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新しい景色、紀南のみかん収穫


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今年は六川も紀南も蜜柑が豊作、ということで、11月から1月まで、春日発の蜜柑狩りの便がたくさんでました。
私も六川へ4回、紀南に1回行きました。その時どきで、色々な人達との組み合わせでやれたのが面白かったです。
親子企画の人達と一緒のときは段々畑で追いかけっこをする子供達をハラハラ見守る婆やになったり。若い人と一緒になれば「採りにくいところは残して置いてください。僕達が取りますから。」と言われたり。いつもは畑などの実動のときはスマホ不携帯(落とすのが怖い)の私ですが「こんなときこそ持っとかなあかんやん。」と叱られたり。そのときその場で「今だったらこんな感じでやったらいいかな?」と探っていくのが、楽しかった
です。
春日に帰ってからも「それが続く」ような感じです。蜜柑採りに行ったり来たりの中での特講準備や、年末年始の風景、新しかったです。

春日山 上門由喜子

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去年のミカンはオモテ年。
ひょっとして知らないヒトのために、
ミカン、柿などは、「良く実のつくオモテ年、実のまばらなウラ年がある」
モー、いや、牛ではない。
モー、ミカンが一杯なのだ。

春日山発、早朝5時半発、南紀行。
気の早いヒトは、5時前から、出発の場所でウロウロしているのだ。
ということは、せっかちなヤナギさんも待っているということ。

ともかく、紀ノ川(きのかわ)のサービスエリアで、トイレをすませ、
思い思いの、パンをほおばり、コーヒーをすする。
ボクは女房の勧める、卵焼き入りカレーパンをゲットである。

たわわに実った紅オレンジのみかん。
総勢24人で、寄って集(たか)って、全取りである。
体調や能力に合わせて、木の上や木の下、思い思いに鋏を使い、
テボ(かご)の中にいれる。

こういうとき、ボクの方がたくさん採ってる。ワタシの方が早いなどと。
人間は想いがちであるが、この集団には、そういうものがない。

声かけあって、どんどん進むだけである。
ミカンをすこしでも多くとろうというのが、作業の前の心意気である。

たわわに実ったみかんの木を、
収穫前と収穫後と見比べてみると、枝がすこし上がって、
ミカンの木が「なにか、ホッとした感じ」に見えるのは嬉しいものだ。

弁当を頂く、御浜の御年(おんとし)80才の庄亮(しょうりょう)さん。
腰を痛めているが、食事どきは、まーるく座った歓迎の宴につく。酒はない。

もう50年も前のこと、中央試験場の徳重さんの鞄(かばん)持ちで、六川に来た。
天秤棒の両端に、重い肥料をつけたが「もう、肩が痛くて持ち上がらない」のだ。
この時ほど、自分が体育系でないことを悔(くや)んだことはなかった。
中学生の時から、囲碁部であったのだ。
つまり、軟弱。

ショウちゃんは当時から「甘いマスク」で男前だったし。
奥さんのテルミさんは、八頭身の美人であった。

東京育ちのボクは「鄙にも希な(いなかにはめったにいない)」夫婦だと思ったものでした。

さて、ショウちゃんと「昔の話や、この農場を作ったときの話」
尽きない話で、大笑いしながら、あっという間に時は過ぎ。
ツギはミカン収穫。

午後、もうこの辺で終わりかな、と思ったら、
「モウ、一列いくよー」
「もうもう、最後まで、いくよー」と、きたもんだ。
みんな、面白がって、最後は一本のミカンに10人くらい群がって、お仕舞い。

そのあとに「温泉(安い沸かし湯)」。省エネとうたい、露天風呂はお休み。
サウナに2回入った000さんは、発車時刻になっても、バスに来ない。
「ヤナギさん、お友達でしょ、迎えに行って」と声がかかる。

やがて、バスの中。
「もう、000さんを、みんな連れて来ないと、いってるよー」ヤナギくん。
「エー、そんな冷たいこと、イワンといてーな」「アハハ、ハ」

「今度、来るときは、お風呂に入らなくても良いからって、いってるよー」ヤナギくん。
「エー、そんなこと、イッテヘン、イッテヘンよー」「アハハッ」

漫才と観客という構図である。

ヤサシイ運転手さんは、サウナ2回で、のどが渇いたろうであろう000氏のために、
コンビニにバスを止めた。

「イチバン、安いジュースでいいから」とヤナギくんがいったら、
みんなの「アハハッ」の声が大きくなった。

後は、バスの中で眠りこけて候(そうろう)でした。

ミカンの入ったコンテナは270コンテナでした。優秀かな。

マタ、イコウネ-。

春日山  柳 文夫