前進・飛躍の年
前進・飛躍の年
前進・飛躍って何だろう
印刷 ⇒ 令和4年2月
◯2022年・年間テーマ
前進・飛躍の年
◯2月度テーマ
前進・飛躍って何だろう
「ぜひ、お正月にも特講を開催したい」ということで、この年末年始に豊里実顕地を会場に〝お正月特講〟を開催しました。全国から参加した14名の特講生と係4名は、愉快に楽しく〝仲良し社会〟を共に創って新しい年を迎えました。その様子がけんさん紙正月号に紹介されています。参加者、送り出した人、受け入れた人、世話係、それぞれが感じたあたりから伝わってくるものがあります。
1956年に第1回の特別講習研鑽会が開催されて以来、参加者一人一人からの「次の人を特講へ送りたい」「次回の特講を開催したい」と湧きあがってくるものが繋がりバトンとなり、今日まで連綿と受け継がれ開催されてきました。
「理念や思想などを言葉で表現できないものはない」と云われていることが一般的で「特講に行かなければ分からない」と言うと敬遠されることが多々ありました。一週間という時間をかけてまで大切にしている中味、ヤマギシズム運動の中で最も根幹にあり、私の原点である特講について改めて考えていきたいです。
前進・飛躍についても、暮らしの一場面から掘り下げ考えてみたいです。
今朝鯖が届いて、今日食べようとなった。
朝、数人でおろし始めたけど、もう少し人手が欲しかった。
職場 LINEで呼びかけたら、来るわ来るわ、産業事務所のメンバーが半数くらいになって、鯖をおろし終わりました。
駆けつけた人の話
出発研中に催促のLINEが来たから、終わったら行こうか、血合い洗いは誰でもできるよ、というので行った。珍しい人が来てるね、と言われた。
メニュー変更はよく有る事だけど、鯖に合わせて、小松菜を浸しにしようと昨夜決まった。そこから
魚菜メンバーに連絡して、明日の朝は一番に小松菜掃除65kgを進めよう、となった。何と、朝の打ち合わせまでに掃除と洗いが終了していました。1番じゃ無くて、0番だったね、と。
コロナの関係で、お弁当を作って届けたい、となった。
おかずは用意するから詰めて配達をお願いしたい。
パッと動いてくれる人が居る。
新年、寅年の私の今年の抱負。研鑽会で出すことに取り組みます!という発言があった。新鮮な感じ。
12月に春日山養護部から豊里に来たAさん。
朝はラジオ体操に始まり、建設に牛乳配達・出発研、衣生活でタオルたたみ、午後はトマトの管理作業。最近は日曜に愛和館美化も始めています。どこでもお父さんやお婆ちゃんが楽しんで見守ってくれている様子です。
日々、前進・飛躍です。
先月のテーマ解説にもいくつか村ネットにコメントが寄せられてきていますが「前進・飛躍」とはどんなことだろうか?と興味がわいてきます。
結果を見て「前進した」「飛躍した」という使い方をすることが多いですが、ここでいう前進・飛躍とは、結果や、相手・周囲がどうかということよりも、その過程や私の中がどんな状態であるか。ということが大切な気もしてきます。
頂上へ上るには(目的を達成するには)どの登山道からでもよいのだろうか?以前よく研鑽された「出発点はまさに実践である」が思い起こされてきます。
今月も、様々な具体例を出し合いながら、共に研鑽していきたいです。
実顕地つくりてどんなものなんだろう?
例えば Mさんの暮らしぶりが、気になる。Mさんの事でなく私のテーマととらえ直す。Mさんの職場の様子、家での暮らし、仲良し班で気にかけている人、調正所で見続けている人達の声が聞きたくなる。今あるしくみを活かして重なり合うことで迷いなくやれる心地良さ。そんな過程そのものが、実顕地つくりかな?
MさんのことはMさん自身にまかせて、まわりのひとりひとりの純度を高め合うことで血がきれいになるような循環を生み出したい。
昨日の村つくり研をやってみて
夕食前に7時まであまり時間がなくなって焦ってきた
行きたいと思って合わせた
なんで出たいと思うのだろう
好きなのか、趣味みたなもんか、付き合いが楽だからか
メンバーの思いをききたいのか
テーマをしらべる過程を楽しみたいのか
この村ネットの、これからを考えたいのかな・・・
ある人の子供夫婦らが一緒に暮らすときいた
いろいろきいていると そこに愛和館をつくるんだなあと思えてうれしくなった
形のうえでは 愛和館や家で食べていると表現するが 前進のイメージが湧いてきた
出発研で出したことが 自分のやりたいことに直結する体験を重ねている
いま 実顕地つくりってどんなものなんだろう?
一日のなかで出発研が一番楽しい モリス君がいることでますます笑いがふえた気がする! 血のつながりのない息子が帰ってきたような・・・ 口八丁手八丁の姉達がますます優しくなった気がする笑 職場が家族みたいに感じるのは 前進のイメージ 自分がどうのこうのということより人の笑顔がいっぱい見られる職場は素敵だ
今日ロボット研をした。初めて参加したがすごくおもしろかった。エアーから水が出る話は盛り上がったが前進のイメージがぴったりだと思った。
この前春日のロボットの事をきいたことも前進につながっているなと思う。
ロボットにはたきをかける話しにはのってしまって、思わず白い割烹着でやるってジョークまで出ちゃった。
豊里実顕地に来たAさん。肉牛部の職場参観も提案、仲良し研、食器洗浄にも「やる!」と参加、実顕地で自分の出来ることを探して意欲満々。
2か月過ぎて、ちょっと疲れ気味の感じ。周りからも「母が頑張らせてるんじゃない?」との声も、それは重々承知。
仲良し研の日「今夜は疲れて、休みたい。」と言い出した。
その通り仲良し班の人にメールを送ると、すぐ返信「疲れてない時に来れたら、それでいいですよ。」
すると、「優しいな、男の人は皆んな怖いと思っていた。」とAさん。それから1時間半ほど、いろいろと、今までの思いを話していました。
頑張って何かをやるのも楽しいけど、そのままの自分を出して伸び伸びと暮らしていく「愉しさ」に気づき始めたかな、と。
これも「前進・飛躍」だなぁ、と母は見つめています。
ここ何年か、小豆メニュー(赤飯、あんこ、ぜんざいなど)をよくやらせてもらう。最初は仕事だからと、ただ必死にやっていたけど最近は出番だとばかり何日も前からワクワクする。
N HK朝の連続ドラマに、あんこのシーンがいっぱい出てきた。「りっちゃんが思い浮かんだ」なんて言われると豆の一役が一層輝いた。
何日か前、金時豆を煮た。回転鍋に何時間も張り付いている私に「替わろうか?」と声かけてくれた。「ありがとう…だけどこれが至福の時やねん」自分で言って驚いた。途方もない(よろこび)の種は誰の中にもあるにちがいない。
職場の出発研で今月のテーマの資料を読んだ。
弘子さんが、「最近、もやっとした事があって、いつもはそのまま通りすぎてしまうけど今回は、後からその時の自分の心の状態を振り返る事が出来て、その時に、今までに無い初めての感覚を味わった。」と嬉しそうに話してくれた。
資料の中の「日々前進・飛躍です。」の一節が目に留まった。今年のテーマを最初見た時は、実顕地が今年はどんな風に前進・飛躍するんだろう、一年先の事はあんまり想像出来ないなぁという感じだったけど、今、このテーマは私のテーマ。私のやりたい事だったんだと気付いた。
日々、気付いたところから、私が真にやりたい事を、今私がやれる事をやっていく。一歩一歩、時には「えいっ」とジャンプしながら、皆と共に進んでいきたい。
私の具体例を出しながら、「そんな場面だったら、相手の人も考えられるようにしたらどうか」という意見が。
へ!私は戸惑った。相手の人には思いが及ばなかったので。
「私は何を言われても腹が立たないひとになりたいだけ。」と自分の思った考えをそのまま言った。
すると、「それでいいと思うけど、何か足りない気がするなぁ。」と言われた。
出し合っていくと、我ひとり、努力の世界をやっているような・・・
更に、「腹の立たない人になりたいのは何で?」と問われ、 ア~、みんなと溶け合って仲良く暮らしていきたいから!
いつの間にか「手段」が目的に、というより、「目的」がハッキリしていなかった、と思う。
出発点に立ったばかり。おぼつかない足どりながら出発!
1日の村づくり出発研でも「自分の喜びは他の喜びとなる心境になれない限り」について色々出た。私は、よろこびについて考えてみた。
経験したことのない、途方もない、よろこびがあるんじゃないか?
実践の書に「 家が傾こうが、債鬼に迫られようが、病気に取り付かれても、将来誤った観方をする人達から、白洲に引き出されようとも、先ずこのよろこびは消えないで、終生打ち続く事でしょう。」
そんな「よろこび」に想いを馳せるだけでも前進飛躍だ。