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夕張実顕地のお店


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去年の4月、夕張で10年ぐいらいやってきたパン屋「はらぺこパンや」の増築、改修工事が始まり、ついに3月5日にリニューアルオープンすることになった。

僕が夕張実顕地に配置になって19年ぐらいになるが、今まで幾度となく仲良し研で、お店をやりたい、レストランをやりたいと、夢見てきたが現実になることは、なかった。

今回各地のファームの流れもあり夕張でもやりたいと声が上がり、夕張実顕地が元気になっていくならと、10月オープンに向けて工事が始まった。

工事は別海の学育で育ち、今は大工となった人にお願いすることにした。

やるに当たっては、実顕地にある物や、機械、道具等使えるものは何でも使って、基礎工事、棟上げ等関われることは、少しではあるが、一緒にやらせてもらってきた。

直売所、パン屋、喫茶店を兼ねた、お店を描き試行錯誤しながらやっているうちに、いつの間にか3月までかかったが、「ヤマギシらしくない」オシャレな、しかし「ヤマギシらしい」いいお店が完成した。

面積は、6坪のお店から13坪拡げて合計19坪約3倍にひろがり、素材は、外壁に道南杉、フローリングは道産カラマツ、内壁は噴火湾のホタテの殻でできた漆喰を使い、北海道産のものにこだわっている。
店内には、高さのある大きな窓が3つあり、そこから四季折々の北海道らしい雄大な景色が堪能できる。

今は、その窓から一面の雪景色がひろがり、暖を取るための薪ストーブの炎を見ながらゆっくりとした時間を過ごせる。

とてもいいお店ができたと思う。

お店ができてみると、みんなの中でやりたい事がいろいろでてきた。

軽食を出せるようにしたい、夕張でとれた蕎麦で、蕎麦屋もやりたい、ピザもやりたい、ドックランもやりたい、夜の雰囲気もいいから貸し切りのパーティ会場にしたら、等々。

現状は、これからで何も決まってないし、いろいろと問題も出てくるだろうけど、みんなが関われる、おもしろい場所にしたい。

お店を通してこれからの夕張実顕地を、みんなで描いていきたいと思う。

実顕地メンバー、地元の人、みんなの拠り所になればいいと思う。

みなさんぜひ遊びにきてください。

夕張実顕地 橋口善一郎

『はらぺこパンや』までの道のり

四十数年前、『不可視のコミューン』という本を友人に紹介されて読んだ。「コミューン」、美しい響きの言葉だと思う。また、故新島淳良さんの『幸福学園』構想を知った。そしてヤマギシズム北海道試験場(北試)に参画。翌年酪農専門の地に「極寒地用鶏舎」が建てられた。青天の霹靂の如く、「お前が養鶏をやりなさい!」という宣告。この別海で久保田康伸夫妻と遭遇。彼が養鶏を支えた。さらに翌年札幌に「札幌供給所」が開設された。1978年だった・・・と思う。

別海から運ばれた「有精卵」を新聞紙に包んで、友人知人を頼りに卵の供給拡大に歩いた。時は流れて2014年、オーストラリアにいる久保田康伸さんが呼んでくれているような気がして、物見遊山気分で出かけ大いに楽しんできた。別れる前の日、 早朝から夜まで「ハッピー・エッグ」の配送に便乗させてもらった。風光明媚な観光地を巡るコースであったが、卵の配達先の人たちとの彼久保田康伸さんとの関わり・・始めの頃から現在までの背景・・などに気持ちが強く惹かれ辿り着いたのは、「実践は研鑽に先行してイズムの軌道をまっしぐらに進む・・」という言葉ではあった。

帰って来てもオーストラリアの大地から何か声が聞こえてくる。
「はらぺこパンや」は原子夫妻がやり続けていた夕張実顕地の小さな「直売店」だった。お客さんの居ない頃をみて「油を売りに」行っていた。

「ここの卵は美味しい!」、「ここのパンが美味しいんだよ!」と言ってくれる人たちが沢山いる。昔のことなどを思い出し、ハッピー・エッグの背景なども考えているうちに、「店を大きく新築して、こんどはたくさんの人たちに来てもらえる場にしよう・・・」と思った。
年寄りが叫んだとて、「そりゃー、年寄りの冷や水ってなもんさ!」と自分でも反省をしてもう少し「実績」を挙げてから新築に取り組もう・・・と、今は現在の店に真剣に関わっていこう。との考えに達した。

また、少しの時が流れて「はらぺこパンや」は、大きくリニューアルされた。店舗の設計から施工までやったのは、別海実顕地の学育出身者だった。だから、この新「はらぺこパンや」は「学育」のたまもの・・・でもあろうか。こんな風に思うのも愚かな年寄りの妄想でもあろう。とまれ「不可視のコミューン」を「可視のコミューン」への小さな一歩となるよう懸けてみたい。

「先ず隗より始めよ」というのはいつの時代でも真実のようでもあるし・・・。

夕張実顕地 前田典昭