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モンゴル滞在記 【その3】


ウランバートルの街

ゾリグさんの家のあるアパートメントの入り口

後藤さん何度もレベル測る

夜ごはん済んで皆で最終?打ち合わせ

どうやらお互いの描いていた工法が全然ちがったらしい。建設のプロの後藤さんもフッデレに「違うねー〓」と一蹴。


日も1日楽しく暮れました。ウランバートルのガンゾリクさんの家でシャワーを使わせて貰ってさっぱり(後藤さん曰く一皮剥けてスースーする気がする、だそうです。)その間にナラがチャーハンを作ってくれて皆で腹ごしらえ。ほんとにやって貰うばっかり。心づくしの暖かさが嬉しい嬉しいガンゾリクさんの家は団地?みたいなアパートメントが並んでいるなかの2F。壁にかかったチンギスハーンの絵の入った織物のところにスィフテのお兄ちゃんのムンフチャングの貰ったメダルが幾つもかかってました。モンゴルのチェスや算数で貰ったそう。窓際の棚の上には小さなマニ車とカピカピになった小さな餃子みたいなお供え物。ナラがマニ車を回してお祈りをしたので、私も一緒にお祈り。こうしてもともとは遠くモンゴルと日本で暮らしていても、何だか仲良く並んでお祈りして一緒にご飯作って食べて して ほんとにいつでもどこでも誰とでも が、もともとそうなんだよねと実感。

丸のこ盤を無事交換して、角材を買って、ウーレーに頼まれた日焼け止めと食材も買って、ナラは夫の待つウランバートルの家に帰って行き、暫し(22日迄。日本に帰る前にナラの家に泊めて貰って一緒にヤマギシのホームページを開いてむら-Netを見ようと話してる。)のお別れです。

 あバヤエンチャンドマン村に帰ろうと思ったら、道の端に駐車。ガンゾリクさんは ちょっと と言い残してキーをつけたまま行ってしまった。私と後藤さんは一瞬顔を見合わせて、何か分からないけど 「行って下さい 私ここいます」 となぜか片言の日本語になってる私。後藤さんは出て行って商店とおぼしき硝子扉の前でためすがめす中を覗いてから中に入っていきました。待つ事暫し…飲み物を買って二人が帰ってきました。嬉しい。さっき喉渇いたと呟いただけだったのに。さあ今度こそお家に帰ろう!と走り出すと路地を曲がって ?の私達が何処へ行くのかガンゾリクさんに尋ねると「ムンフチャング ムンフチャング」あぁなるほどお兄ちゃんはウーレーのお母さんと一緒にウランバートルに居て学校に通ってるんだったね。 というわけで、2メートルくらいの板塀が続く、路地と言っても舗装してないからそう感じるだけで、ゆうゆうとバスもすれ違えるくらいの広さの道を150メートルほど入って(ウランバートルの街は大きな目抜通り以外は、舗装した道のすぐ脇に板塀が並んでいてそこにゲルやレンガやらで思い思いの家を建ててるみたい。そしてそこここに舗装してない路地?というか道があるみたいです。) ガンゾリクさんに私達も一緒に降りて行ってよいか尋ねると「はい」と頷いてくれたので、一緒に隙間から中を伺いながら鍵を開けてくれるのを待ってました。開けてくれたのはダワさん。しまった。車の中にモンゴル会話の本とメモを忘れた。しまったぁ。ずいぶん練習して挨拶は結構いけると思っていたのにしどろもどろだ。ダワさんの事は柳さんのモンゴル第1回特講開催ノートで読んでたし、飴とコーヒーまで出してくれて言いたいこと いっぱいあるのになぁ… つづく

昨日に引き続き眠くて書けません(´д`)では みなさんサェハン ノイルソーロイ

【美里実顕地 後藤裕子(モンゴルより)】