実顕地づくり研鑽会~自動解任~
6月の自動解任期、今回は資料を使って研鑽しました。
●任とは。
担当、担任、受け持ち、そういう性質のもの。
●仕事をするのと、任につくのとの異い。
任務でなく。仕事とくっつくと重くなる。
●任を全うしようとするところに仕事がある。
●任につく。
責任とはちがう。
放して任意で軽く行う。
●役割 役に立つ。
「一体社会の役割」として、必ずやるべきことがある。
個人のやりたい楽しさとはちがう「役に立つ」楽しさ、生き甲斐。
「自分はいてもいなくても関係ない」と思うのはいちばん哀れ。
どんな人でも役に立っていけるよう、治まっていく実顕地一つの運営。
●解任とは。
任についているという自覚があって、解任がある。
僕の中では、「放して任意で軽く行う」というのが面白かったです。
「放す」というと、今までやってたことを放りだしてやめてしまう感じになってしまいがちだけど、気持ちを放して、やることは「軽く」!
これはいいなあと思いました。
あとは豊里の衣生活の話が盛り上がっていて、それは村ネットのコメントを引用させてもらいます。
『 豊里実顕地 呉・星順
今、衣生活の出発研がおもしろい。
今度、養鶏法が豊里であるということで、私たちはその流れにのることにしました。
運研の翌日、そこで養鶏法のはなしで全国Gづくり研の流れで、もっと生活のことが研鑽できるようにしたい、とでました。
「そういう話なら 私参加するよ」と、ちづよ。
翌日「ソンちゃんが参加しないなら、私いかない」とちづよ。
「えー、なんでそんな話になるの」と私。
「私に中3の子いること、みなさん忘れてませんか」とまた私。
で・・結局、私「参加するよ」となりました。その後はアッという間に一人ふえ二人ふえ 六人になりました。
で今日の出発研で「食生活の人も、一緒に参加したいね」という声があがり「なんなら、私たちが参加するかわりに食生活部にいってもいいよね」
「食生活部の人たちを養鶏法に送り出して、私たちが魚菜や調理をやろうよ、それもいいよね」となりました。
もう養鶏法の研鑽が、はじまった感じ。』
養鶏法の実行委員のことでも豊里メンバーでひとしきり盛り上がっていて、すでに養鶏法が始まっているというのは僕も感じました。
21号住宅の玄関軒天が屋根の漏水で、垂れ下がってきた。
修理提案があちこちから、私のメールにも。会えば声がかかる。
屋根の漏水は御所野さんが修理。次、大工仕事。
でも、美里住宅と一志GPセンターの工事で大工さんは動けない。
いつも、ここで困っていた。もっと大工さんを増やすべき!と。
さて、今回は何か他に考えられないかな、と。
屋根の漏水は止まって、軒天の落下の危険は無さそう。
で、御所野さんに確認、大丈夫だろうと。
今月半ばにはどっちの工事も完了するし。
で、「危険はなさそうだから、大工さんの手が空くまで待ってください。」と伝えた。
ら、スッと受けてくれた。
で、今日、17日に完了。
やってみて。
●仕事をするのと、任につくのとの異い。
●任を全うしようとするところに仕事がある。
「任」って、「一体社会の役割」かな。で、 建設部の「任」?
建物が健康正常にあるかなって、担当することかな。
「軒天を修理する」のが、建設部の「任」だと思っていた。
仕事をするのと、任につくのとハッキリ別モノと観えてきた。
「任」が先にあって「仕事」が出て来る、って感じ。
「事実」が先にあって、「人間の考えや観察による判断」が出て来る?アノ感じ。
様々な「人間の考えや観察による判断」があって当然。
そこから研鑽が始まるんだな。
道筋がみえてくると、軽く明るい心持ち~。
もっと、もっと、「仕事」を楽しめそう。わたしの成長点、見つけた!
トマトは一つの成長点で育てていく。
キュウリは、いくつもの成長点を残しながら、少なすぎず多過ぎずバランスをとりながら育てていく。
僕はそんなキュウリのイメージ。
実顕地づくりの中にも、一人の人の中にも、いくつもの成長点があるんじゃないかな、と思う。
ほんとね~、すごい解りやすいわー。
目から鱗、これを読んで、実顕地づくり研の中で成長点という言葉を聞いた時僕は無意識に成長点は一つと聞いていたんだなと気づいた。僕はキュウリのイメージかな。
金曜の午前まで残って実顕地づくり研に出た者の「任?」として、
豊里で上がっているボール(りんご?)を、
はたから見ているだけでなく、
多摩でも落とさずに受け取れたらと思い、
多摩の生活から参加出来ないか、
ボールを上げています。
4、5月にやってきた生活経理編と生活編からの、
実顕地用養鶏法。
豊里衣生活だけでなく、豊里だけでなく、
成長点にのっていけたらと思います。
研鑽会で川口さんが「連絡研に人が来るとかこないとかより、今成長点が何処にあるのか見ていったらいいんや」と言ったのをきいて、そうだなあと思いました。今は、衣生活の動きが豊里の成長点、これを伸ばしていけばいい。反応する人の心にも新しい根が伸び、新しい芽が伸びていくようでした。やがて実りと成り贈り物となることでしょう。