公用館 村人涵養所
今年始めから「豆コーヒー」「子どもの本コーナー」と話題になっている豊里ロビー。
2月の村づくり研では、「入口の看板」のことが。
1985年頃、小島茂雄さんの書で「公用館 村人涵養所」とあります。
古くなって文字が読みにくくなってきたね、新しく日本語だけでなくモンゴル語、ドイツ語、中国語とかの表現も、ロビーって方がわかりやすい・・・
風格もあるのでそのままでいい、文字はハッキリ。
そして「涵養所」とは何だろう、「村人だけ?の」とか、賑やかに連絡研や仲良し研、運研でも出し合ってきました。
まずは進めながら 足し合っていこうとなって、書の心得のある新島里子さんと小島林子さんが看板の「蘇えり」にチャレンジ。その時の林子さんのレポートです。
去年の三月に豊里配置になり、ロビーに入るたびに「大分古びたな~」「ちょっと磨いて文字をなぞったら、少しは生きるかしら」など、一人でつら~思っていました。
新島里子さんから村ネットで、看板の更新のことを聞きました。里子さんはあの看板が小島の手になることを知っており、また、あの書跡を惜しむ気持ちもあり、私の知らないうちに消えてしまうことを惜しむようでもありました。
しかし、私?がなぞる?
永年、小島の書の制作の側に居たとはいえ。いや、かえって、とても~、そんなことは考えられません。 もう文字も薄れて下の方は読めない、小島の筆跡は消えている。
消えてゆくべきものとして歴然とある。もう十分、お役は果たした。
お炊き上げでよいのではないか。
ふと、息子にメールしてみた。小島のことも その書も大好きな息子である。返事は「お炊き上げが良いと思います。循環しないとね(*^_^*) 風通しが良いのが良いでしょ~」なんか拍子抜けする程だった。
ところが麻野幸子さんが運研、その他に出して、「あの文字がいい」「かっこいい」の声。
あの書を惜しむ里子さんの想いがつながって、里子さんが筆をとってくれることになりました。
この間、幸子さんはコマねずみのように走り廻って、板木や墨、その他、何人もの人をつないで、準備してくれました。
里子さんと二人で「ア~でもない、コウでもない」と文字通り額を寄せあい老眼をこらして仕上げました。楽しかったです。
出来上がった看板を見て、そのたっぷりとした墨跡から、「公用館 村人涵養所」として、その建物に掲げた村人の、熱い想いが浮かび上がって観えるような気がします。
単なる場所としてのロビーでなく、その空間の内容を示す「公用館 村人涵養所」なのだと。
自分では「消えゆくもの」としてしか見ていなかったものが、縁故の人の想いがつながって、思いもかけずはっきり、形となってたち顕われたことに感動しています。
3月1日 小島林子
看板を外してホコリをやさしく掃ってみると、筆の跡がくっきりと。墨の作用で板が朽ちないんだそうです。
作成中のお二人、まるで女学生みたいに若々しく楽しそうだった、と周りの住人の声。とっても嬉しいなぁ。
林子さん・里子さん
すてきな看板に蘇りましたね
小島さん喜んでいると思います
これを聴いた私も心ほっこりしました
息子さんのさっぱりしたお返事も気持ちいい
なにより 沢山の人たちの中で「どうしようか?」と出されて
こんな風に蘇っていったのが 何よりうれしかったです
ありがとう
看板が描きかえられたことで、涵養所って看板があったんだとかあらためて小島さんの字を観てみたとかいろんな声が聞こえてきました。
金曜日の研鑽会ではいろんな案が出ていて、この看板はそのままにして、ヨーロッパの街にあるような吊るすタイプにロビーとの表示が素敵!の声が多数しめていました。
全く新しい看板にして、各家にも分かりやすい表示(来訪者はともかく、自分たちでさえどこの家?とよくわかっていない)がいいな~とか。
春です!新しい看板も楽しみ!
みなさんどうですか?
小島さんからの心が文字で繋がること、すごいなぁと思いました。
蘇りの工夫していく様がなんだか楽しそうに感じて。
また新しく展開して風がふいていくのが楽しみだなぁと思います。
繋がっていく、その様が楽しみに感じて、コメントしたくなりました。
掲げられたものを眺めると、やはり筆勢が足りないようです。
故小島茂雄さんへの供養になれば、とそれだけです。
息子さんからのご返事、それこそ「粋」でしたね。
今更のように故人を懐かしんでおります。