O-35 第7回準備研 開催
今回は、なんと言ってもいわきから坂神さんが参加されたことが大きかったです。さらに、実顕地の活動として、また個人的に被災地に行かれた西村さん、大堀夫婦、そして黒柳夫婦の活動レポートも、とっても心動かされるものがありました。
特に、坂神さんの仰った
「地震や津波では、ああこうなってしまったか、と割合平静に受け止めていたのに、実顕地から緊急に物資を届けてくれた車を見送ったあとで涙が止まらなかった」
「30年前の特講の同期だった人や2年前の研学の同期生から、また小学生の時の同窓生など多くの人から水や野菜、その他いろんなものが送られてきて、人の繋がりの大きさ、有り難さを痛感したことなど、震災があったからこそ体験できたこと、気づいたことがとても貴重です」
等々本当に貴重なお話を聞くことができました。
その他、被災地を訪れた5名の方のお話もとっても心に残りましたが、それは後の参加者に譲ります。
※一番心に残ったことをひとつだけ。心が動いた時は押さえないでやる!これをやります。
【西宮供給所 鎌田茂樹】
5/22 「O-35に出てみて」
充実した半日であった。
特に被災地から来られた坂神さんの言葉の一つ一つが
胸に飛び込んできた。気負いもなく、変に沈み込むのでもなく、
淡々と事実を受け止めておられることに「あーっ、こんな人もヤマギシの
会員さんにいるんだ」と感じ、自分が行った南相馬のあの惨状を見たので
余計に感心した。そして菊池のオバアちゃん、じゃがいも畑で私も
積極的参加したい、しているとの話。やっぱり、これも良い。
そこで思ったのはヤマギシに集う人、皆すごく能力も感覚もすばらしい
人が集まっているのに何故「面」として見えてこないのだろうと。
大阪供給所の川渕Wの輝いた進行、集う場を提供してくれて
ありがとう。
O-35
愉快に、笑い合って暮らせる社会創りの大阪供給所です。
いわきから来られた坂神さんが「熟成から発酵の世界に入りたい。」
とおっしゃられた。我が意を得たりです。
O-35のネーミングの真意も同じ境地だったのです。
発酵の世界は認め合い、響き合う世界、「それいいよね」と幸せに
成り合う世界。そこを目指してのネーミングだったのです。
40年前ここ大阪で生産物拡大に燃えて過ごした人達が8人。
25年振りに来た人が4人、総勢31名。
7回目のO-35に相応しい中身に成りました。
次回6月21日(土)がどんな展開になるか今から楽しみです。
大阪供給所 川渕 通生
O-35
坂神さんがいわきから参加してくれました。
その事実だけで感動です。
心から湧き上がるもので行動に移す。
その動きの早さに又感動です。
坂神さんの存在そのものが感動なのです。
坂神さんとふれあえたその事が私の幸せです。
必ずいわきで真の供給所を創り上げます。
共にやらせて下さい。
いわきの人達に逢いたい、被災地を訪れたい、その一心で14、15日
1,576kmを走った。救急病院で看護した人、6時間並んで水をもらった話、現実を受け止め、ただやったらいいことをやるだけ、悲壮感もなく
攻めることもなく、あるのがあたりまえだったものが本当はどうだったんだろうと
今生かされてることの意味・ありがたさをかみしめていた。生の声に胸がふるえた。
そして、坂神さんが夜行バスで来てくれた。田中まさ代さんは八尾から4人も誘って来て
くれた。菊池さん、よしえさん、浅野さん、丸田さん・・・ほんとうにたくさんの熱い心が寄った研鑽会だった。
心が動く、 行動を起こす、そして世界が拡がった。
どんどん楽しくなってくるO-35 オーサオコー
来ました、大阪へ、 そしてまだ今大阪で、
こんな年齢になってこんな歓び、
豊里から、春日から、一志から、私の人生を大きく
左右した人物が、大勢、総人数 31名
大阪供給所設立35周年の準備研なのに、いわきの私の話を
全部聞いてくれた。
震災後の中から見つけた楽しい私の生き方を今回の集まりで確認し、
自信になり新しい私としてスタートしていくような興奮すら産まれた。
初対面なのにず~と友でいたような私の新しい財産のような気持ちにすら
なった。
まだ楽しいだけの余韻の中で、今回のみんなに感謝、そして
大阪供給所に感謝。
いわき 坂神 廣親