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供給の原点は 魂子(たまご)にあった


このテーマで、実顕地づくり研月Ⅰ・月Ⅱ合同で研鑽会をしました。
いろいろある実顕地づくり研ですが、これは以前は基本研といっていた、
三重地区の月2回の研鑽会が移行したものです。
近頃、供給がらみの話題がすごく多いです。
そうしたなかで出てきたこのテーマですが、「魂子」ってナニ? 
という声があったので、追加の資料を用意しました。
供給のことを出し合っていると、何をどう作ってどう届けるか、のところに焦点があたりがちですが、
「玉子の生産にさきんじて生産されつつある(心)」 そこが大事なのかなと、今回そんなことを思いました。
27日の実顕地づくり研金Ⅳでも、「魂子」を研鑽するみたいです。
そこを研鑽していこうという村の空気のなか、28日昼の堺ファームの決起集会、その夜の豊里養鶏法交流研で何が出てくるか楽しみです。

【豊里実顕地 村岡悦史】

真に必要で価値あるものは、求めるものと応じるものと必ず全面一致するはずのものであり、今回の増棟計画と玉子の増産要請が期せずして一致し、それを実証しました。
ここに相互繁栄の出発点と結末があり、それが一環経営化されると出発も結末もない一つの環になり自転します。又その理念を含んだ生産の場だからこそ、玉子の生産にさきんじて生産されつつある「われ、ひとと共に繁栄せん」とする心がそれであり、今の社会にとって玉子よりなによりさきに生産し増産し活用者に届けたい「われ、ひとと共に繁栄せん」とする心の含まれる魂子なのです。
この魂子を作る場こそ、真の人間への生長の「業場」として最適な環境であるゆえんです。そして生産手段としては副次的でも商品価値は低くても、心も技も初心者のうぶさ故に又純粋の心が一杯つまった有精卵(有精神卵)は、活用者の手元でなく心元へと今日も届けられますが、手元でとどまらないでこの有精卵、果たして活用者の体温でヒヨコに孵えして貰えるかどうか・・・・イヤきっと受精さえしておれば孵えるはずだと真理がこたえる。

適性規模実顕地構想より