明日から研学3へ行ってきます。
明日からの研鑽学校3に行く予定です。
研鑽学校3は今迄の研鑽学校と全く違うとか、頭ではない心の世界、なんてことを聞くと私の苦手分野だ、怖いな〜と尻込みしていました。
でも、去年の1月に研鑽学校2に行った時、同じテーマについて出し合っていてもなんか3に行った人は反応が違っていて、どんな処なのかなとはじめて興味を持ちました。
研学2から帰った時、そのままの自分でみんなと私意尊重公意行で思い切りやろう!やって、見てもらって、違っていたら誰かが何か言ってくれるだろうと、その時その時を楽しくやらせて貰ってきました。
でも最近、自分でもどうなのかな?変じゃないかな?これでいいのかな?と何か陰ってくるものを感じ始めていました。例えば連絡研でメモをしている人に、
「メモばかりしないでこの場でもっと出し合おうよ」
と言っている自分が見苦しいなーとか、これが幅っているのかな?とか。
最近では、ディズニーの映画にセリフだけ春まつりバージョンにした画像を豊里の村人交流会で見て、「これは面白い!見ていない人にもぜひ見てもらいたい」と思い、連絡研にその旨出してむらnetでなく豊里内でのメールに出しました。ところが非常識だという意見が次々出てきて、まつりを楽しもうという主旨でなく違う議論に展開しそうだったのですぐに削除しました。
すると説明もなく削除するのはどうか、との意見が新たに出てきました。その時の私はややこしいことや面倒なことにはエネルギーを使いたくないと思っていて、当たり障りなく何気なく消滅することを願っていました。
そのことをある研鑽会で出したら、
「それ止まりだね」
のようなことを言う人がいて、どういうことかなと考えました。
面倒なことには巻き込まれたくないとか、無駄なエネルギーを使っている間はないというのは自分のことしか考えていない自分でした。
そのことを昨日の基本研で出し始めたところ、
「前、春日の日曜市で牛肉売った時もなんか言う人があった。今回の苗の店でも整理研で栄子ちゃんとのことを出す人があった。栄子ちゃんの中に何か言わせるものがあるのではないか」
と重山さんが突っ込んできた。
私は(一方的やな〜私の言い分もある、両方聞いてから言って欲しいわ)と思ったけど、例の重山節が始まったら途中口挟めないな〜と思って聞いていました。
その一方で、重山さんが言わんとしているところ、せっかく言ってくれているところを、じっくり見てみたいとも思いました。多分何か自分にあるのだろうな〜と、でもそれだけでなく、もっとどうなんだ、どうしたらよかったんだと話し合いたい気持ちもあったけど、整理ができないで言えませんでした。
今まで栄子さんにひっかかった、怖いというのを聞いてきたのもあったし(確かに優しさに欠けるし)、研学2で自分の観ているのはホンの一部で、殆んどは知らない、分からないと思っていたのもあって、自分の観方だけでは分からんもんな〜と納めていた私でした。
もう一歩踏み込んで、お互いに言えて聞けるように、研鑽できるようになりたい。そのためにまず、
「言いたいことがある」
と最後まであきらめずに出してみたいと思っています。
できるかな・・・ふあん。
研鑽学校Ⅲから帰って1カ月たった。
昨日は豊里交流会で「研鑽学校Ⅲその後」を発表する機会を得た。
順子さんは介護部での日々で心に残ったエピソードを紹介してくれた。稜子さんはお父さんの個展の手伝いをしてお父さんの喜びを身近に感じたことを話してくれた。二人とも「Ⅲに行ったからかどうか分からないけど」と言いながら人の心に触れ、温かい気持ちになったようなことを話していた。二人の雰囲気につられて、私もなんだか優しい気持ちになった。
生まれてきて、子供時代、思春期があり、大人になりヤマギシに出会い、参画して23年。大きな愛に包まれての今迄を振り返り、また新たな出発点に立ったⅢだった。
ヤマギシに出会って知ったいろいろな考え、言葉が、今迄はそういう事なんだろうな~と押さえて、分からなくてもそれでもやってみようとしてきたのかな。みんながいてくれたから。(我流もあったけど)
Ⅲで今迄の自分を振り返り、自分の心に向き合い、今迄分からないなりにそうだとして来たそれらの言葉にはじめて実感が伴った気がする。
まだまだ分からいことばかりだけど、今迄があってのやっとのここまでかなと丸が打てた。これからもどうなることやら・・・だけど、「大丈夫、大丈夫」の大きな安心もあります。1カ月経ってみての私です。
でも、どんな人にもⅢに行って欲しいと思いました。
みなさんありがとう!
Ⅲに行っての感想はまずありがとう。
楽しかった!いっぱいいっぱい浸ってきました。
福山雅治の新曲「生きてる生きてく」の歌詞知ってますか?
TVでタモリさんと福山さんがドラえもんの話をしていた場面をこの歌詞見て思い出しました。
⁑不思議なものだ
子供のころは大人になんてなれないのに
大人になれば「ときめく」だけで
いつでも子供になれる⁑
帰ってからの面白さはなんと、言いましょうか。
帰ってからの方が味わい深い。
研学中、行く前に書いたこの投稿と同じような場面をつくってくれたH君にも感謝です。
「言いたいことがある」なんて出て来なかったし、そういう場面を作ってくれたことに感謝とごめんなさい。これからもいっぱい失敗するでしょうが、こんな私です、よろしくねです。ほんとうにありがとう。そしてよろしくお願いします。
地のまま、あほのまま、自分は自分でいくぞ!って話したら「栄子ちゃんはちょっと控えたら」とのアドバイスも頂きました。はいです。)^o^(
栄子ちゃん おかえり!
研学Ⅲ 行けて良かったね。
帰ってきた日の夕方 貴方の顔を見た時 楽そうで 良い顔してるなあ と思いましたよ。
栄子ちゃんって 素のままでやっているように見えてたんだけど 違ってたの?
私の場合 思っていることって 意外に出していないんだよね。
何かかっこつけてるみたいです。
栄子ちゃんにも言ってもらったことあるよね
思い切って けんかするくらいに出してみたら って。
沖永健介さんに 「むらねっとって?」の投稿記事で 聞きたいことがあったんだけど 又 カルトって言われるかも・・・ なんて馬鹿な事を思ってしまって 電話もメールも出来なくなってしまってたのよ 実は。
そんな時に 秋山さんが「沖永さんと話をするから 一緒にしないか」 って声をかけてくれて 話をすることが出来ました!
だれかと一緒なら 話が出来るなあ って思ったの。
暖かい場所にしたいなあ と思ってコーヒー入れて お菓子も持参して
お話しすることが出来ました。
一緒に話が出来る場を作ってくれた秋山さんには ほんとに感謝しています。この場を借りてお礼を書いておきます。
これからも色々あると思うけど 何かあった時こそ 顔を見合わせて話し合っていくのをやりたいね 一人でやれそうもなかったら 誰かと一緒にとかね。
どんな心で そのことに臨もうとするのか も大事だなあと思いました。
これからも 宜しくお願いします。
研鑽学校Ⅲの受け入れ研で耳にした原風景や琴線の言葉を聞いて
新鮮なそして素直なそのままと言う自分をあの空間で見つめる事が
出来ました。
今までの受け入れ研は相手として見ていたのが大きく変わり
相手を通して自分自身が見れる(知る)新しい観点になりました。
それぞれの話を聞いているとその人その人の宇宙が伝わって来て
大丈夫とかこの村でこの場にいる事がこれでよかったと涙で声を詰まらせて
話してくれた事や原風景がピンク色だったとか。。
本当にそのまま受け入れた自分。
今あの空間の大勢のあの輪が優しい雰囲気に包まれたそのものが
もうある。
色々あの場に心が温かくなる
ヒントがいっぱいあると気付きました。
ありがとうの気持ちでメールしました。
たまたま、「明日から行くんだ」って前に出会って、ちょっと話を聞かせてもらいました。
もうすぐ出発ですね。
研鑽学校の内容がどうだったかっていうより、こらから色々な事があった時に
素直な気持ち、意見を発信して欲しいと思っています。
ありがとう!
早い反応にびっくり )^o^(
あたたき言葉思いだしながら2週間楽しんで苦しんできま~す。
も~帰ってこれなくなるかも
まだ長~い人生だし、どうなってもよろしくね。
栄子ちゃ~ん
強いようで、最後までふんばりきれない気持ちわかるわー。(つもり、、、)
しなやかにがんばってきてー。
5月の一週間研学の交流研で『研鑽できた!』と実感できたなかに「幸福一色快適社会」が
あるんかな~?と思ったの。