入院退院の記(事実と思い?)
2時間近くの目の手術が終った時、私はやっと息ができると思った。
息はしていたのだけど、繊細な手術なので先生の邪魔にならないように、足の指を動かしたくても、今動かして手元がずれてはと、ずーっと緊張していたからだ。
(といっても、気が付くと、時々寝ていたみたいです。2時間もあの緊張の中で手術に集中できる医師はさすが、すごいと感謝感激)
手術の後、主治医の「上向きで」と言っているのが聞こえた。「上向きでいいんですか」私は尋ねた。「上向きでいいですよ」との応え。
えっ!手術が終わったらずーっと下向きで2週間寝るとの説明はどうなったの?下向きで寝ると肘が擦れるからとサポーターまで持って来てもらったのに。
手術に来る前に看護師さんと下向きの枕を使って練習をしてきたのに。のに、のに・・・
上向きでの言葉がそのままは入って来なかった。
入院する前、自分は思いが先行して事実が見えないから、事実を見て行こうと思って入院したのにだ。
(またもや、のに・・)入院前に2週間下向きで寝て、退院しても2カ月は安静に、治るのは1年後と説明を受けていた。
手術の次の日、回診で週明けに退院と聞いた時は嬉しかった。
1週間も早く退院できるからだ。新病棟の11階で、まるで地中海かエーゲ海を見るような抜群のロケーションの部屋で、しかも上向きでいいんだから、確実に治したい。なにより目だからね。
ところが、続いて診てくれた先生は「土曜日か日曜日に退院でいいでしょう」と言った。
「えっ!いいんですか?・・・じゃ土曜日で・・・」と返事をし、土曜日退院となった。
渡されていた手術後の安静度を見てみてびっくり、その表によると術後5日目で点眼指導、それまでは点眼は看護師がとなっている。
感染したらだめ、またやり直すこともあります。手術前に医師が言っていたリスクが次々と浮かんでくる。
手術は上手くいっても目薬の挿し方も分からないのに、術後1日しか病院に居られないんだ。この目でいいの?糸が目に当たって痛い。
この痛みはとれるの。不安が押し寄せてきた。看護師さんに訴えると「私もびっくりしました。早かったですね」と。
「手術したほうの目薬は看護師が行いますって書いているのにいいの?」と私。
「退院まで練習しましょう。見ているので」と言われる。挿してもさしてもずれるし、たまに入っても目に入ったような気がしない。
1摘とあるけどこんなに挿していいの?不安と疑問しか頭にない。せめて日曜日退院にしたいと言ったけど、ムリだった。
「手術はうまくいった。明日退院だって」とメールをしたら、「無理しないでね」とか「大丈夫?」との返信の中に「経過がいいから退院できるのですね」と喜んでくれる人が居た。
そこではじめて、退院できる状態というのを受け止められた。
先生が土曜日、日曜日も手術する話を聞いて医者は大変だなぁと人後に聞いてた話が、私のように手術を待っている人が大勢いるんだ、部屋が空かないとできないんだと思った。
手術は上手く行った。後は自分が確実に目薬を挿しながら通院で直していくだけ。
オタオタしていたけど、よく読むと、入院計画書には推定される入院期間と書いているし、高度先進医療を提供する特定機能病院ですとも書いている。
気持ちが先走りしないようにと心していたのに、最初に聞いた案内説明と違う度にえっ!となって、前の話を持ったまま、いいのかなぁとおそるおそる踏み出す私。
でも同じ場面に出くわしても全く違うように感じる人が居てくれます。いろんな人がいてくれるおかげで気づくことができ“共に”をありがたく思うのです。
医師や看護師だけでなく、事務の人、食事の準備から、部屋の掃除、身体を拭くタオルの準備、洗濯、修理工事、その他病院と云う大きな組織で、一人の人の治療にどれだけの人のエネルギーが動いているかを感じ感謝と同時に、社会やその構成員について考えざる得ませんでした。
「えっ?」
も、
「のに・・」
も
いいです。
それより、元気で笑っていてください。
のに病・・目より治したい病・・ですね。
目は1年後が楽しみだけど、のに病はどこを探るのかもいつでてくるかも、今は不明です。
応援よろしく。
高倉健さんが江利チエミさんに付けたあだ名がノニ と聞きました。
どうして、そんな病気になったのか、その原因を探りたいですね。