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実顕地が伸展するには 【3】


私の中のヤマギシズム

実顕地が伸展するには 【3】

 実顕地づくりを進めていくに当たって知っておかなければならないことは多々あると思うが、ヤマギシズムが究明され世に出て拡大されていく経緯と、実顕地発足から今日に至るまでの道のりを振り返っておくのも大事な参考資料と思うので、いつどんなことがなされてきたかを顧みておきたい。但しこれは私自身が捉えたこと感じたことであって、事実と或いは他の人の捉えたものと著しく異なることもあるかも知れないが、これが事実だと言おうとするものではない。今の私の思い考えの出所としてみていきたい。

 山岸さんは子供の頃から人間社会の有り様に何かを感じ、十代半ば頃からそのことを考え始め、二十歳前後の三年間で本当の世界を究明、真理は一つであり、「理想は方法によって実現し得る」という信念を固めた。

 しかし、今日と違い当時の世相にあっては、発表するだけでも迫害の及ぶ恐れもあり、究明した「社会組織のあり方」を鶏の社会に応用実験すべく養鶏を始める。

 そして本業とする(理想社会への道)の著述、百万羽養鶏の構想へと発展していく。これまでは著述として後の世に遺すべく進めていたが、1950年のジェーン台風を機に山岸の農業養鶏技術を地域の農業普及員に見出され、講演会などに引っ張りだされて、山岸の話に共鳴した人達により「山岸式農業養鶏」が拡がり始める。
1953年  「山岸会」発足
  56年  第一回「山岸会特別講習研鑽会」
  58年  春日村に「山岸会式百万羽化学工業養鶏株式会社」の建設地が決まり、「ヤマギシズム生活実践場 春日実験地」として発足
  59年  <真目的達成の近道>を発表 <急進拡大運動>を提案。
       7月 事件
  60年  <金の要らない楽しい村、ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況>口述
  61年  1月「ヤマギシズム生活北条実顕地」誕生
       3月 実顕地造りの基盤ともいえる「ヤマギシズム社会式養鶏法」発表。津にて荒瀬さん等を招き、実顕地造りに向けての談話。
       4月「研鑽学校」開設。春日山は「ヤマギシズム世界実顕中央試験場と改称。「試験場」「研鑽学校」「実顕地」と各機関に分離、専門化する機構づくりの原型が確立された。
       5月3日 山岸永眠 享年59歳

 農業養鶏で引き出されてわずか10年余りの間に、全く逆の方向を行く現実社会の中で、自らの中に育んできた理想社会の実現に向けて、それの成り立つ理に則した方法在り方を考案し、一人ひとりの心奥にある本当の願いを引き出して、成るように、適うようにと進めて、そして命尽きる間際に真実の世界、幸福社会の原型となる「ヤマギシズム生活実顕地」を生み出すまでに漕ぎつけ、「理想は方法によって実現し得る」ことを具現して実証したものである。

 世に出る以前に百万羽構想があったということは、完全専門分業社会、即ちヤマギシズム社会をすでに組み立てていたということだろうが、その構想を打ち出すに至るまで10年の時を待たねばならなかった。

 それはどんなに素晴らしいものでも、聴く耳持たぬところに出しても何の価値も見出してもらえぬことを熟知してのことで、そこを解決していくために養鶏技術を小出しにしながら、話の聴ける人探し、人づくりから始め、特講で真実の世界、真実の自分に出会うように仕向けている。そして方向が見えだしたら仲良し社会づくりを匂わせて、時機を待ち、まず順序として試験場の前身となる「ヤマギシズム生活実践場 春日実験地」を発足させている。

 ここで、かねて構想した完全専門分業によるヤマギシズム生活の実践を実験的に実施し、そして<急進拡大運動>を展開、これは外部への拡大というより、かつてないイズム生活を実際に行える人になる資格条件を調えるための自己革命を目的とするもので、研鑽学校の前身的試みと思われる。

 こうした準備段階を経て待ちに待った最終目標の「ヤマギシズム実顕地」を打ち出す局面を迎えたわけだが、ここでもう一手確実性を期して、かつてない生き方への移行過程を表し、目標とする生き方を描き出せるように「山田村の実況」として、小説風に著した「金の要らない楽しい村、ヤマギシズム生活実顕地」を発表するといった念の入れようである。

 この名称で各地に実顕地が産声を上げていくわけだが、この名称に込められた山岸さんの思いが如何ばかりのものか、これまでの産みの苦しみを忘れさせる程の感慨深いものであったに違いない。

 誰に頼まれたものでもなく、自らの意志でやってきたこととはいえ、決して楽な道ではなかったはず。しかし、それも全人を思う強い願いに支えられ後押しされて、そしてのちの世の人たちが、これまでのとらわれや社会の仕組み等が元で、過ちを犯す悪循環の暗黒の世から解放されて、明るい自由な昼の世界に生き生きと暮らせる世を迎えることを思えば、何を措いてもやらねばならないことであり、これを措いて他にやることがなかったということでもあろう。

 こうして自然の一部である人間社会が健康正常で発展していくための研究試験をする「試験場」と、高度な一体社会を成り立たせていく一体の一細胞である一人ひとりが、真に一体の人となって研鑽生活で楽しく暮らせる人になるための「研鑽学校」そして、幸福生活に向けて試験済みの技術・方法や在り方がゴールインスタートした公人によって顕現されていく「実顕地」がつくられ、これらが三位一体となって繁栄発展していく仕組みが出来上がったわけである。あとは時間とともに実現していくだけである。

 それにしても明日をもしれない病身の身でよくぞここまで辿り着いたものだ。「理想は方法によって実現しうる」という信念を持ち得たからか、それを為し得る強い精神の持ち主だったからか、あるいは、ただただ事実を見、目的に向けて方法を考案し理念に照らして実行してきただけなのか、それとも運がよかったのか。

 いずれにしてもシャカもキリストも成し得なかった全人幸福への道が開かれ、実験を経て仕組みから技術・方法・心の在り方に至るまで全て用意されたのである。そしてそこに、北条実顕地を始めとして各地の支部が名乗りを上げ、これまでの所有社会の一画に無所有共用共活の一体生活の仕組みを備えた、真実の生き方を顕わす特別区を「金の要らない楽しい村 ヤマギシズム生活○○実顕地」と称して次々に誕生していったのである。

 そしてそれを待って、かつてない新しい社会の青写真ともいえる「ヤマギシズム社会式養鶏法が発表され、実顕地づくりがスタートした。

 だがかつてない社会、形だけは調えられても、産声を上げたヒナばかりで見習うべき親鳥が居ない状態である。全て用意されてあるといっても、それを旧来観念で読み取って自己流に実践しても成果は得られない。観念の切り替えがなされない限り、用意されても見せても観えない。観えないから顕わし得ない面も多々あって、意を決して始めたものの既成観念を捨てきれずに、理想郷に立っていながら、気持ちがついていかない居心地の悪さに耐えかねて、当初名乗りを上げた殆どの実顕地は解散となり、数カ所のみが継続することとなる。

 山岸さんがあと10年生きていてくれたら、様々に手を尽くして親鳥となる本当の実顕地を遺していただろうにと思ってしまうのだが・・・・、それはどうか。自ら本気で真髄を究めようとして取り組むのでなかったら、山岸さんは余り手を出さないような気もする。なぜなら、教えられるものでなく、一人ひとりが自ら学び気付く以外にできないことだからである。     (つづく)

【豊里実顕地 御所野茂雄】