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「チーム高橋」


高橋タカさん研鑽学校3参加に当たって

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初太郎さんの介護をしていくうちに 一人ではやっていけないな、皆と一緒に考えていきたいと思うようになりました。
研鑽学校から遠ざかっていて何かしら物足りない、研鑽学校に行きたい気持ちがでてきて正直に提案してみました。
そしたら美里の世話係の人が高橋初太郎さんに 「タカさんを研鑽学校に送り出してもらえないか?」と話しに来てくれました。
そしたら初太郎さんが、「仕方ないな」といってくれました。
でもいざ行くとなると、ご飯の世話、風呂入れ、泊まり役、デイサービスにいく準備、
訪問リハビリの付き添い、と次から次に引き継ぐことがでてきて、途中で「もうやっぱり行かない」とあきらめかけて世話係の前原幸子さんに言いに行きました。
そしたら幸子さんが、「こういうことはこれからの実顕地のやりどころだよ。タカサン一人のことじゃないよ」と言ってくれて、また行く気になりました。
それからは、いろんな人が部屋に訪ねてきて、「初太郎さんの介護に入るけど、どうしたら良いか」と来てくれました。
それで いよいよ研鑽学校に参加しようとはっきりしてきました。美里「チーム高橋」が出来てきたのでした。

美里実顕地   高橋 タカ

 

初太郎さんやってみて

高橋タカさんを研鑽学校に送り出しました。
タカさんはそれまで、毎日旦那さんの初太郎さんの介護があって、研鑽学校には行きたいけれども、とても行けないと思っていたそうです。
「そこは何とかしていけないか?」と知恵を集めて初太郎さんのお世話を交代でしていく事を考えました。
そうして出来たお世話グループを美里では「チーム高橋」と呼んで、結構楽しんでいます。
タカさん、初太郎さんは毎日元気で楽しくやっていますよー。

志保:
軽くやれたのがよかったかな。重たく考えたら大変になっちゃうけど。ちょっとずつ足し合ってる感じがいいな。一人で、とかは出来ないけど、みんなで分担してるから出来るよね。段取り表もさ、あるけど、あれを心でやるのか、形でやるのかでだいぶん違うな、と思う。みんなで心を寄せ合ってやれて来ているのがいいな、と思います。

久美子:
それぞれの人にタカさんは繋いだけれども、それぞれの人を繋いでいくところに気を置いてやろうと思ったの。
橋本さんが「初太郎さんとともに」というノートを作ってきて、お風呂のこととか書いたら、次の日には別の人がその日あったことを書いてくれたし。あちこちで初太郎さんの事とか話題が出てるし、シフトに入ってない人も「どう?」「どう?」とか、顔を出してくれたりとか。それで「初太郎ウイーク」みたいな感じで面白いよね。だいぶ実顕地みんなが初太郎さんに近くなったよなー。
朝ごはんの後の薬をお世話する人が、おちょこみたいなのに入れるんじゃん。それを初太郎さんが、つまんで飲んでいくんだけどさ。私がお茶を淹れているときに初太郎さんが薬をおちょこに入れようとしたわけ。そしたら、1錠落としたわけよ。どこに落としたのかわからない。それで、2人で探して、私も床とか探しだけど、見つからない。そうしたら初太郎さんが「自分でやってみようと思ってやったけど、やっぱりやってもらった方がよか
ったかなぁ」って言って。それが面白かった。きっと普段はタカさんが、用意周到にやってくれているんだろうなー。私は手順がわからないもんだからさぁ。タカさんがいない隙にやってみようと思ってるのかな~。違うかな~。
あとは、ハス池まで見に行って、倒れそうになっていたからこうして引っ張って支えたら「酔っ払ったかな・・・」とか言って笑ってるんだよ。酔っ払って足が揺れたんですか、そのままいたら池にじゃぽん、ですよーみたいな‥(笑)
そいで、ハスをどんどん切っていくんじゃんねぇ。切ったのをポイってするから、私に当たりそうになるわけ、それをさっとよけて、またそっちの方に集めとくんだけどさー。はぁ~。仕事やったー!みたいな。4時からの人は「風呂の人に繋げる」って役だけど臨機応変にいろいろ。何が起こるかわからない「4時から」みたいな。
初太郎さんがこうして欲しいとかああして欲しいとかあるから、あっ、自分はこうしたらいいのかな、みたいな。「空気を読む」っていうのができるようになったかなぁ。そんなのが出来るようになっていったら面白いんだろうなぁ。

橋本:
初太郎さん、すごいよ。「申し訳ない」って気持ちは、さらさらない。すごく淡々としているね。こっちがお世話してくれるなら、それはそれでいいけど、まぁなくてもいいよ、みたいな。別に、自分でやれるんだけど、まぁ、やってくれたら、もうちょっと嬉しいかな、みたいな。
俺の場合はね、親父もお袋も62で亡くなって、62歳よりも上の人と生活を一緒にしたことが無いんですよ。介護っていう事をしたことがない。「やりたい」って言ったら語弊があるけれども、自分の未経験の部分だから「やらねば」でもないな。まぁ、そんなに積極的にではないけれども「やるよ」って感じかな。嫌って事じゃないんだ。

長谷川:
〈始めに「チーム高橋」をよしやろうと思ったあたりはどんな感じだったの?〉
タカちゃんが介護があるからといって研鑽学校に行けない状況というのは、実顕地だったらもったいないんじゃないかと。実顕地の真価が顕れるんじゃないかと。
「高橋さんのお世話を、やってみようと思うのですが集まりませんか?」ってLINEで流したら、最初に渡辺さんや畑さんが「やろう!」って。健康部の人もやる気でいたから、これだけいたらやれるやろう、やろう、ってなったんや。
〈やってみてとこれからのこと〉
1週間に1回だから個人的な負担はそんなにないよな。
実顕地全体で介護が必要となる人は確実に増えるだろう、と。今だったら7人で初太郎さんをみているわけ。でも、これから介護が必要な人が増えてきたらそんなわけにはいかないだろう、と。もっと2人で見るとか、3人で見るとかになるんじゃないかと思って、介護っていうことを事業として立ち上げたらいいんじゃないかということも思ってさ。ネットでいろいろ調べたんだよ。「介護事業を始めるには」とかさ。
そうしていたら、その中に「年をとったら認知症になるということは当たり前のことなんだ。認知症は歳をとるというのが一番の原因なんだ。で、長生きすることはみんな喜ぶ訳じゃないか。『あんた90歳になったんだね。よかったね』ってさ。長寿おめでとうみたいな。だったら認知症になったら喜べ」と。そういう風な文面が載っていて、なるほどな、と思って。
歳をとることは嬉しいのに、介護が必要になることは悪いことみたいな、マイナスの要素みたいにとらえていたなと自分でも思ってさ。若い人の負担ばっかり増えてどうしていくんだろうとか思っていたんだけど。
そうじゃない考え方を用意していったら、特に介護のことを事業としてやるとか、こういう体制を作ってそういうことに当たらないとやっていけないみたいなのとは別の何かがやれるんじゃないかな、と思うんだ。歳をとったことをみんなで喜んで、ボケなくなった事を喜んで、オムツはくようになったら又喜んで、みたいな。そういう風なところでみんなが一致するかどうか、っていうところじゃないの?そこを、みんなでやっていったら楽し
いし、楽しい介護生活を送れるんじゃないかと。そいで、死んだら「バンザーイ!!」って、そういうのがいいんじゃないかな。

そして、初太郎さんにも聞いてみました。
〈色んな人が次々来て、こうしてやっているけれども、初太郎さんはどうですか?〉
初太郎:
んー。なんも。普通だな。
自分で出来ないからな。
やってもらうしかないからな。
それでも、自分でやれる事は、やるようにしているよ。
やってくれる人が、やりやすいようになぁ。
無理があると続かないからな。

美里実顕地   諏訪 花