楽園村スタッフをやってみて
初めての小学生楽園村スタッフで、岡部もあまり来たことがなかったので最初は何も考えず楽しもうと思っていた。
6年合宿も始まり知っている子もいたので少し安心した。
私の中での楽園村は、春日や豊里でつくってきたものだったので、日々のみんなの動きからどうやって声をかけるかということがすごく悩んだ。
時間の合わせ方も例えばお風呂5時半な15分前に動いたりその前に準備を呼びかけたり楽園村っ子のときは時間を気にせずにいれたけどスタッフだと村の人の動きとも関係するので時間を良く見ていないとできないと思った。
最初のころはミーティングできめた時間通りにしないとと思って必死だったけど結構ずれることもあったり、予定してたことがなくなったことも知らず何もしないことに勝手に焦っていることもあって2・3日目は頭がいっぱいいっぱいだった。
後はみんなで集まってざわざわしていてスタッフも声をかけず座っている時間とか、友恵お母さんが言っていた湯船の周りに子供が並んで飛び込もうとしているのをとめないでいると言うのも理解できなかった。
ミーティングでその話が出たときとかあまり先回りして止めない方がいいという意見も出て私は出来ないかもと思った。
だんだん皆が楽園村での生活に慣れてくると危ないなとか、話が聞けてないこととかが増えて少しガミガミすることが多くなった。
ある日の夜の本読みのときにいつも通り聞いてくれない子が沢山いて、前日まで聞いてくれてた子も聞かなくなってきたなとか色々考えていて、声をかけても聞いてもらえなくてもう本当に嫌になってきた。
その日文さんに聞いてもらったとき「来て良かったと思う」といわれたのが今でも印象に残っている。そのときは驚いたけど良く考えたら本当に来て良かったと思う。
予定を立てる部分は少し踈かだと思ったけど、ミーティングや拓巳君文さんと話す中で、考え方とかが変われたと思う。岡部の楽園村を楽しもうと思った。
判らないことは聞けたし、こうしてほしいという事も言える。
ミーティングが出来た。
初めて会った人ばかりだったけど本当に面白くてスタッフのなかでも楽しめた。
榊原生子
岡部楽園村スタッフに、娘の生子が参加しました。
楽園村2日目に送られてきたメールには、「来てよかった。いろんな考え方が生まれて、いろんな人の意見を柔らかい気持ちで聞こうとできるところがいいなあ」と書かれていました。たくさんのことを学スタに任せてもらい、いろいろ戸惑いながらも、人の意見を聞いて、自分の考えを伝えて、共に創っていこうとする1週間だったのかなあと、思います。
小学生も育ち、学スタも育っていける楽園村。楽しい楽園村にしていこう、自ら育っていこう、となっていく土壌が、村の中にあるのかなあ・・。
岡部から帰って、8.9日は家でやっている学童保育所の豊里合宿のスタッフに参加しました。
学童の子どもたちも、あのほっとする村の空気をいっぱい吸って、村の人たちに触れて、自分を素直に出してきてくれたら、うれしいなあ。