With(共にやる)
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With(共にやる)
榛名研鑽学校から見えてきたもの
いつもの暮らしの中で
印刷 ⇒ 令和3年9月with
◯年間テーマ
With(共にやる)
○9月度テーマ
榛名研鑽学校から見えてきたもの
いつもの暮らしの中で
この夏は、特別講習研鑽会が春日山実顕地で開催され、榛名実顕地では研鑽学校が開催されました。研学の様子や感想、その後が村ネットに寄せられてきていますが、改めてその一部を紹介します。
いつも先ず自分の私意が来ている私だ、と思いました。
「やらなくていい」の上で「やれるところまでやってみよう」と思えて、そういう気持ちでいることをみんなに伝えた。
私意を出すことで自分の事で無くなっている。その先に相手の私意が見えてくる。
毎朝餌をねだる猫のジーナがいつものようにみゃーと泣いてついてき始めたので、箱から餌を出してやろうとしたら、ジーナが来ていませんでした。なーんだ,おなかすいてないのか、と思って、その時ハッと気づきました。ジーナがなぜ来てないのかは、私にはまったくわからないんだ。
一緒に暮らしている人達の思っていることを聞きあえたのは とても大きなことだった
何かいつも心の中に硬いものがあり、自分が不自由な生き方をしていると感じていました。自分の暮らしている実顕地での全員参加の研鑚学校を、自由な自分、誰もを好きな自分、柔らかく共にやれる自分になりたいと思い、スタートしました。
ある朝、洗濯物干し場の戸が少し空いているのが、誰かの私意に見えました。何日か後、それと同じ状態の戸を、あれ、戸が開いてる、閉めようとなり、前と全然違う、この違いは何だろうと思いました。違ったのは私の心の在り様。
青い本で読んだ時は そんな社会をつくっていきたいよね!! と思っていたのが 何の苦も無くそういう社会を毎晩つくっていた二週間
榛名のメンバーはこんなにいっぱい出すとは、驚きました。
普段の暮らしの中では、この人の事は心の中はみえない、知らない事ばかりでした。
普段の研鑽学校と違って、この、いつも暮らしている人との、そういう研鑽学校の方がすごくいいなというふうに思った。
自分の実顕地で、いつも一緒に暮らしてる仲間と、毎日同じテーマでやっている、、、、、これは本当にすごいことです。
。。。。さんはこう思っているんか、とか、そう感じているんか、、、、、、なんだか、だんだん好きになっていく、なんとも楽しい毎日です。
あなたの私意、私の私意 それを全部尊重する、、、、、それを私はこれからやっていくんだ、と思いました。
「私意を全部尊重して、公意を見出す。(私が公意を見出すって
どんな感じ)」公意。はるか遠くにあるような感じだった公意がとても身近な、それを見出そうとともにやることが、自由で幸せな私へのただ一つの道、、、、そんな発見をした研鑽学校です。
最終日に示されたテーマ「実顕地一つからの出発」「共にやる」が心に残りました。
たかが50年でしょう、長い歴史の中での50年、いく世代にも渡って、研鑽生活をしようとしてる、未だかつてないことでしょうと。
一人一人が自分の気が行くところをやって、それが踊りになって、不思議に毎日食事ができてくる。たまたま集まった、特別の人が一人もいない人たちで、こんな山の奥の何にもないところに、こんな、お互いに見守り合っている世界があることに驚いた。ここに実顕地がある。その中に私がいる。嬉しい。
榛名研鑽学校が開催され見えてきたものを通して、自分達はどんな実顕地を・どんな社会を創っていくのかを共に考えていきたいです。
テーマはイズム社会生活思い切って実践でやります。皆さん一緒にやらせて下さい。よろしくお願いします。
昨日村つくり研があった
いつもの暮らしのなかでのやってみてをだしあった
久しぶりだけどその人らしさがでていて その節回しに
笑ったりうなずいたり楽しかった
介護のこともいろんな場面での気持ちを持ち寄っていて
それをきくと次がまた楽しみになってくる
「いつもの暮らしの中での、そもそも何でもない事実から出発して・・・」
秋は栗ご飯! 今年も愛和館に栗の皮剥きテーブル1つ、用意してありました。
食後のひととき、ほんわかと皮剥きに興ずる姿にさそわれて近づくと。
千鶴ちゃんが剥き方を、「ここをスルスルといって、下に人筆書きで降りて、パカっと・・・」
お見事! 「ここまで来るのに、何個剥いたかなぁ」と。
300人、400人分の栗の皮剥きをやってきた人から、今、わたしが受け取っているモノは?
そして、繋いでいくモノは?
汲めども尽きぬ源泉が映ってきた感じ。
尉子さんと散歩に出かけた
池の前から23号へと行ってみた
尉子さん彼岸花を身近に見た時はちょっとびっくりした様子
23号では青や赤、黄色と様々な花が咲いていた
普段見ているのと随分違った見え方だった
尉子さんといるからだなあ・・
裕子さんからお花でも見に行きますか?から始まって
昨日窓口へ行ったら えみちゃんから蛍光灯もってきてもらえないかな?と声かかった 今できる?ときかれ その前はあれしてこれして・・と思っていたのだが一瞬それが消えた
消えたのが面白かったし楽しかった (忘れたんじゃないよ)
声かけてもらうことでひろがっていく
いつもの暮らしのなかで あるなー
ロビーで林子さんに誘われて 尉子さんと切り絵を見ました
クラーク・ゲーブルとビビアン・リーがまじかで見つめ合っている絵です
ビビアンが尉子さんに似てるって言うと なんか
華やいだ反応があり なんだか3人共20代になってるみたいな雰囲気を感じたりして・・・・
今共に生きている実感がありました
9/8の麻野幸子さんのコメントの”「はたらきかけ」とは、万象悉く流れ、移り行くものって感じかなぁ。” そうだなぁと思いました。佐川さんのブログの中の俵万智の短歌 ”「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの” も、“「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ”も
そうなのかなあ!
佐々木久枝さんの9/13のコメントの中の”なにげないことから感じあったり慮ったり”する心の動きも、玄関で出会ったリッタの目も、それに反応している久枝さんの心の動きも「はたらきかけ」なのではないだろうか?
榛名研鑽学校以降、みんなの心の琴線がとても暖かく敏感になっているなあと感じます。コロナの事もあり、直接触れ合っての研鑽機会は減っていますが、web site上で各地の仲間の心のつぶやきを聴かせてもらうだけでも自分も共感し変化していると感じます。
願わくば、この村ネットが繁盛し、新しい研鑽機会の一つになればと思います。
毎朝の出発研 なにげないことから感じあったり慮ったり
きいていろんなことに反応している
今朝玄関でリッターと目があった 感ずるものがあった
見守りあっている世界 大事にしていきたい
昨日の村つくり研やってみて
尉子さんと週一会うが、まずきこうとしている自分がある 裕子さんと尉子さんのやりとりや様子をみようとしている 一歩ずつだがやっている 先日尉子さん、ロビーへ散歩に行くのがあんまり乗り気でなかった
窓から百町の解体が見えた時 私が あそこでやっていたんですよ 壊してみると広いですねーと興奮気味に話したら そうなんですか!ときいてくれた
なんか一緒にそこに居合わせた実感があった
8/20の佐川さんのブログ「鈍愚考53」を読んでいて、どうしても理解出来ない一文が有り何度も読み返し考えた。
『そして研鑽とは、自分を正すという事以外の一切の間違いを正し、低いものは高く、狭いものは広く、少ないものは多く、不味いものは美味しく、きたないものは美しくと、消極的内向性から「はたらきかけ」が活発となり、人生が運動的・活動的となって、その活気・熱気が春日山の外へあふれ出ていく時、それがヤマギシズム拡大であり、ヤマギシズム運動でないでしょうか?』
何日か考えている間にある研鑽会で特講と盆踊りをやってみての感想が出された。どちらも降って湧いたような話だったが、いずれも日常の一コマの何かのように、その為の特別な研鑽会など身構えてやる事も無く、やりたい人がやりたいことをやりたいだけやって全てが進み、たくさんの人が暖かい何かを十分に味わったようだ。その流れの中に「はたらきかけ」を感じ文章の意味が何となくわかったような気がした。そして9/1の朝、今月のテーマの解説で榛名の研鑽学校の感想文を読んでやっぱりそうなのかなと思った。
研鑽とは、紐付きでない私意を軽く出しあい、判断の無い私で、「あ、そうなの」と受けあい、その積み重ねで互いが近くなり溶けていく。そしてしだいに互いの胸の中に暖かいものが沸き上がってくる。そんな私が発する言葉や行為が『はたらきかけ』なのではないだろうか?
思えば全ては、全ての『タダのはたらきかけ』で成り立ち存在している。朝になると目が覚める、手が動く足が動く、歩ける、職場がある、仕事ができる、風呂がある、美味しい食事もある。全ては信じられない程の奇跡としか思えない『タダのはたらきかけ』のおかげではないだろうか。1日の殆どをその様に過ごしているのだが、時として意に沿わぬ事も起こる。突然物が二重に見える、腕が上がらない、提案が通らない、考えられないような事をする人がいる、コロナは終息しない、紛争が虐殺がある、海洋汚染が、温暖化がある。しかしこれらも、自分の観念が意に沿わぬ、許せないと思っているだけで、太陽が毎朝東から登るように当たり前の事で、それらも『はたらきかけ』によって支えられているとすれば私は何を為すのか?
自分は何の為に生きているのか学生の頃から、そして参画してからも考え続けてきたが、この「はたらきかけ」をする為に「はたらきかけ」によって存在しているのではないだろうかと今感じている。それで十分ではないだろうか。
青本にある社会が何の苦もなく毎晩つくっていた二週間、山の奥のなんにもないところに。
あったのは「幸福研鑽会」
消極的内向性から「はたらきかけ」が活発となっていく様が観えてくるような・・・
「はたらきかけ」とは、万象悉く流れ、移り行くものって感じかなぁ。
実顕地全員参加の研鑽学校っていいですね。
「一人の人の感想文だと思った」のくだりは
村人自身が村人の真価に気づいていく研鑽学校だったんだなと思わせてくれたりもします。羨ましい限りです。
何が羨ましいと思ってる私かな?
今、91歳の母と同居して10か月余り、私の持てる限りの愛情すべてを注ぎたいとの思いで暮らしていますが、時々沢っとした気持ちも出ます。やがて行くわが道二人三脚?2人で一人前?母は私、私は母、それとも?今を楽しんでます。
山の奥のなんにもないところ、あったのは幸福研鑽会だけ?かもなぁ、と。
どの感想文も私が書いたように映ってきた感じ。
由美子さんが寄せてくれたコメントを読んで呼び覚まされたものがありました。
9月1日 建設部出発研でテーマ解説の榛名研鑽学校の感想文を読んだ後に。
「一人のひとの感想文だと思った。」という感想が新鮮だった。そんなふうに聴こえてくるって何だろう?