ページを印刷 ページを印刷

繋がり(関連)を知る精神を思う


20140113172817

内山節氏は、僕が注目している好きな哲学者である。
 何度か講演を聴いたし、3度ほど立ち話程度ではあるが話したこともある。
 その内山節氏が、最近刊行した『新・幸福論 ─「近現代」の次に来るもの─』(新潮選書)は、読み応えのある考察内容だった。

◇読みながら立ちどまり、考えたり、170頁の本だったが、やっと読み終わった。
 本の帯にも書かれているように、日本はなぜか「不幸じゃないけど、幸せでもないんですが。」の社会となってしまった。その今を、18世紀のヨーロッパや明治維新後の日本まで遡り、近現代の構造を考察し、今が近現代の価値観の終わりと位置づけて、その転換を論じている。

◇一言で言ってしまえば、「BOOK」データベースにも載っているように、「近現代の先進諸国は、常に「目標」に向かって突き進んできた。到達すれば、幸福な社会が待っている、と。が、たどり着いたのは、手ごたえのない、充足感の薄い成熟社会だった。と宿命を解き明かし、歴史の転換を見据える大胆な論考。」なのだ。

◇僕は今、読み終わって咀嚼中ではあるが、もう一度読み直したい気持ちになっている。
 それくらい、僕が今、考えたい内容でもある。
 それは、僕たちが昨年末から正月に研鑚し、そして今も考え続けている「一つ」「一体」にも繋がるテーマを孕んでいるのではないかと思えるからだ。
 まだ十分に、この論考を読み理解してはいないが、現時点で掴んだことを書いてみる。

◇内山節氏は『近代社会が生まれる前までは、ほとんどの人々は「われわれ」という集合名詞をもって暮らしていた。村の共同体とともに暮らす「われわれ」であり、都市でも同じ職種に暮らす「われわれ」であったりした。』と述べ、『人間の本質は関係のなかにある』『人間は関係のなかで自己の存在の場をつくりだしている』と、周りとの「関係性」の中に「私」の存在価値を置く。
 その周りとの関係のなかで営んでいた『「われわれ」から「私」に存在基盤を転換させていった』ことに、近現代という時代の特徴があり、それが問題点と浮き彫りになってきたのが今であると言っている。
 それは、『いままで確かなものと感じられていたものが、次々に遠くに逃げていく。そしてそれらとの間には、虚無的な関係しか感じられない。この遠逃現象と虚無が今日の時代のひとつの側面』で、人々は「幸せ」も感じなければ、かといって「不幸」でもないという、たよりない心理が蔓延していると考察する。 
 内山節氏は『転換をめざすなら、「われわれ」として語ることのできる社会を、「われわれ」として生きるこのとのできる経済をつくりださなければならないだろう』と言い『自由は個人のなかにあるという幻想から、個人を自由にする結び合いの模索』が、すでに若者を中心に芽生えているのが今日だとも言っている。
 それは『コミュニティ=共同体型社会をつくる動き』であり、『ともに生きる社会の創造』なのであり、それらの芽生えが、これからの社会を『絶望的ではない』と述べている。

◇内山節氏は『私は関係のなかに社会をとらえ、関係のなかに自己や個をとらえようとしている。ここで問題になるのは、近現代における関係の変容であり、関係の喪失なのである。そしてこの「関係の喪失」は、関係が失われていった、関係が消えていったととらえるより、関係が遠くに逃げていったととらえた方が、適切である。遠くに逃げていったのなら、もう一度引き戻すこともできる。』と論じている。

◇このように、内山節氏がいっている「関係」は、僕たちが今、研鑽している「一つ」「一体」と同質のものを感じるのである。
 僕たちは、この「関係」を「一つ・一体」と本質的にとらえて、近現代の価値観の「私」に存在基盤を置いた思考パターンに毒されたものを、本来の本質的な、根源的理念を、意識レベルに戻し、さらに、その「われわれ」としての「関係」(一つ・一体)の質的純度─これが一番大切な事であると意識し─を、今、研鑽し探っているのではないか。
 まだ、十分な確信はないが、内山節氏の考察を読みながら、そんなことを感じた。

◇最後の最後に、内山節氏は次のように述べている。
 『絶望的ではない。なぜなら、「われわれ」を取り戻そうとする動きは、至る所で生まれはじめているからだ。そして「われわれ」を取り戻そうとしている人たちは言うだろう。「<古き良き時代>に戻そうとする余計な企みはやめてくれないか」と。「君らと一緒に破綻の道を転げ落ちるのはまっぴらだ。そんなことより、この時代を超えていこうとする若者たちの動きを応援し、それができないなら静かに見守るくらいの節度を保ってほしいものだ。」時代は変革期を迎えている。』こう締めくくっている。
 ここを読み終わって、僕は、正月の3日間の研鑽会と先々週3日間の研鑽会を設けてくれた四半世紀ほど若い世代の彼らの顔を思い浮かべてしまった。

【多摩実顕地 松本直次】