前進・飛躍の年
前進・飛躍の年
見直すことができない私
印刷 ⇒ 令和4年5月
◯年間テーマ
前進・飛躍の年
◯5月度テーマ
見直すことができない私
今月16日から豊里実顕地で研鑽学校4が開催されます。
各実顕地から送り出し合っての研鑽学校は、丸2年以上ぶりの開催になります。開催要項には”「ヤマギシズムって何ですか」と聞かれたら何と答えますか”というテーマの一例も案内されています。
新しい研鑽学校、参加者はもちろん一緒にこの研鑽学校をつくっていきたいです。
今月も引き続き「見直すことができない私」というテーマで探っていきたいです。
このテーマが出た時に、常にもっとないか?どうだろうか、見直していこう。と日頃から考えてやっている、見直すことができない私ではない、という意見が出てきたそうです。
そこまで、言い切れるほどの自分では無いし、見直しができているかは別としても、折に触れ見直そうとしてやっている。そこまで日常意識しているわけでもないが、何かの時には見直そうとしている。という人も多いのでは無いでしょうか。
ある実顕地では、お風呂のタオルの出し方が話題になったそうです。
それまでは、脱衣室にカゴが置いてあり、使ったタオルを入れておくと、回収され洗濯されるようになっていました。
ある日を境に、1人1人が洗濯場にタオルを出しに行くことになり、そのカゴは脱衣室から無くなっていたそうです。
脱衣室まで回収に来て洗濯するのが、衣生活の任ではないか。と言いに来る人。カゴの置かれてない床にそのままタオルを置いていく人。伝えられた通り持っていく人。まわりの人の様子をみて行動を考える人。など様々な反応があったそうですが、こういった場面での見直し、とはどんなことをいうのでしょうか?
その場に出合った一人一人の中での見直しとは?また衣生活の立場での見直しとは??まだまだありそうです。
このような話題は、暮らしの中で、どの実顕地でもよくあることでしょう。それぞれの思いや考えを出し合ったり、お互いの立場からの考えを聞き合ったりすることは、今まで随分とやってきました。ひとたび話題になると、方法や仕組みについての話に花が咲いたり、共通の話題ということで、うちではこうしてる、どこどこではこうしてるみたい、と話は広がる一方、ということにもなりがちです。
声に出す人もいる一方で、声に出さない人も多くいるということも心に留めておきたいことの一つでしょうか。
改めて「全く異った次元での見直し」とはどんなことなのか更に探っていきたいです。
今年度の特別講習研鑽会は8月とお正月の2回の開催予定が決まりました。こちらも共に創っていきましょう。
にわかに身辺が賑やかになってきたかんじ。研学4とせんこう委員会関連で。話ししてて、一緒に研学入ろうってその人に言ってよと何度かきいた。どうしようかなあとゆっくり考えているのがいいかんじ。入りたい!でやるのとはまたちがうなあ
「今度の研鑽学校のテーマに”「ヤマギシズムって何ですか」と聞かれたら何と答えますか”っていうのがあるんだって」と話しかけたら、
「へ~、面白そうだなぁ。自分はここで育って来て、こういうものなのかなぁ、って思っているけど、参画してきた人達はハッキリしたものがあるんだろうなぁ、聴いてみたいなぁ。」と、 パ~っと顔が明るくなって、声が弾んでいるのを見るのは久しぶり。
私も特講から35年間、「ヤマギシズムって何だろう?」と追いかけ続けているけれど・・・立ち止まって、皆んなと共に、見直してみたいと思う。
ちょっと、前進・飛躍を期待しながら。