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実顕地一つの運営(9)


実顕地一つの運営(9)

先を見通し、実顕地の将来像を描く

お互いが「らしく」生きられる介護環境

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実顕地が誕生して、今年で58年が経ちました。
58年の間に、実顕地はこうあるもの、実顕地ではこうするべきということが、意識しているしていないにかかわらず身についてきました。
「同一人が、年数経ってずっと、深まっていくんじゃなしに、その時代の人である段階まで深まったあと、また続いて次の段階へと、また深まって無固定の前進で、完成人格があっての跡継ぎでなしに、次々とバトンタッチの形で先へ延びていく。若いものほど正しいという形で。自然の姿、前より以上のものになっていくのは当たり前」(ある日の研鑽会で)
ここで云わんとする社会観とはどんなものでしょうか? 実顕地の20年先、50年先、100年先は次の世代その次の世代へと引き継がれていきますが、引き継ぐというのは、一般にいわれている、古い人が今までやってきて積み重ねたことを、新しい人に引き継ぐというのではなく、積み重ねた経験などがあったとしても、新しい人が新しいことをやることに対して、温かく見守り喜んでいられるということなのでしょう。
夏休み、実顕地の子ども達が関東方面へ旅合宿に行ってきました。
子どもたちが一緒に旅をすることで、日ごろそれぞれの実顕地で暮らす中や親子だけでは味わえない楽しさがあったようです。
那須・岡部・成田実顕地など、大勢の子どもたちを嬉しく温かく受け入れて貰いました。交流会では、お父さん達から、「この子たちがいます、よろしくお願いします」と紹介する場面もありました。
男の子は自分だけのことから、少しは回りへと目が向くようになったり、女の子たちはちょっとした合間やバスでの移動中までみんなでコロコロ一つになってゲームをしたりと、この企画も3年目ということで、回を重ねるたびに子ども同士の関係も深まってきているようです。
親たちにとっては、自分たちが受けてきたものを改めて感じながら、将来この子どもたちが、今までと違ったまったく新しい実顕地を造ることに、喜びを感じる自分達でありたいと思いを馳せる旅になったそうです。そんな日が来ることを楽しみに、先を見通し実顕地の将来像を描いていきたいものです。

 
介護環境についてのテーマがあがって二ヶ月が経ちました。
はじめは、なぜ急に介護がテーマに、といろいろな反応がありましたが、村ネットの中でも介護に関してのコメントが続き、研鑽会や職場でも介護の話題が多くなってきました。一部を抜粋し紹介します。
『環境っていうと、どうしてもハード面を考えてしまうけど。
例えば家一つとっても考え方が現れる。
・・・・
団地の2階に住んでいる93歳のおばあちゃんを迎えに行って階段を降りるとき、足を痛そうに引きずるから「もうそろそろ,引っ越しを考えてはどうですか?転んで骨を折ってもいけないし・・」と言ってみた。
「そうだねえ、転ぶのも覚悟でないと階段は歩けないよねえ、この階段があるから注意して歩こうって思ってるんだけどねえ」はっとした。
転ぶことを予防することで、注意する力をなえさせる?
・・・・
介護するということの中には、する,される、とか、してもらう、してあげる、という関係が生まれやすい。力関係で綱引きをしてしまう。研修したり訓練したり経験して身につけてしまうものがある。
本当に、共に生きるお互い様のあなたと私なら、どういうことになるのだろう。
・・・・
「暑い寒いも自分のためよ、選べないんだからね」。その中で生きている,生きていく。』 (村ネットコメントより一部抜粋)

介護について考えていくと、介護そのもののことよりも、そこから「どんなふうに生きていきたいのか」「どんなお互いになりあっていきたいのか」「どんな社会をつくっていきたいのか」とテーマが広がっていき、そのあと「実際の介護とは」に還ってくるように感じました。
はじめは介護する側が、楽にできるように、設備や機具、人材などを考えていましたが、村ネットにコメントが出されてから、そうではないあたりに光が当たり始めました。介護のことを考えているようで、介護という切り口から実顕地を描いていく。これが介護だけでなくすべてのできごとに対しての実顕地づくりの基になるようなことに気付きました。
介護する方、される方とすぐ分けがちですが、「お互いが、らしく生きられる介護環境」を考えていきたいものです。

実顕地研鑽部