前進・飛躍の年
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「ヤマギシズム」って何ですか?
・・・と聞かれたら何と答えますか
印刷 ⇒ 令和4年6月
◯年間テーマ
前進・飛躍の年
◯6月度テーマ
「ヤマギシズム」って何ですか?
・・・と聞かれたら何と答えますか
「ヤマギシズム」ってなんですか?
・・・と聞かれたら何と答えますか?
昔からいわれていたことを、今の私達の頭で考えてみよう
5月16日からの2週間、研鑽学校4が豊里実顕地で開催され各地へと出発しましたが、今も各実顕地・職場で研鑽学校が続いていることでしょう。
今までいろいろ勉強?してきて言葉は色々知ってるけど自分の言葉で知らない人に伝えるとしたら 「さて なんと?」
「・・・」って何ですか?と聞かれたら何と答えますか。というテーマで通してやってきて、今まで学習してきたこととか、昔からこのように聞いているという過去のものでなく、今、私の頭で考えていこう思っている。という現在進行形の方にシフトしたことで、研鑽学校での発言が多くなっていったそうです。実践テーマは「いろいろな場でテーマのことを話題にする そこでテーマについての自分の考えを言う」どこかに出ていって研鑽学校のテーマについて、自分の意見を述べることによって、研鑽学校に参加していない人をも巻き込んで実顕地全体で考えていく雰囲気が醸し出されました。各職場の出発研や、各実顕地の研鑽会は賑わい、「研鑽していきたい」という気運が高まり続いています。
村ネットへもたくさんの投稿が寄せられていました。
朝起きて昨夜のテーマ「これから実顕地で何をやっていきますか?」の問いかけを考えていたら、そうか今は私が投稿することか。と思え、書き出している。
「事実」って何ですか?と聞かれたら・・・のときに、手を大きく広げて「全部」というのが印象的だった。私の知ってる事も知らない事も、目の前の事も宇宙の果ての事も、私の都合に関係なくすべて。
そして「真の幸福」とは・・その事実を丸ごと受け入れた状態をいうと思えた。
それは、私がどう思おうが思わなかろうがすでに「ある」と。
今までの「真理」「研鑽」「無所有」「無我執」がそれにつながってきた。
「公意」とは「実顕地」とはの後に「あなたは今の実顕地に参画していますか?」と問われた。
半年前の自動解任新任カードで「参画者として何をしたい?」と問われ、「参画者って何?街で20年やっても参画取消してなければ参画者?実顕地とよぶ所に住んでいたら参画者?違うよねぇ」何?と疑問がわいた。
今は「はい、今の実顕地に参画してます」と言える。
今回、指を痛めて今までのように動く事ができず「これからどうなるのかなぁ私」と気持ちが曇りそうなタイミングでの研学でした。
あらためて、私のできる事を一つ一つ皆と共にすすめていき、楽しみたいと思っています。
先月まで研鑽してきた「全く異なった次元での見直し」や今月の自動解任へも繋がっていくテーマになりそうです。
共に研鑽していきましょう。
研鑽って高度なことっていうイメージがあった 自分にはできないというかんじの でもやっていきたいみたいな
できないことをいいことにすきなようにやりとりしていた面もある
先日自分が研鑽できる人だと思っている人とその他の人と話し合いの時間をもった
その他の人が今までになくよく話してくれた それはなんでだろう? しらべていきたい
「私のできる事を1つ1つ皆と共に進めていき楽しみたい」とあった
乳牛の出発研できいた木曜運研、仲良し研が繋がっていてゆるやかに流れているけど確実に実現している。一人ひとりのやりたい事やすすめたい気持ちから実際そう動いていく実感がある
自分がやりたいと思う気持ちより他の人がすすめたい気持ちにのって快適に旅をしていきたいな
「何としてでも聞いてみたい」
先日堺ファームでの特講を薦める会に浦崎.前田さんとで参加しました。誰かが私の紹介でヤマギシで仏教をやっている牧生さんと言った。みんな大笑い。それもあって、仏教との馴れ初めをコメントしておこう。
★私の仏教との出会い
2005年に癌にて永井病院に入院。Kさんが見舞いに来た。駐車場が入れなくて市の図書館の方へ行った。そこでスマナサーラ長老と養老先生の対談本「希望のしくみ」に出会う。ここからの始まりです。
その後スマナサーラ長老の説法や「ヴィパッサナー瞑想」と「慈悲の瞑想」の指導を受けました。実顕地から一緒に参加した人の中で、これはヤマギシと一緒やでという感想もありました。
私もそう感じるので、何か理念以外の具体的なその根拠になるものがないか?と山岸巳代蔵全集を読んでみました。
ありました。全集(五)にありました。
★僕は何としても釈迦をここへ呼んできたいわ〜科学者だと思う。〜(山岸巳代蔵全集五・325頁)★
日本仏教では空海や親鸞や法然や道元師を始祖にしている。お釈迦さまは脇に居ていただくという感じです。東南アジアでは仏教というとお釈迦さまです。
この日本の仏教事情の中での驚嘆な発言です。それもお釈迦さまを科学者というのですから。
それにまだあります。
★〜釈迦はえらいとこまでいっているなと思う。正直やしね、正直らしいわ。ここへも来てくれら〜全集五・177頁)★
「ここへも来てくれたら」そら来てほしいですね。山岸さんも正直な人ですね。
何としてでも呼んできたいわ。こんなのめったやたらに出る言葉ではないですね。どういう考えがあってのことかとても関心があります。
私自身も山岸巳代蔵さんに何としてでも聞いててみたいことがあります。
特別講習研鑽会の目標に「如何なる場合にも腹の立たない人になる」を設けています。これについてお聴きしたいのです。
お釈迦さまの教えの悟りの段階は、預流果・一来果・不還果・阿羅漢果の四段階です。
すべての煩悩が完全に滅した人が阿羅漢です。怒りのエネルギーが全くありません。この段階が「如何なる場合にも腹の立たない人」です。
阿羅漢になるというのは人格の完成という偉大なる挑戦の道です。
八正道を基盤にしての「如何なる場合にも腹の立たない人になる」という目標だと理解します。
これには「ヴィパッサナー瞑想」は欠かせない実践とするのがアビダンマの解説です。私もそのように確信しています。
予科研鑽学校の後に、まったく次元の異なった無色(識)界研等もあるようですが、ここで頭脳チャンピオンに期待する方法(実践の書・100頁)として、スマナサーラ長老等に瞑想指導を受けるというような仕掛けが入るのでしょうか?
私は秘密を堅持している。時が来ればそれを明かすというよな中にこのことが含まれるのかなと楽しみにしています。
ヤマギシシズムの奥の深さとはこんなところにもありそうですね。
水無月の会 楽しかったよ なんか歌がききたいと思っていた人の歌がきけたり いつも苦虫つぶしてるなって印象の人が
大笑いしてたり・・・ 思い思いの姿が いいかんじだった
研鑽学校の思い出話しに花が咲いたり こんな席でも 研鑽って何じゃーと語っていたし
風がぴゅーぴゅー吹いていたが 人のこころがあったかい夜だった
乳牛部の出発研が面白い。
前は雑談とテーマに関する事という線引きをしていたが(柄にもなく)今は無くなった
ひとつ一つをみんなで楽しんですすめているかんじが心地よい
知らなくても出来なくてもあんまり関係ないところに居心地の良さがある
今期のせんこう委員は仲良し班から選出すると聞いて、改めて仲良し班について考えた。(何年か職場から選出してたので)
ある仲良し班が、青山でのバーベキューを企画した。準備するなかで、あの人もこの人も声かけたくなって入院中の人も含め一人残らず誘ったと聞いてハッとした。その心境は太陽光のごとく一方的に降り注いだ感じに思えた。
仲良し班のいろんな事を私はやれる人でやろうと言ってきた。私の判断での「やれる人」だった。次元のちがう仲良し班があると思った。
自動解任月、仲良し班とは何か?これも楽しみだ。
「なかよしって、なんですか」
と聞かれたら、なんと答えますか?
このことをスタートにして、考えたい。
「なかよし」を実践する研鑽会
になるようにしていきたい。
これこそ、
ヤマギシズムを
具体的に現すものだと思うから。
これまでの、
自分の投稿した文章を読み返してみて、
寝言みたいなことを
書いている気がして、
気はずかしくなった。
現実の中では、
まだまだ直面するたび、
こたえることがあるけど、
研鑽でやっていけば、
少なくとも、暗くならないで、
ともにやっていけるかな。
木漏れ日の
中、分入れば
当たり前の
有り難味に
ふと気づくとき
日々の暮らしが、何かしら
このような詩句で、著されるほどの、
妙味に、満たされている。
昨日村つくり研やってみて
研鑽会で長く出す人の例が出てとてもわかりやすく面白かった
素直に認めている姿は新鮮だった
私が長くなるのは自分の見た事や知った事を大事にして暮らしているからだろうな。それを話す時間も多い。きいた事を自分なりに想像するし。
都合に関係なくなれば受け入れ
「しょうがないな」と思えるようになるかも
そばに人がいるのは助かる
インスタントラーメンのように
すぐ食べれるから
「任重くして道遠し」
この言葉を想い出すたび、
不思議と、身近に感じられ、
ワクワクしてくる。
わからなさを
ひとつひとつ知っていく、
よろこびみたいな。
朝7時からの出発研、「建設部に初めて来た」と寄ったひとが14,5人ありました。
そして、この土曜日、日曜日にも初めてのひとが訪れて、久しぶりに研鑽学校に参加してを。
「零位」ってハイと言うことだと思い込んで暮らしていたけれど・・・ホントは?と考えられたとか、
いつになく明るい表情で話した。
2週間、毎晩ホタルのように寄って、それぞれ思い、思いに光を放ちながら飛び交い、明るく、愉しく、ほんわかと生きていける人になったんだなぁ、と嬉しかった。