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平成から新しい時代へ


平成から新しい時代へ

平成30年の総決算

 

専門分業・愛和館の暮らし方・提案と調正・産業と生活・・

 

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○平成から新しい時代へ

3月度テーマ

○平成30年の総決算
○専門分業・愛和館の暮らし方・提案と調正・産業と生活・・

今月は、一志実顕地から送られてきた放談会の様子を紹介します。
.一志は平成3年(1991年)に発足、再来年で30周年になる。
.高等部がサツマイモを作り始めたのが始まり。
.最初は豊里実顕地一志農場だった。
.水がなくて苦労した。お風呂でも全身を洗面器2杯で。
.錬成研修所があったから、一番多い時で160人位。
.今思えば鶏舎と鶏舎の間に生活館があった。
.今から思えば もう戻れないね。
.最初は実顕地を作るというよりも、百万羽農場を作るためにできたという意味で、他の実顕地の始まりとは違い特殊。産業がメインで生活は二の次という感じで。
.88万羽いた時は、ラインから卵がザクザク流れてきて、そのまま川に流れたら良いのにと思っていた。
.調正所や調正世話係をなくそうという動きがあった。とにかく調正という言葉が嫌だった。物事を特定の人が決めるというのをやめたかった。
.その当時は、豊里から調正世話係が送られてきた。詮衡委員会は開かれていなかった。
.調正世話係をやっていた人が村から出て行った。調正世話係をやめて仲良し班窓口でやって行こうとなった。窓口は受けるだけで、みんなで考えていこうということで、全研が開かれるようになった。
.その当時みんなの意見を聞くということは画期的なことだった。自分の意見を出していくというのはすごいことだった。
.「誰かが考えてくれているから自分は考えなくてもよい」から「自分の頭で考える」という流れになった。
.やってみると仲良し研で自分の提案を出すことがつらいというのもでてきた。自分が全部を考えなくてもよいというのも理解出来た。意見があることは大事だけれど、なんでも出すことがその人にとって考えやすい場かどうかということもわかってきた。
.最近代表制でやりたいとみんな思うようになってきた。
.いろいろあったけどヤマギシズムのせいにしたり、実顕地のせいにするのはおかしいと思う。あくまでも自分が信じて決めつけていたと。
.30年間ヤマギシズムにとらわれていてつまらなかったが、とらわれの30年から新しい30年にしたい。
.あの当時は文化元年ということでやってきたけど、今新たに愛和館とか何か変わろうとしている予感がする。今どうやったらよいか。これが楽しい、心を寄せるというのがよい感じがする。
.今朝市でやりたい人がどんどん増えて、一志の雰囲気が変わってきた。こんな感じでやっていきたい。

各実顕地の研鑽会でも、平成30年の総決算ということで、いろいろな話題でもりあがっていることでしょうか。思い出話に花が咲いたり、芋づる式によみがえってきて思わぬところで繋がっていたり、、。はたと、総決算とはどんなことかと、改めて立ち止まったり。
一志での放談会では、思い出話から一転、総決算の中身が浮かび上がってくるようです。
その時その時は、渦中にいてそこをやろうとしてやってきたわけですが、今の私が、私達が改めてそのことをみた時どのようにみえるでしょうか。例えば暮らし方の研鑽をし形から入った愛和館での暮らし方と今の愛和館での暮らしや、職場や役割を専門分業としてやっていたことなど、、。新しいことをやっていこうという今こそ改めて考えてみたいテーマでしょう。

放談会の中に出てくる朝市の様子や、村ネットに先日投稿された「ウインナー製造機がやってくる」など、平成31年今現在の私たちの、実顕地の実態がそこに顕れているようです。30年、50年、60年と続いてきたヤマギシの村づくりも、新しい時代にまた無限に広がっていくことでしょう。平成30年の総決算を寄せ合うことで、新しい時代へと展開していきたいです。

実顕地研鑽部