」パクパク。
「あの~、楽園村ってどこでやるんですか?」と私。「は~、ああ。今から建てるんよ、その辺。」うーん、今、6月末だよ、嘘でしょ。これは怪しい!参加
は止めとこう、と由紀子さんと一致。 その年の楽園村は新しい鶏舎で泊まったそうである。係りは蚊取り線香を一晩中消さないこと。
それから3年後、特講に。仙台の会員の拠所として育ててもらった実顕地でした。