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研鑽学校 榛名


全員参加研鑽学校、榛名に参加してみて

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研鑽学校で2週間いろんな実践テーマでやってきたなかで、自分が相手とどうしていきたいか?を考えたなと思う。

「私意を全部尊重して公意を見出す」ええなと思った。

その後の特講の世話係でも、帰ってきてからの榛名での日々でも続いてるなと思う。

少しずつ少しずつ丁寧に桃子さんとも子どもたちともやっていきたいです。

杉崎浩章

研鑽学校に係で来てくれた永瀬さんと宮本さんが出発する時、生活メンバーと一緒に寄った中、一人一人が短い言葉で自分にとっての研鑽学校を出してくれた。そこで「これを村ネットに載せたい」と言う人がいた。「しまった、テープでとれば良かった」と思った。そこから「全員参加の研鑽学校を全員で村ネットに表したい」という気持ちが湧いた。

次の日、出発研に行って、それを出したら「そこまでしなくていい、書きたい人でいいんじゃないか」というのが出て「そうだな」と思った。「やらなくていい」の上で「やれるところまでやってみょう」と思えて、そういう気持ちでいることをみんなに伝えた。

すでに書いて、送った人が一人いて、書こうと思って、書き始めた人が一人いた。その人が赤ちゃんを見ながら一生懸命書いている姿は何回も見たけど、三日たっても、「まだ」と言われた。「とりあえず書いたものを入力してみるよ」と言って、ごみに捨ててあったものもあわせて10枚くらいをもらって、載った話を全部入力してみた。本人がどうやって、もっと短くなるのか、と書く順番に悩んでいただけで、入力したものを見せたら「これを言いたかった」となって、やっと一人を送れた。

食事しながら、隣の人に「書けますか」「書けません」「喋れますか」「喋れません、ようするに・・・」「ちょっと待ってスマートフォンをとってくる」というやり取りで、話してくれることをロックオンして、入力することになった。

そんなことを一緒にやりながら、その人がなんとなく思ったことをもう一回言葉にすることで、これからやっていきたいことがもっとあきらかになって、周りの人がそれを読めることで、もっと近くなって、そこを一緒にやっていける感じがしたのと、話してくれた、書いてくれたものに触れて、次から次へ一人一人に声をかけたくたった。

この研鑽学校が実現できたこと、榛名だけでやれたことでなくて、今までいろんな実顕地で研鑽学校をやったこととか、係が来てくれたこととか、大きな繋がりの中でできたことで、それをまた次に繋げたい気持ちもあった。

声をかけたら「考えて見るわ」と言ってくれることは嬉しかった。ここまで言葉にしてくれたことには驚いた。一人一人の中にもっともっといっぱいあるけど。一部を一緒に出せたのは嬉しいし楽しかった。

梶山リッタ





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私意を全部尊重して公意を見出す

(私が公意を見出すってどんな感じ)

1人1人の私意というよりも、私個人の中にあるいろいろな私意について...自分が意見を公にする時など結構自分の中で複雑な考え方をしている、基にあるのは自分を守ろうとしている自分を良く見せようとする回路
(この回路は人間は動物でもあるから自分の種を残そうとする本能的なもので、あって当然だと思う)
を通して考えていることを自分自身で押さえること、ただこの回路は自分でも見えにくい、この回路を通っていることを自分自身気づかないように訓練されているため気付きにくい、例えてゆうなら3Dの絵本のようなものだ。普通に見ているだけなら平面にしか見えない絵でも、少し視点を変えるだけで立体的に見えるようになる、この視点を変えて自分の考え方を立体的に見ることは自分たちが公意を見出す上でとても必要なことだと思う。またそうでなければ私意を全部尊重したことにならないし、公意も見出しずらいんじゃないかな。

中嶌昭二

私は夜の研鑽会、朝の生活部の打ち合わせと30分か1時間の魚菜、それ以外は部屋で休みながら研鑽学校に参加できたこと、こんなに元気になったことはとても不思議。

毎日のテーマの実践、ここの生活の女の人の群れに入れてもらったことはめちゃくちゃ楽しかった。こんなに人の中に入っていけた感覚は初めて。

今までは、自分の体がみんなより大きいということでもないけど、いつも自分が浮いている感覚があった。

何が違うかなと考えた時、「自分」という感覚がない時があったことに気づいた。

ほぼ毎日食べている、また大量で来たズッキーニを見て「夏のポタージュにしたら、みんなが食べやすいかも」というのは自分から出たというよりも、ズッキーニから、みんながズッキーニを食べる風景から引き出された感覚。

いろんな実顕地から送ってくれた果物やデザートを見て、それをいつ、どう出すか、自分で考えたいというよりも、そのものが、そのものを送った人たちの気持ちが自分を動かしている感覚で「私はデザート担当やるわ」と出てくる。

周りの女の人たちもそんな感覚で動いているように感じた。一人一人が自分の気が行くところをやって、それが踊りになって、不思議に毎日食事ができてくる。

たまたま集まった、特別の人が一人もいない人たちで、こんな山の奥の何にもないところに、こんな、お互いに見守り合っている世界があることに驚いた。ここに実顕地がある。その中に私がいる。嬉しい。

もうしばらく一緒にやれるのもまた嬉しい。

梶山リッタ





後藤さんが夜の研鑽会中に子供2人を見る当番の日だった。研鑽会で「今、後藤さんが子供を見ているのは公意」と出された。

その時私は「えー、そうなの??」という感じ、そんなふうに思っていなかった。

だけどこのことが「公意としたらどうなのか」「公意とは?」と、考え方の方向を考えるキッカケとなった。私意はあらゆる場面で出てくる。それを、公意としたら、どういうことか・・・

自分の私意が出て来る度に「公意だったら」と、自分の中から湧き上がって来て、又考えている、もっと探って、見出していきたいと思う。

後藤節子

「私意を全部尊重して公意を見出す」

相手と話をする時、自分の私意を押さえながら話たり、逆に押しつけたりしている自分がいました。

私の私意を素直にそのまま出す事で、相手の私意もそのまま聴ける感じがします。

そのままの自分を観る。でやっていきたいです。

佐藤みつ子





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研学入る前に、私は落ち込んでいました。
これからの養豚、種豚、育成をやりたい、身近な人が多く病に倒れ亡くなったりとか、また90才の車椅子生活の母を見るのも、何年続くかと疲れて来ていました。
研学が始まり、夜の2時間長くないが、時期からして、夏場の一番暑い時、豚の水かけ、エサやり、管理がむずかしい時、最初は今日は疲れた、やすませてもらうと、
今日は何にも言わず寝ていようと
でも一つ一つ聴く、言う、実践テーマでやって見てです。
(つい出てしまうんです。出て来るんです。思うんです。)
研鑽モードに入って、2時間はすぐ終わってました。
榛名のメンバーはこんなにいっぱい出すとは、驚きました。
普段の暮らしの中では、この人の事は心の中はみえない、知らない事ばかりでした。
実践テーマでやる、毎日実践してるはずです。なかなか出て来ない、でもどんな感じかなーと。感じかなーなら出て来る、答えを出す事ではない。
永瀬さんが言ってました。たかが50年でしょう、長い歴史の中での50年、いく世代にも渡って、研鑽生活をしようとしてる、未だかつてない事でしょうと。
皆、思う所が有り実顕地に参画して来てる。お互いをもっともっと知り感じ取って行く事かと思いました。
夕方の仕事の帰り道、永瀬さんが宿舎への坂道を歩いてました。その後姿は右手に杖を付き、よたよたとしんどそうな姿でした。あんなに元気で、身も頭も切れて、(頭は今も切れる)体はもうキツい、ボロボロになるまでやって来たんだよね。
その後姿に歴史を生きざまを、見ました。
私なんか未だ未だやなーと落ち込んでる間はないと思いました。
榛名には杉崎家の4才と2才の子がいます。ばあちゃんの部屋に来ます。ベットで遊ぶのと、あめ玉ないかと。この前あめ玉とサイダーを海君が食べてしまいました。ばあちゃんが自分のがないと言い、でも来たらあげたいしねと。この子達の成長とばあちゃんの老いて行く事が同じ様に思いました。今度大介に子供が生まれます。この子をだっこ出来る母は幸者だと思います。
この母を見てる私が一番幸なのかなと、思いました。

佐藤廣司

「一致」とは
何が一致?

あなたも私も 皆 幸せを願って生きている。
これはまぎれもない事実で、そして
幸せな世界に私たちは生きている。

研学の中間あたりの時でした。
途切れる事なく思う事を出し合う内に
どこからともなく、こんな思いがわいてきました。

なぜ人にひっかかる?
なぜ不安になる?
なぜ?なぜ?とグルグル回る。

それも みんな 明るい世界でやりたい私だからでした。
明るい世界でやりたい あなたも、私も。
希いは一つ――で 一致してきました。

今の私は こんな風に感じ
皆と一つを実感して スタートしました。

これから どの様に変化するか、
しないか わからないけど
どちらも楽しみです。

幾瀬まち子

この度の榛名メンバー全員参加の研学を終えて思った事。
最終日に示されたテーマ「実顕地一つからの出発」「共にやる」が心に残りました。
これ迄、研学で気付き、実践しようと出発し、帰G後、日々暮らすうちに、賞味期限が切れる事を笑い話として語られていたのでは?
今回上記のテーマを私の日常の実践とするに、榛名メンバーと共有し、響き合って行く、心強さを思いました。
「賞味期限はありません。」楽しみです。
“村ネットに寄せて”との、この企画リッタさんの実働力に、感動!感謝です。「ありがとう!」

増田申子

人並には動けない自分なので、やる仕事は研鑽会に出ることと思っていたが、いつの間にか、それ以外のことに夢中になって、二の次にしていたが、研学を終わって、幾瀬さんが出発研に出ている姿を見て、私のやりたいこともそこだなと思った。みんなの中に寄っていく、そこがやりたい。

森路節子





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R: 研鑽学校が始まる前、研鑽会に参加できるかどうかの心配があったね。

G: 何回も言ったけど、わしは耳が遠いで、クーラーの音が出たら、全然、ほとんど聞けないと言ったから、みんながクーラーを調整してくれて、わしが補聴器を使って、基本的には聞こえやすかった。声の小さい人が時々おったけど、それは他の人に通訳してもらった。

R: 後藤さんの話が長いと言われたね。

G: 自分は喋るのが下手だから、それをカバーしようと思って、同じようなことを何回も言う。途中で「長いから、一回で言え、わかるから」と言われた。それをやってみようというのは、それで全部伝わるという自信がなかった、今もないけど、そう言った人がいて、やってみようと今でも思っているけど。また自分でわからない、一回でね、自分の思ったことを話せるかどうか、わからないけれども、やってみようと思って、やってみた。それは自分としてどうだったのかな、答えは出てないけど、取り組んでいる、そういうことですね。
普段の生活の中でも、仲良しが深まっていけば、それこそ、子供も、そういう実顕地なら、おりたいなと思うんじゃないかと、あくまで期待ですけれども、ということだね。総論として、研鑽学校の総論として、自分の中の総論としてはそういうことが、と思ったけどね。

後藤滋樹

榛名で研学やってみて

背中を押されたので軽く出してみます。
榛名で研学をやると聞いてまず
子供達居るしどうしたらいいんだろうとか
みんなの前で話すの苦手だしというのが出てきた。
そういう思いもあるけど色々考えるいい機会なのかなと思い参加した。
子供達はと言うと
かいとあつとは榛名の人で当番制で見てもらい、
つむぎは友菜に見てもらうことにしました。
毎日テーマが出るけど私は子供達とはどうなのか?
相手の話を全部聞く、相手は何を言いたいのか等。
やってみたけどさっぱり出来ませんでした。
自分に余裕があったり、落ち着いているときは話を聞けるけど余裕がなかったり聞ける状態じゃない時はカッとなって怒ってしまうそんな自分です。
それがダメとか落ち込むとかじゃなくてそんな自分も居るんだなぁって感じ。
榛名の食生活で子供達を見てもらって自分は職場に行ったり子供の送迎をしてるけど、何となく遠慮したりこの時間は食生活も忙しいよなぁ。。とか気を遣ったりするけど私も楽に、みんなも楽に、共にやるを一緒にやっていきたいなぁー。軽く出すもね。

杉崎桃子

ようするに、まず相手の話を全部聴く、言葉の奥にあるその人の心の声まで聴く、それがこれから自分のやっていくことだなと思った。

斎藤克彦,/h6>





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R: 研鑽会で「最近メニュー板書いてないことがある」という話題が出た時「モンクを言いたくないから、何にも言わない」の伸ちゃんの発言とか「私意ってどんな感じ」とみんなで出し合った時、毎日集卵をしながら、モミガラの量と汚れ具合を見て、自分の動きも考えて、いつ足すか、または入れ替えるかと考えながらやっている話が自分の心に残っている。「昨日桃を食べたから、今日は要らないと思って、くじを引かなかった」などの伸ちゃんの観点が新鮮だった。
初めて研鑽学校に参加してみて、どんな感じだった?

S: 「どんな感じと言われたら、何とも言えない」

R: 参加して良かったと思う?

S: それは参加して良かったと思う。いろんな話が聞けて、それが良かった。

田中伸

榛名でやれたのが良かったと思う。
夜の2時間ぐらいがちょーどよかった。
リッタさんが一緒に入ってくれたのも良かったです。

稲越大介





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かんよう日の、 夕食時 愛和館に行くと、
カウンターに数個の桃と くじの入れ物が置いてあった。
「桃は、 くじに当たった人 1個どうぞ」と書いてある。
桃食べたい! くじに当たって 桃をゲットしたい。
食事をしながらも 桃の 行方が気になる私。
くじに当たる人、 外れる人、 周りの人もそれを見て 楽しんでいる。
当たりの人が続き、 桃が 1個になった。
当たる確率が 少なくなったと焦る私。
食事を終え、 当たりますようにと 願いながら くじを1つ手にとった。
あれ、 このくじ、 初めて見る形。細長く くるくると紙が 折りたたんである。
その折り目を 1つ1つ広げていった時、 1つ1つ折って くじを作ってくれた人の情景が 心に浮かんだ。 私は 折り目のついた 白紙の紙を しばし 眺めた。

中嶌慶子

いつもの研学だと意気込んで参加していました。
今回の研学は、いつものメンバー、いつもの場所、いつも通りの暮らしの中での研学という事で、気軽に望めました。そんな事もあり、楽しい研学にしようと思っていた事が実現出来たと思います。
これから実践生活に移りますが「全ての私意の尊重」、「公意を見出す」や今回感じた事、思った事等を日々忘れず「実顕地一つからの出発」「共にやる」を意識して行動して行きます。
一年一回は研学といいますが、それを一年後に実現したいという声もあり、自分もそう思っています。

藤本明彦

R:研鑽学校をやってみて、どうでしたか?
I:普段の研鑽学校と違って、この、いつも暮らしている人との、そういう研鑽学校の方がすごくいいなというふうに思った。だから、それは他の実顕地でもおすすめです。
営業やってて、いつもは生産物とか、お茶とか、ひよこせんべいとか、おすすめしているけど、それと同じくらいに・・・そういうもの。
聴く態度とか言う態度をもう少し感じられたという感じ。そこだけだなと思った。要するに自分なりの聞くでも、表面上の聞くだけで、中まで突っ込んで聴くということもしてこなかったし、まあ、言うことも自分の言いたいことだけ言うとか、そういうような感じでやってたけど、そこはちょっと違うなと感じた。

幾瀬 茂





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仲良し研でも 全員参加ということはなかなか無い中で この全員でやれたというのはとても大きなことだった。

皆がそれぞれに思うところを出しあって それを皆で 聞く 聴く・・・

ただそれだけのことなのに テーマでやってみるという そのことが入るだけで 自分の聞き方はどうだったんだろう
相手の私意を聴こうとしていたのかな・・・? などと考えるようになっていった

テーマなんか、さっぱりそっちのけで 一日を終えてしまう私でも 皆で毎晩やっていくうちに 自分の中にもいろんな私意があるな・・・

一番やりたいことは尊重しても 他の私意は粗末にして 忘れたりしてたんじゃないか

全部尊重するって 言ってたな などと考えるようになっていった

いつもの暮らしのなかでの研学

毎日研みたいで おもしろそうというのもあったけど やってみたら もっとおもしろかった

途中で自分の部屋にこもることもできた環境の中で 気がつけば 一人一人の自由意志で 「一人も落ちず 落とさず」の世界を毎晩 皆でつくっていた

「・・・ちょっと話が長いよ・・・」
「・・・まだ途中だったんたけど・・・」
いつも使っている 何の飾りも無い言葉で それぞれが思うことを出しあう

一緒に暮らしている人達の思っていることを聞きあえたのは とても大きなことだった

それがたとえ ほんの一部分のこととしても そこからまたスタートできる感じがして・・・

青い本で読んだ時は そんな社会をつくっていきたいよね!! と思っていたのが 何の苦も無くそういう社会を毎晩つくっていた二週間・・・

なんて思うと 何だか 嬉しくなった

全員参加の研鑽学校を一年一回位あってもいいねと そちこちから出てきたのも 嬉しかった



藤本弘子



何かいつも心の中に硬いものがあり、自分が不自由な生き方をしていると感じていました。自分の暮らしている実顕地での全員参加の研鑚学校を、自由な自分、誰もを好きな自分、柔らかく共にやれる自分になりたいと思い、スタートしました。
テーマが毎日出されました。それを何度も何度も繰り返し口にし、覚えるというより、自分の身体に刻み込むようにやってきました。
「まず 相手の話を全部聴く」それを身体に刻み込む,,,,相手の話が、少し入ってくる感じがしました。
「あなたの私意 私の私意 それを全部尊重する」
私意,私意、私意、、、、心で言い続けました、、、、ある朝、洗濯物干し場の戸が少し空いているのが、誰かの私意に見えました。何日か後、それと同じ状態の戸を、あれ、戸が開いてる、閉めようとなり、前と全然違う、この違いは何だろうと思いました。違ったのは私の心の在り様。
私意を全部尊重しようとしていた自分とそうでなかった自分。
何かやらせてほしいと思って厨房に入って、結局厨房メンバーがやってほしいことではなく、自分がやりたいことをやっていたのをリタさんが指摘してくれました。あったのは私の私意だけ。慶ちゃんの私意も、弘子さんの私意も私は聴こうとしてなかったです。ああ、これいつもやってる!
そうだ、いつも先ず自分の私意が来ている私だ、と思いました。
ほとんど毎朝餌をねだる猫のジーナがいつものようにみゃーと泣いてついてき始めたので、箱から餌を出してやろうとしたら、ジーナが来ていませんでした。なーんだ,おなかすいてないのか、と思って、その時ハッと気づきました。ジーナがなぜ来てないのかは、私にはまったくわからないんだ。
あなたの私意は、私には分からない,全くわからないんだ!分かったつもりで、自分を押し付けてばかりだったんだ。調理をしてて、そこにいる人と一緒に味を作りたいと思って「味見して」と言ってた時の私も、自分の味を確認してもらいたかっただけ、、、ああ、おかしい!
あなたの私意、私の私意 それを全部尊重する、、、、、それを私はこれからやっていくんだ、と思いました。
「私意を全部尊重して、,公意を見出す。(私が公意を見出すって どんな感じ)」
公意。はるか遠くにあるような感じだった公意がとても身近な、それを見出そうとともにやることが,自由で幸せな私へのただ一つの道、、、、そんな発見をした研鑽学校です。
全員参加の研鑚学校を用意思てくださったことに感謝します。

平尾和子

 

8/5 野外食

 

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7月20日から研鑽学校が始まってます。研鑽会は夜の7時~9時で、その他の時間は実践テーマでやってみるで毎日やってます。
研鑽会はみんな出たいよね。いうので研鑽会の時間は子どもたちを毎日日替わりで榛名のおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんに見てもらいながら研鑽会をしています。※1番下のつむぎは毎日友菜お姉ちゃんに見てもらってます。
今の榛名ならではの暮らしのなかでやっていて、ええなぁと思いながらの毎日です。

実践テーマは今日は、まず相手の話を全部聴く(相手は今、何を言いたいのか)です。
5日間やってきて今のかんじは、嫌んなるくらい「相手」がでてくるナ。けどちゃんと「相手」がいるなぁ。てなかんじです。

杉崎浩章

7/22より
榛名Gで研鑚学校が始まりました