夏休み小学生を受け入れて
夏休み中の小学1年生男子3名を建設木工場で受け入れました。
5日間で木登りコアラとクジラ、カブトムシとクワガタ、赤とんぼを作りました。
みんなやる気で、作っては遊び、遊んでは作り、終わりに「筆とパレットは洗ってくれよ」と伝えると、自分たちで洗って戻していました。さすが幼年部出身者だなぁと感心しました。
休憩時間に雑談した時、圭吾が「うちのお母さんは子供のころタイにいて、カエルをおもちゃにして遊んでいたから、カエルが好きなんだ。妹のかりんおばちゃんと2人で日本の学育に来たんだ」と話をしました。
次の日の楽園村開村式の職場紹介の場面で、その母親が職場受け入れの話をして、妹が司会をし、息子が参加者でした。
その姿を見ていると、親から子へ、またその子へと流れ続ける実顕地の時間と空間の縮図のように思われました。
ヤマギシズム社会の実態の一端が垣間見えた気がしました。この夏思わぬ収穫でした。
今度、今井ゆう君が豊里になったから、4人になるね~。楽しみー!
この夏も豊里実顕地には大勢の親子や孫らが帰って来て、いつにも増して賑やかで、子どもらの元気な声があちこちで響いていました。
三人の小学生の話を読んで、私もこの夏感動した話を書いてみたくなりました。
四條家では3人の孫が、楽園村に間で参加しながらほぼ1ヵ月を過ごしました。
午前中は太陽の家で受け入れて貰って、小さな子らと遊び、午後は村の小学生の子らと思い切り遊んで暮らしました。
ますえさんは孫を送り出すにあたり、伝えたいことがあると言って、次のようなことを話したそうです。「仲良くするために生まれて来て、仲良くするために生きている、ということを忘れないでね」と。それからは子どもらの雰囲気が違ったそうです。
ますえさんは「村で1カ月生活したから、この言葉がすーっと入ったんだなぁー」と話していました。東京駅に迎えに来た彼女らの父親も「今までと違う、何か素敵ないいオーラーを発していたよ」と子どもらの変化に気づいたようでした。
ますえさん、素敵なおばあちゃんですね。
私も、1週間豊里に里帰りさせてもらいました。
福島さんの木工場も、孫の圭吾と一緒に参観させてもらいました。
村の至る所で、おじいちゃん・おばあちゃんと元気な子供達に出会いました。
小さな子供達からエネルギーを貰い、子供達はおじいちゃん・おばあちゃんから
智慧を貰って‥。
すごく素敵な風景だなあと感じました。
朝、「今日3人を建設部のテーブルの周りに預かれませんか~」と、今日は受け入れ先がなかったらしい。
月曜日で混み合うなあとか、ちょっと引きかけたけど。よし、やってみよう!
出発研で皆に伝えたら「ほ~」とイイ感じ。さて、何しようかなあと言ってたら「台風でトンネルの中は枯葉だらけだよ。」とさり気なく御所野さんが。3人に「今日は建設部員でやります」と伝えると目がピカ、側にいた鹿野さんが「建設部は実顕地を守るんだよ。」と言うと更にピカピカ。
ホウキとちりとりを持ってトンネルへ、帰りは台風で落ちた木の枝を引きずってきた。袋に詰めるから短くしてとノコギリを渡す。そこへ後藤さん登場。こうやって切るんだよとお手本を。
指もちょっと引いちゃってカットバン。
まあ、まあ、私が遊んだ2時間でした。楽しかった。
福島さんのお孫さん(女の子)は春日山の楽園村に何回もきてますよね。
今回の夏楽園村で私の仲良し班4班と『班to班』をしましたよ。
矢内のお爺ちゃん(93才)と囲碁をしました。本人が「囲碁をやりたーい」と言うので
おじいちゃんの部屋から本格的な厚ーい囲碁盤を運んできて、真剣にやってました。
なかなかでしたよ。おじいちゃんも真剣にかつ楽しそうでした。