ページを印刷 ページを印刷

『けんさん』って何だろう?


こころのメモから<2>

“けんさん”って何だろう?
 ――こころのメモから(2)
 
 もう少し“けんさん”についての独り言をつづけてみたい。

 研鑽というものに初めて触れたのは、39年前の特講で怒り研を体験したときのことであった。一人ひとりが腹立ちの実例を出して、「それでなんで腹が立つのか」と聞かれる。いくら状況や理由を説明しても、「そういう理由があったらなんで腹が立つのか」とまた聞かれる。

 えんえんと一晩中この問答が続く。輪の中央に置かれただるまストーブだけが、発言の途切れがちな参加者の間でゴーゴーと音を立てていた情景を、今でも時々思い出すことがある。

 このときの特講は、翌日もまた怒り研の続きであった。同じ問答が続く間に、朦朧とした頭の片隅で「しかし、そうした事情があったらなんで自分は腹が立つのだろう」と、ふと自分に問いかける瞬間があった。同じような事例で腹が立たなかったこともあったではないか。また他の参加者の事例で、自分だったら腹は立たないな、と思えるものも幾つかあった。そうこうしているうちに、突然目から鱗が落ちたように、心も身体も急に軽く明るくなった。「なーんだ、腹は立たないんだ!」と。

 このときの体験を後になって振り返ると、無意識のうちに自分を捉えていた「腹が立って当然」という常識観や正義感から一瞬のうちに開放されたのではないかと思う。もちろん、これで怒りからいっさい開放されたわけではないが、この体験は大きかった。しかし、そのうちに今度は「腹が立たないのが本当」という観念に縛られることになった。そして「腹が立つのはいけないこと」という抑制心理が働きだした。すると、自分の内心に生じたもやもやを「なんで?」と調べる代わりに、それを「あってはならないこと」として心の奥底に押し込めるようになる。開放されたはずの常識観や正義感が、別な形で付いてしまった。

 そんな自分の経験から考えると、研鑽というのはいつの間にか付着してしまった観念、つまり「正しい」とか「当然」とか「これでいける」とかの無意識の観念を、「本当はどうか」「なんでそう思うのか」と振り返り調べることではないかと思う。事柄を進めるための話し合いは日常生活では欠かせないことであるが、この話し合いそのものが研鑽なのではなく、研鑽とはこれをとおしてまず自分の中の、そしてお互いの中の観念の所有物を「なんで?」「本当は?」と調べることにあるのではないだろうか。

 しかし、「わかってしまっている」人、イズムの本質あるいは真理を「捉えている」と考えている人は、「なんで?」とは考えない。考える必要を認めない。なぜなら自分が“正しい認識”に立っていると思っているから。

 参画した当初、古い参画者から「わからなければわからないほど良いのです」と言われたことがある。よくわからなかったけれども、なにか心に残った。この十数年、さまざまな心の揺れをとおして、わからないことはいけないことではなく、それが事実・実態なのだと素直に認められるようになった。だいたい時間的にも空間的にも相対的な存在にすぎない人間が、宇宙無限の真理に到達できるはずがない、と思えるのだ(これも断定かもしれないが)。とすれば、わからない自分になって、わからない自分たちであることを認め合って、わからないからこそ謙虚に真剣に、本当はどうかと調べてゆくことだと思う。それを自分が正しい、相手が間違っていると決めつけてしまえば、もうそこには研鑽の入り込む余地がない。対立の芽はそこから広がっていく。ただ、自分を省みればわかることだが、多くの場合、研鑽にならないのは相手に問題があるからだと考えやすい。正しさ・正当性を自分が所有していることには気づきにくい(そして今も自分がそうした思考の落とし穴に落ち込んでいるのかもしれないのだが)。

 おそらく正しいか正しくないかには、たいした意味はないのではなかろうか。研鑽学校でもやるように「人間の判断能力」なんて当てにならないもので、どんなに正しいと思われたことでも、あとで間違っていたことがずいぶんある。ずいぶんどころかほとんどだと言ってもいいぐらいだ。とすれば、研鑽にとって大事なことは、正しいことを決めるというより「正しいかどうかわからないから、一応これでやってみよう」という一致点を見出すことではないかと思う。絶対の基準というか、動かせないものを持ちさえしなければ、決めたこともいつでも動かせる。そのさい大事なことが「なんで?」「本当は?」と調べ合う態度であり、その姿勢を共有することを仲良しと言うのではないかと思う。だから、相手に迎合したり妥協したりする表面的な仲良しは、「うそ、偽りや、瞞着の無い」「真実の世界」からは遠ざかるばかりと思えるのだ。

【内部川実顕地 吉田光男】

こころのメモから<1>

 私たちは、日常のように「研鑽」という言葉を使っている。また、何かしらの研鑽会が、毎日どこかで開かれている。そして「研鑽がヤマギシの生命線だ」と言ったりする。しかし、その研鑽なり研鑽会が、しっかり機能しているかどうか? ふとそんな疑問が湧いた。

 ヤマギシズム運動の歴史を振り返ると、今まで何回か分裂の危機を迎えたことがある。大きなものでは、1964年の福里柔和子さんを中心とする人たちが大量に脱会した大津モーテル事件、また最近では2000年の杉江さんたち旧試験場とそれに同調する人たちが鈴鹿に集結していった事件、詳しいことはわからないが、両方とも内部で繰り返し研鑽会が持たれている(「春日山50年のあゆみ」参照)。しかし、研鑽で考え方の違いは解
消されることなく、出る・出されるといった分裂の結果となった。今でも聞くところによると、六川実顕地と紀南実顕地の間で熾烈な対立が続いているという。北条実顕地とならんで実顕地第一号とも言うべき六川の内部から、まさに骨肉の争いが起こっているというのである。

 なぜこういうことが起こり、また起こったのか。ヤマギシには研鑽がある、研鑽ですべてが解決される、研鑽こそヤマギシズムの生命線、等々と私たちは言ってきた。その研鑽が、いざというときになぜ無力だったのか。2000年当時、私は何人かの人に「なぜ研鑽で解決できないのか」と聞いてみた。しかし、その衝に当たっている人からは明確な答えは何も得られなかった。また「こういうことは根掘り葉掘り聞くものではない」という
おかしな抑制作用が自分の中で働いた。その後十数年、私の知る範囲ではこのことが実顕地内で研鑽されたことも話し合われたこともない。ということは、これからも同じ大事が起こる可能性は、解消されていないということである。

 しかし、もっとも大事な場面で機能しなかった研鑽が、日常の小事においては効果を上げているのだろうか。むしろ日常の小事のうちにこそ、大事が含まれているのではないだろうか。毎日の生活が真に研鑽生活として送られているなら、大事が発生するはずはないと思われるのだ。

 そもそも研鑽とは何なのだろうか。話し合いではなく、打ち合わせでもなく、討論でも研究でもないとすれば、いったい何なのか。山岸さんは「正解ヤマギシズム全輯」の出版計画打ち合わせの中で「世界中『けんさん』という言葉で使うようになるようにしたい」と言っている(全集7巻308頁)。要するに“けんさん”は翻訳するに適した訳語がないし、下手に訳せば誤解の元になると考えたのではないかと思われる。

 山岸さんが世界語にしたいとする“けんさん”を、私たちは世界語として用いているだろうか。単なる話し合い・打ち合わせの代名詞として使っているのではないだろうか。このことをぜひみんなで考えてみたい。話し合いのときも、作業するときも、一人でいるときも、その暮らしの日常をとおして私たちは何を研鑽しているのだろうか。どんな研鑽生活を送っているのだろうか。

【内部川実顕地 吉田光男】