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実顕地づくり
【一志の場合】


一志では実顕地の今後の運営・しくみについて考える研鑽会を昨年の10月よりやり続けてきました。

昨年は全研で11回、毎回30人前後集まりました。はじめの頃は直接しくみの事というより、それぞれが日ごろ思っていることなども出し合いあらためてお互いを知る機会にもなりましたが、このままこんな形で続けるかどうかとなり、今年に入って専門のメンバーを選出してやっていこうとなりました。

私がこの研鑽会を通じて思ったことは、たとえば「調正世話係」という言葉ひとつとっても、それに対するイメージや捉え方が一人々ずいぶん違っているということに気がつきました。自分たちの今の状態にあったしくみを採用したらいいのではとも思いました。

これをなぜむらnetに投稿するのか考えてみましたが、ほんの一端でも知ってもらって実顕地づくりを共に考えていきたいと思っています。

次に専門研メンバーの園田さんと元橋さんの考えを紹介します。

【一志実顕地 下田妙子】

この10年ほど調正世話係を置かないで、仲良し班窓口で実顕地の運営を行うというのでやってきました。

長期にわたって同じ人が専任しないという考えもあり、大半の人が仲良し班窓口を経験しましたが、それも一巡しここにきてそれに就く人もなかなか居ないという現状、また提案のあったことを研鑽していくというのが基本にあるので、職場配置や住む家の固定化、高齢化していく中での産業や実顕地の暮らし、介護体制等々、実顕地全体のテーマについての公意を見出していくのが難しいと感じていました。

そこで現状を見直す機会にしたいと思い、上記の内容も含めた実顕地運営のテーマを、研鑽し公意を見出す世話をする任、として調正世話係を置き、実顕地全体からその任に就く人を選ぶというのでやりたいという提案をしました。

研鑽会を重ねる中で調正や世話係という名称に焦点が当たり、過去に体験した負の印象を抱いている人も少なくない中で、あえて調正世話係の名称に拘らなくてもと思う反面、やはり実質をあらわすとこれかなとも思っています。

以上私なりに感じて考えたことを書きました。これからこの研鑽がどう進むのか分かりませんが意見、考えはちがっても通じるというのをやっていきたいと思っています

一志実顕地 園田宏彰

一志実顕地の運営の仕組みを考えるに当たって

2013年1月 元橋瑛

専門研鑽会で具体的な案を検討する前に研鑽を要すべき重要と思われる事項について整理してみた。

1. 今回の仕組みの検討で特に考慮すべき要因

1) 仲良し班3班体制において仲良し班窓口の選出が困難になりつつある点の解決策はないか

2) 仲良し班窓口ではなく、調正世話係を選出すべきとの提案がある。これをどう考えるか。
ここにおいてのテ-マは・・・世話係ではなくて調正世話係という点である。・・・[資料]参照

3) その他

上記のうち1)は具体的な検討の中で解決策を探求することでよかろうが、2)については事前に明確な結論を得ておく必要があろう。

2. 一志実顕地運営上の基本的な考え方

実顕地運営上の仕組みには魂(精神、基本的な考え方)が必要である。其れはすなわち実顕地というイズム社会の元種である。2001年以降において一志実顕地という社会でわれわれが築いてきた考え方を下記に整理してみた。これはとりもなおさず一志実顕地というイズム社会の実態である。現段階のものを<ヤマギシズム社会の実態の書>に照らしつつ、さらに考え方を深め拡げて実顕地を本質的なもの、真実のみの世界としたいものである。

1) 自発的自由意志で動く人による社会運営
社会人としての自主性を互いに尊重し、信頼し合うことにより、自発的服従ではなく、一人一人が自発的自由意志で社会の一員として生きること

2) ひとりひとりの意志を尊重しつつ、みんなの考えでやっていこうとする
個人にかかることでも社会上のどんなテ-マでも、あるいは職場や専門機関の業務や問題でも、そこでの人の異見でも、それぞれの考え方、意見を尊重し、よく調べあって調整し、みんなの考え方を見出して或いはそうあろうとしての実践、活動とする
独断・独行によることなく、また幅ることもない。

3) 研鑽を重ねた上での最終の意思決定はひとりひとりの自由意志による。
他から強制されるものでも強制できるものでもない。

4) 法で縛らぬ社会の実践
人も社会も互いに縛ったり縛られたりしない社会(すなわち自由なる社会)での運営
規則・規範・マナ-・義務・約束・仕事の分担・役割・決定事項などなど、それを守らねばならぬこともやらねばならぬこともない、義務や責任というものは存在しない
自由と親愛の情に満ちた社会での自主的実践ということになりましょうか。
  
・ ・・さてここで、日常的に“仲良し家族でとか仲良し家族だから”とか いっているところの考え方や中味を次のように今後の考え方として整理し且つ表現してみた。研鑽会でも言ってきた事でもある。

5) 真の家族としての百人一家族
現在の一志実顕地規模からいって約百人による一つの家族を形成している。それぞれはその一員として、互いに信頼し、互いの意志を尊重し、自分を何かから守らなくとも安心して暮らせ、対立の無い、親しみのある人と人との繋がりにおいてやさしい社会を実践しつつあるのではなかろうか。そこにこそ真実の世界と呼べるものが実在するのではないか。
 ひとりひとりは未熟であっても、であればこそ、より一層本当の家族になろう家族として見合っていこうとすることで、より真実世界の現実化となろう。

以上のことを研鑽することで、実顕地運営上の仕組みも具体的な展開が容易且つ速やかになると思う.且つこの考え方を仕組み運営上の魂として活かしていきたい。このような考え方を精神的支柱にすれば、係であろうとなかろうとみなが安心して暮らせる社会を引き続きつくっていけよう。

ヤマギシズム社会のヴィジョンはヤマギシ会趣旨であり、ヤマギシズム社会の実態の書にはその詳細が展開されているところから、実顕地という一つの社会形態でどこまでヴィジョンに近づけるかを問われるところでもある。 

[ 資 料 ]

2001-2002年における一志実顕地での変革から今みえること    2010年3月

1.調正世話係の廃止
  世話係の公意(実は私意)、独断による決済、強制を廃す. 或いは世話係りの権力を廃す。

2.私意尊重公意行の履き違えを正す 
  世話係りの公意の下に各人の私意を押さえ込んでいた。世話係りの私意と各人の私意はしばしば不一致。
  私意が先ずあっての公意に正す。どんな公意も異見の前には私意となる。

3.ハイ即実行の間違いを正す
  ハイでなんでもやります、公意絶対行などと称して世話係りの言うとおりにするのが正しい、とする解釈が広く実行されていた。今尚、実顕地生活の長い老蘇さんなどには根強い。
  正しくは、ハイ即研鑽、実行は別。(山岸さん)

4.イズムのありかた、考え方の強制により画一化した考え方や実行を強いてきたために破綻を喫した。
  これが正しいとする考え方を世話係間で出し、或いは研鑽会で広めることによって、ひとつのあり方や考え方に統一し実行を迫るところに一人一人の私意を押さえ込んだり、我慢を強いたりした。そのことは一人一人の感覚の違い、私意の違いを理解できていなかったのであり、その人に苦しい実顕地生活を強いてきたわけである。全ての人を一つの枠の中へ当てはめることはできないであろう。今現在もテ-マとしなければならないと考える。

5.私の人生設計、私の一生の生き方についてひとりひとりが明確にしていただろうか?
  ひとりひとりが自分が自分らしく、実顕地で明るく、楽しく生きていく明確なヴィジョン、考えを持てる毎日のイズム生活に変革できる暮らしとする。

6.理想社会が見えていなかった
  無所有一体で仲良く暮らす社会といっても、漠然としており、我執を持ったまま、仲良く暮らすのが正しいとか、仲がよければなんでも解決するなどと抽象的に思っていても、それはいつまでも思いの世界にとどまり、一向に実現もおぼつかないままであった。

  理想社会には何が必要か。これからはそんなことを、明確に目指すものを明らかにしていかなくてはならないであろう。先ずは人、物、社会、そのような面から取り組んでみるのもどうであろうか。
   社会という面では真の自由と平等について、今の実顕地で十分に研鑽する要があると思う。或いはまた無所有一体社会とは、本当はどういう社会をいうのだろうかと研鑽を深めてみるのもどうだろう。

一志実顕地 元橋瑛