加賀日和
朝の出発研で、その日の朝放映のNHKテレビ「短歌の時間」の話題になった。
春日山実顕地の上門善和さんの歌が紹介されていました。
父玄関 母は東戸 われら裏
第二室戸の 台風に押す
題は 「父」
*室戸台風っていつや?
*(スマホで調べる福崎さん) 1961年やて
*私生まれてなーい
*六川実顕地あたりって、台風すごいらしいもの。
*あそこって部屋の窓が高いのはその為なんでしょ、夏行くと風が通らなくって暑いよねー
*私思い出すわ、阿山もそうだった、子供等と台風の時、中から戸、押したわーと康ちゃん
*きっと、上門さんの『原風景』なんだろうね。
妙にみんな納得
後日、再放送を見た古坊さん
*父というと思い出す風景が僕もあるです、と整理研で言ってました。
私は『原風景』という言葉にみんながうなずく光景が印象的だった。
そこにお互いの共通理解があって、それが日々の生活の基盤になっているような気がした。
いやいや、そこが危なっかしいのかも知れない、なんて思ったり、、
そんな事を考える今日の整理研でした。
昨夜,依ちゃんが我が家へやってきた。呼んだのは平島さん。
私は気を利かして(?)別室へ。芽依は古坊さんが見てくれている。
どうしてそうなったか、そのいきさつを掻い摘んでお話ししましょう。
3/2に養鶏法から帰ってきた依りちゃん。翌朝の出発研で苦しかった養鶏法の様子を延々と涙交じりでしゃべってくれました。私達はただただ、聞いてました。
私流に聞いた感じを簡単に言ってしまえば
自分の思ってる事を全部さらけ出したら、みんなが引いていくように思えて、みんなの楽しそうな輪に入って行けず、自分だけ取り残されて行く孤独感、
こんな私で、実顕地でやっていけない。春美さんに以前「依ちゃん、そのままでは実顕地でやっていけないよ」といわれたことも思い出される。
「人からどう思われるか?」という呪縛(?)から抜け出せない依ちゃんの姿が伺われた。
後半になってやっと「どう思われてもいい」と思えて、みんなが自分を受け入れてくれてる味わいもしてきたようだ。
「今はどん底で這い上がり方がわからない」といった様子でいつになく、沈んでいる。
話が終わりそうになった頃、康ちゃんが
「味わってきたこともあると言ってたやろ、うち等は、いやうちははその味わいがあるから、ここにいるんや」と絞めた。
良い養鶏法だったじゃない! そこにいたあらかたの人はそう言っていた。
一人平島さんだけはそう思わなかったようだ。
「どんなに元気になって、帰ってくるだろう」と大いに期待していたそうな。
それが帰ってきたら、延々と自分の心情をしゃべって、落ち込んでる。どうしたんや?
康子さんの絞めの言葉も平島さんには、「もう、いいかげんにしいや」といった打ち切りの言葉にきこえたよう。(これはちょっといいすぎかな?)
次の日、以前とあまり変わらないように見える依ちゃんを見て、前日あんなに落ち込んでたのにどうなってるんだ?と又思ったそうです。
翌々日の出発研で古坊さんに「依ちゃんと話したいんやけど、いいかな?」と冗談なのか、まじなのか?わざわざ出したのです。
「いいやん!お茶にするか?食事にするか!」とまわりも茶化し半分、心中は「いい組み合わせかも知れない」と思っているような雰囲気でした。
結局、外出する元気もなく、やっぱり部屋で話そうとなったようです。
廊下の向かいの部屋で、パソコンに向かってる私の耳に終始楽しそうな笑い声が聞こえてくる70分でした。(実は平島さんタイマー掛けて、計ってタンです!)
次の朝、出発研で、依ちゃんは自分がどこで(なにで)落ち込んだか、ちょっと見えた感じがしたと言ってました。そして、楽しかったーとも。
まぁ、ぼちぼちやろうー お互様の間柄だからさ。