ページを印刷 ページを印刷

私の留学体験記


みなさん、こんにちは!穂別実顕地の冨田花野(17)です。
現在は、北海道札幌国際情報高校の国際文化科、2年生です。
私は、2017年8月にアフリカ西部にあるガーナ共和国へ、3週間ほど行ってきました!

今日は、
①なぜ高校生の私が、アフリカまで行こうと思ったのか
②どのように留学をしたのか
③ガーナで何を学んできたのか
④将来にどう生かしていきたいか
⑤おまけ~タイ実顕地~
という順で、お話させていただきます。

①私がアフリカへ行った理由

そもそも、私が海外に興味を持ったきっかけというのは、中学1年生のときの英語の授業です。
ゲームを中心とした授業がとても楽しくて、英語が好きになり、気がつけば海外に憧れていました。
そして中学2年生の時、町が主催する海外派遣事業へ応募し、見事合格!
オーストラリアで1週間のホームステイをしながら、現地の学校へ通いました。
人も文化も、何もかもが初めての環境で、なかなか英語が通じず、夜はホームシックになり涙で枕を濡らしました。
それでも、たまに英語で自分の思いを相手に伝えることができた時は本当に嬉しかったし、フレンドリーで自由な雰囲気のオーストラリア人の友達と触れ合うのは新鮮な体験で、私の大切な思い出です。

これらの経験を通じて、「絶対に英語をペラペラに話せるようになる!」という、私の想いはより強く、そして確実になっていきました。

同時に、私の関心は、世界の問題(貧困や紛争など)へ向くようになりました。
そして、いつか世界で困ってる人たちを助けたい!
そのためには、まず自分で実際に行ってみなきゃ!
と思うようになりました。

また、私は個性的なファッションが好きで、特にエスニック風なカラフルなものに惹かれます。
それを実際に見てみたい、という気持ちもありました。

さらに私は好奇心旺盛でもあり、
「どうせ海外へ行くなら遠いところがいい!」
「ん?アフリカってどこだ?」
「何があるんだ?」
「全く想像がつかないぞ!?」
「未知の世界だ!!」
「よし、アフリカに行こう。」
「ガーナとか、面白そうだな。フフフ」
というような感じで、ガーナへ行くことを決めました。

※私が参加したボランティア団体は、直行直帰が原則なのでガーナまで1人で行きました。笑

②どのようにして留学をしたのか(どうやってお金を集めたのか)

みなさんは「トビタテ留学JAPAN」というものを聞いたことがありますか?
これは文部科学省が主催している留学キャンペーンです。
私はこれを活用し、留学資金をGETしました。

10文字以内で説明するならば「お金をくれるところ」です。
厳格な審査を通過した、大きな夢を持ち、留学をしたい全国の高校生(大学生コースもあります)に無償で奨学金を与えます。そのお金は、1円も税金で賄われることはなく、いろーんな企業や個人からの、いわば「投資」で成立しています。

私の場合、合計50万円を頂きました。(行く国や、期間によって人それぞれです)
もちろん返済をする必要はありません。とても美味しい話ですヨ…

他にも、トビタテにはここでは語りきれないほどの魅力がたくさん詰まっています。
もし、留学に興味がある方(学生に限る!)や、周りにそのような方がいればぜひこの制度をご活用、ご紹介してみてください。

③ガーナで学んだ3つのこと

まず、わたしがガーナでしてきた主なボランティア活動は、学校で子供達に勉強を教えるのと、民家作りをすることです。

これは、ガーナの人の家を作っているところです。 セメントと土と水を混ぜ合わせたものです。

これは、ガーナの人の家を作っているところです。
セメントと土と水を混ぜ合わせたものです。

これは私が子供達と一緒に、絵を書いたり色塗りをしている風景です。 私が日本からカラーペンや色画用紙などを持っていき(全部、学校の友達や後輩、先輩からの寄付されたもの)、 先生と交渉して授業に、取り入れてもらいました!

これは私が子供達と一緒に、絵を書いたり色塗りをしている風景です。
私が日本からカラーペンや色画用紙などを持っていき(全部、学校の友達や後輩、先輩からの寄付されたもの)、先生と交渉して授業に、取り入れてもらいました!

世界中から集ってきた、高校生たちと寝食を共にしました!
日本人は私だけで、正直心細くていろんな壁にぶち当たりました。

その分、多くのことも学んできました、、、
ですので、3つに厳選してご紹介します!

1,これは私がガーナで犯した最悪の凡ミスから学んだことです。

ある日、私は学校での活動を終え、自分のリュックを取りに行きました。
その時、あることに気が付きました。
な、ん、と!!!
私のスマートフォンが無いのです!私は、半分パニックになりながら他のボランティア仲間や先生方へ伝えました。皆で教室の隅々まで探しました。私のリュックも全部中身をひっくり返しました。しかし、一向に出てきません。
結果から言いますと…実は……

(私のスマホは、私のリュックの中にありました。)

でもその時は焦りまくって、見つけられませんでした。。。(私のバカ!)
しかもタイミングの悪い事に、私がガーナへ来る少し前にも他のボランティアの子がスマホをなくしていた、という話を聞きました。
3日後に返ってきたけれど、詳しいことは謎のままで結局その子は、活動場所を変えることにしたそうです。
つまり、「学校の先生の誰かが盗んだのかもしれない、、、」というような雰囲気がうすうす流れていました。

ですので、皆で私のスマホを探していると、少しずつ雰囲気が悪くなってきました。
「また先生が盗った、、、?」そんな事が脳裏をよぎっていた頃、なんとボランティア仲間と先生方が口論を始めてしまいました!
知らず知らずのうちに、私達ボランティアが先生を疑う、という構図になっていました。
問題を起こした張本人の私は、その場でうろたえることしかできませんでした。

翌朝、私のスマートフォンを巡ってのミーティングが開かれました。
(この時点で、私のスマホが発見されたことは周知の状態)
その時に私が、学校の責任者である、1人の女性に言われた言葉が今でも胸に刺さったままです。

「昨日の事で私はとても傷ついて、泣いたのよ。もう二度と、こんな事があってはならない」と。

私のくだらない凡ミスのせいで、こんなに人を傷つけ、いろんな人に迷惑をかけました。
そして、一瞬でもガーナの人を疑ってしまいました。
そんな自分が悔しくて恥ずかしくて、その時は涙を堪えることができませんでした。
私は必死にカタコトの英語で謝り、それからは、誰よりも積極的にボランティア活動をしました。
なんとか信用も取り戻せ、周りの人々の優しさもあり、この件は落ち着きました。

この経験を通して、「自分の物に責任を持つ」という当たり前がとても大切な事であることを実感しました。
それを怠っていると、時には、人を深く傷つけるし、自分自身の信用も失ってしまいます。

どんなに小さな頃から、親や先生に「自分の持ち物は、ちゃんと自分で管理しましょう」と教えられていても、実際に自分で失敗をして実感しなければ、「なんで自分の持ち物を、ちゃんと管理するのか」ということを
本当に理解することはできないのかもしれません、、、

2,次に、「貧困」について、私なりに考えたことです。

ガーナの子供達の笑顔は、本当に輝いています。テレビなんかで見るのよりも、ずっと。
本当に強く、明るく、生きています。

これは、太鼓のレッスンをしている所です。 このあとは、ガーナの伝統的なダンスも踊りました。 日本人の私には馴染みのない、複雑なリズムでしたが、我ながら上手に演奏できたと思います。笑

これは、太鼓のレッスンをしている所です。
このあとは、ガーナの伝統的なダンスも踊りました。
日本人の私には馴染みのない、複雑なリズムでしたが、我ながら上手に演奏できたと思います。笑

カメラを向けると、大はしゃぎの子供達

カメラを向けると、大はしゃぎの子供達

それでもやはり、「貧困」という現実がここには深く根付いています。
栄養失調でお腹がパンパンの子供、外国人からお金や食べ物を貰おうとする子供たち、私たちボランティアの食べ物を力ずくで奪う子供たち、、、
私はこのような場面に、何度も遭遇しました。
子供たちは1日1日を必死に生きていました。
その度に、「どうして誰も悪くないのに、こんな悲しい状況が生まれるんだろう」
とも思いました。

でも、よく考えてみると、そもそも「貧困」というのは私たち先進国にも原因があります。
基本的に何でも手に入り、とにかく便利なこの生活の下には、たくさんの犠牲があります。

みんなが大好きな美味しい、「チョコレート」
みんなが持っている便利な、「ケータイ」
そこらじゅうにある便利な、「プラスティック製品」
流行りの、「安くて可愛い服」

全部「誰かの犠牲」があって、成り立っています。

この事に対して、他人事のように

「発展途上国の人って可哀想」
「でも、自分とは関係ない」
「そもそも、興味が持てない」

という人がいる。

この事実すら知らない人がいる。

確かに、日本は島国ということもあって、他の国の出来事に共感しにくいのも事実だろうけど…
でも、本当にそれで終わらせていいはずが無いと思います。
ガーナ人の友達も、こう言っていました。
「私達人間は、みんな一つ。だから争い合うのではなくて、お互いに助け合わなければならないんだ。」

まず、はじめの一歩としてできること。それは、きっと外国人の友達を作ることです。
(英語ができなくても、友達は作れる!!)

私も、今回の留学を通して「実際に自分でその地に行き、
その地の人と交流することで、その地のことが他人事ではなくなる」
ということを実感しました。

たとえ海外へ行けなくても、海外の友達は自分の意志次第で、日本でも作ることができます。
そこから、自分の視野が少しずつ広がり、自然と世界のことにも関心を持つことができると思います!

3,最後は、私が触れたガーナの人々の本音についてです。

先程も言いましたように、ガーナの人々は、本当に強く、明るく生きていました。
そこで、私は1つの疑問が生まれました。
「彼らの生きるパワーの源ってどこからきてるんだろう」と。

そこで私はインタビュー活動をしてみました。
その中でも特に、興味深かった結果を紹介します。

まず、私が「ガーナという国に誇りを持っていますか?」
と聞くと、全員が誇らしげに「Yes」と答えます。
理由として多かったのが、
「ガーナは平和だから」
というものです。

果たして、どのくらいの日本人が「日本」という国に誇りを持てているのでしょうか。

また、「あなたの人生は幸せですか?」
という質問にも、ほとんどの人が迷わず「Yes」の回答をしました。

ある女性の理由には、
「女性として生まれてこれたから」
というものもありました。私は初めてこのような考え方を知り、驚きました。
他の理由としては、
「今の生活が満ち足りているから」
「自分が、自分として生まれてこれたから」
「ガーナ人として生まれてこれたから」
というのがありました。とても感動しました。

きっと彼らの生きるパワーの源の1つに、彼らの「誇り」があると思いました。
彼らは、自分の国や、自分自身に対して、強い誇りを持っています。
私も彼らと接していくうちに、そのままの自分をまるごと受け止められるようになりました。

私たちは、発展途上国の人に対して「貧しくて可哀想」というレッテルを貼ってしまいがちですが、それはあまりにも身勝手なことです。むしろ、私達が学ぶべきことがここにはある、と思いました。

経済的な豊かさと、人生の豊かさは直結しているわけではない。
結局は、自分の心次第なのかもしれません。

④将来に向けて

私の夢は、まだハッキリと決まっていません。ですが、1つだけ言えるのは、世界中で困っている人の力になりたい、という事です。特に、現地の人々に寄り添いながら仕事をしたいと思います。
JICA職員、国連職員、NGO職員、などなど憧れの職業はたくさんありますが、それらはあくまで手段であり、最終的なゴールではありません。

まず、身近な目標としては、大学は海外(今はアメリカが有力)で「国際関係学」を学ぶことです!
もちろん日本にも、これらを学べる大学はあるのですが、英語をもっと上達させたいし、世界各国の学生と学ぶことで得られることもたくさんあるはずです。

そして、特にアメリカには、国連本部もあり、多数のNGO団体もあります。
そこで長期間のインターンシップもできます。(日本よりも、遥かに長い)
このタイミングでアフリカを再訪したいと企んでます。笑
今度行くときは、3カ月くらい居たいな…♡

⑤おまけ「タイ実顕地について」

なんでここでタイ実顕地??と思う方もいると思いまが、、。
実は、ガーナへ行く時にタイとエチオピアを経由するのですが、せっかくならタイで象に乗りたい!!!という私の好奇心がざわめきまして、結局、ガーナの帰り道にタイへ一泊しました。その時に、タイ実顕地でお世話になりました。

部屋もベッドも、大きくてオシャレで、まるでリゾートホテルに宿泊してる気分でした。
ちょうど、このときは喜田さんご夫婦もいらしてました。
そして上田さんに、アユタヤを案内していただきました!!
感謝でいっぱいです。いろんな面白い話を聞けました。笑

また、タイの人は、すごくニコニコしていて、すごく優しい国なんだろうな、ということが伝わってきました。なんとなくガーナの人々と共通してる所もありました。
もっとここに居候をしたかったけれど、実は私の高校では中間テスト真っ最中でした。
もちろん、タイ旅行の話は学校の先生には、極秘です…

すごく居心地の良いところだったので、今度は家族や友達と行きたいな、と思ってます。

タイの実顕地にて。私が着ているのは、ガーナの伝統衣装「ケンテ」。 左から順に、上田康雄さん、私、上田師代さん、喜田仁さん。 写真をとってくださったのは、喜田栄子さん。

タイの実顕地にて。私が着ているのは、ガーナの伝統衣装「ケンテ」。
左から順に、上田康雄さん、私、上田師代さん、喜田仁さん。
写真をとってくださったのは、喜田栄子さん。

念願の象に乗れて、ご満悦!これでまた、私の夢が1つ叶いました!!

念願の象に乗れて、ご満悦!これでまた、私の夢が1つ叶いました!!

IMG_7173

IMG_7172

穂別実顕地 冨田花野