ページを印刷 ページを印刷

大潟実顕地から今年も新米が届きました


たわわに実った大潟の稲穂


みんなで育てた新米をどうぞ

大潟実顕地 大西雄介

 今年は4月上旬強風での育苗ハウスのビニールが5棟破けたりしましたが、その後は天候に恵まれ代掻き前には田植えが出来るくらい苗が順調に育ちました。田植えの頃は涼しい感じでしたが6月半ば位から秋の稲刈りまで比較的高温が続き、高温障害の心配はあったもののおおむね順調に稲は育ちました。

 僕、大西雄介も1年目ながら田んぼ全68枚中19枚の水管理を任せてもらい、岩さん晋さんに色々と声をかけてもらったり聞いたりしながらやってきました。稲刈りもここ10年近く交流に来ていましたが、今までは鶏糞撒きばかりでコンバインは初めてでした。

 今年の稲刈りは前半コンバインのトラブルが多く、もっと機械を一つ一つ丁寧に見ていれば刈り始め前に発見できたものばかりで、毎朝の点検の重要さを再確認しました。

 作柄は昨年よりは多少あるかな?といったところでしょうか。

 今年も、大潟実顕地のメンバーだけでなく、育苗ハウスのビニール張りから種まき・代掻き・田植え・溝切り・稲刈りそして3月末から毎月1ヶ月ずつ1夫婦の日々の管理作業と食生活と、大勢の人たちに交流に来てもらい関わって米作りをやってきました。

 みんなで育てた新米をどうぞご賞味ください。

稲刈り風景

そこに活かされている喜びを感じる時

元田和之(一志)

 12年前の秋、振り出し寮に入っていた僕はある日の作業で一志実顕地の鶏糞部に来ました。そこでやった作業は発酵鶏糞を入れるフレコンという大きな袋の準備作業。回収したフレコンをすぐに使えるようにする為に排出口を閉じ、投入口を開いてコンテナに積んでいくという作業を鶏糞の埃の積もった薄暗い倉庫の片隅で一日中坦々とやっていました。

 その後、振り出し寮を出発して一志に戻った時、新たに告げられた職場が鶏糞部。以来12年間ずっと埃だらけになりながら発酵鶏糞の袋詰を担当しています。

 大潟実顕地へ発酵鶏糞を送る作業は、まず戻ってきたフレコンの準備から始まります。12年前、振り出し寮でやったあの作業です。これは発酵鶏糞の製造量が減って少し暇になる冬の間に少しずつ進めて夏に始まる袋詰作業に備えます。

 毎年7月の頭ころから9月にかけて大潟実顕地へ発酵鶏糞を送っています。洞口さんが元気だった頃は彼がひとりで往復して運んでいましたが、今は秋田の運送業者に依頼しています。この業者は秋田から名古屋方面に米や野菜を運ぶことを専門としていて、その帰り便を有効活用するということでお互いにメリットがあるようです。

 量は毎年およそ300トン強。トラック1車に13.5トンだから約25台分です。僕は大潟実顕地には行ったことがないけど、これだけの量を撒くだけの田んぼがあるというのは、どんだけ広いんだぁって感じですね。

 まだ経験の浅い頃、大きな塊がたくさん入った製品を送って、大潟の岩さんからすぐに機械が詰まってしまって作業が全然進まないというお叱りを受けたこともありますが、最近では安定して良い製品が送れているのではないかと思います。

 汗と埃でどろどろになりながらの袋詰作業ですが、まだ見ぬ大潟実顕地の広々とした田んぼに若人たちが発酵鶏糞を散布している姿。そして青々と育った稲穂。そんな風景を思い描きながらトラック一台一台を送り出していく瞬間が、この仕事の一番のやりがいを感じられる時であり、そこに活かされている自分の喜びを感じる時でもあります。

 そんな瞬間を大事にしながらこれからも続けていきたいと思います。

大潟実顕地へ交流中の岡田さん夫婦

こういう所で若者が育っていってくれたら嬉しいなぁ

岡田清(豊里)

 6月の終わりから7月の終わりまで、約1ケ月行かせてもらいました。

 東京生まれで、田んぼに入ったことがなかったので慣れない作業でした。まずやったのが草引きで、腰に籠のようなものをぶら下げて、社員のおじさんと一緒に田んぼに入りました。草を引くより、歩くコツがつかめず社員のおじさんはスイスイ行くのですが、自分はズボズボという感じで一歩一歩が大変で、行っても行っても終わらない広い田んぼでした。

 あまり草の生えていない田んぼは横に歩いて、稲の列を横切って行くのですが、自分は稲を跨いで行こうとして、足を上げてバランスをくずして尻もちをついたりでなかなかだったのですが、社員のおじさんは足をあまり上げずスイスイ進んでいました。

炎天下で汗びっしょりなりながら、1週間やりました。

 それを終わらせてからは、朝から晩まで草刈機で田んぼの周りを全部刈って行きました。田んぼには入らなかったけど、暑くてやっぱり汗びっしょりになりました。

 余裕がある時は円盤で生活館の周辺の草を刈ったり、ハウスの骨組みの修理をしたりしました。

 毎日同じ時間に愛和館で岩さんのおばあちゃんや岩さんと食事をしたり、時々温泉にも行ったりしながらのシンプルな暮らしで、気持ちがよかったです。

 1ケ月終わる頃にやっと大潟実顕地の田んぼ全体の配置がやっとわかりました。

 所々に「ヤマギシズム学園大学部演習農場」の標柱が建っているのが感動的で、こういう所で若者が育っていってくれたら嬉しいなぁと思いました。

 小さな実顕地で、岩さん夫婦や晋君家族とかがやってくれているから、美味しいお米が食べられるのだなぁと思いました。

どっしりと受け入れてもらいました

岡田京子(豊里)

 今年の6月末〜1ヶ月、夫婦でおくりだしてもらいました。10人ちょっとの食生活をやらせてもらいました。新米主婦の感覚で楽しませてもらいました。

 山形の米農家の娘で参画して30年あまり。一度は行ってみたいなと思っていた大潟実顕地。少し散歩に出れば、ムムム、なんの音? どんどんいけば、あらあら海が見えたぁー。わくわく。

 小さな実顕地に行って見て、実顕地ってなにかなあと思いました。

 私たちがいる間にも溝きり交流に陽光くん、潤平くんの若者がやってきました。そこを我が家に、溝切りをすすめてくれました。この作業は秋の稲刈りのときに田んぼがしっかり乾いて、大型機械が入れるようにする大事なつながりがあるのだそうです。ほんとに広かったなあ。湖の底だったその昔。

 あの緑の田んぼが、黄金色にかわり、穫り入れの匂いがしてるだろうな。春の種まき、代掻き、田植え、草取り、稲刈り、堆肥まき。そしてその時々にご飯をつくって、お風呂があって、用意してくれた人がいて。

 地域の人たちとつながりながら、岩さん夫婦におばあちゃん、岡田夫婦に3人のこどもたちと若人。どっしりと受け入れてもらいましたね。

 今年の新米 また味わいがちがいますね。楽しみです。

ヤマギシの村ならではの米作り

岡田稔子(豊里)

 7月26日私達夫婦が大潟実顕地に着いた頃は、緑の絨毯を敷きつめたような田んぼが広がっていました。

 8月上旬、いつまでも緑じゃないよねと、今はどうなっているのかな?と、見てみると田んぼが薄っすらと黄色味を帯びています。 雄介君いわく、「花が咲いたようだよ」とのこと。稲穂が出て来ているのです。

 6月から9月夏の暑い盛り、男の人たちは毎月定期的に田んぼの畔の草刈です。息子のこんなに真っ黒に日焼けした顔は、初めて見ました。雄介君は両腕まで見事に焼けてたくましい腕です。

 毎朝、水筒の麦茶にザクザク氷を入れて出かけて行きます。時にはお弁当持ちで。

 大潟は他の所と違って、田んぼの地盤がゆるいため早めに水抜きをするそうです。途中乾きすぎると又水を入れたりするそうですが。

 今年は暑くて雨も少なく、米の味はどんなかなぁと懸念もあったようで、新米を食べるのが楽しみです。

 毎年春と秋には全国実顕地から大勢の若者が集い、又その他の適期作業にもいろんな人が関わり、交流で成り立つヤマギシの村ならではの米作り。

 今年も美味しいご飯が食べられます。ありがとうと言いたい気分です。

一日終わった後の解放感は言い表せません

全国から集まったメンバーで

高嶋洋平(豊里)

 堆肥まきをしています。

 大きな袋のトランスバック500キロ入りを15本、2人で毎日撒いて行きます。1反に700キロ撒きます。その後を追いかけて、鶏糞が流れないように土の上下をひっくり返していく作業をします。撒く人、天地返しの人3人で70町歩を、ひたすら朝7時からお日様が沈むまで、暗くなってもきりがつくまでやっていきます。

 一つの田んぼが約1町1反から2反なので、7トンを1時間ぐらいで撒きます。終わりなき仕事、110メートルから120メートル位を真直ぐ走るのを、インターバルでただただ走るのを何本も繰り返しています。

 稲刈りと同時進行で、稲刈りが終わった田んぼを追っかけて進めます。後2日で終わりでしょうか。鶏糞まきの後は暗渠を掘ります。

 仕事をひたすらやる。日々の雑事から解放されて何も考えず、坦々とやる。終ったら、飯食って、酒飲んで寝る。いいですよー。

 稲刈りメンバーも別海、穂別、春日、北条・・・全国から集まったメンバーで、毎年いろんな味が出ておもしろい。その時々の空気ができるので楽しい。みんなも仕事をしに来ているので、時間も関係なく、切りが付くまでやって、一日終わった後の解放感は言い表せません。

 交流もいいなーとあらためて思います。みんなで交流をすすめて行きましょう。

【豊里実顕地 喜田栄子・稲刈りフォト鎌田未来(岡部)】
今年の米作り → 大潟実顕地米作り2012
大潟実顕地産「あきたこまち」の紹介 → ネットストア 「ヤマギシのお米」