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オーストラリア特講、その後


 いろいろ話すと長くなります。

 今でも写真の一人一人の顔をみても信じられない。

 本当に特講をやったんかな~~~と。特講の中で妹尾さんが、どうやって特講が始まったか、山岸さんの話をしてくれたときにオーストラリアの19年間を思い出した。

 最初はつたない英語で、ヤマギシを思いっきり紹介して、誤解の新聞記事が載ったり、カルトとたたかれたこともあった、会員さんのツアーを月に2回、20人ぐらい受け入れていたときもあった。

 2000年のことがあって日本とほとんど交流もなくなり、来てくれる人達も無くただ黙々と養鶏をやり続ける時期もあった。

 そのときに本当に何をしにきたのか、と自分に繰り返し問うことが大きかったように思う。

 実顕地の基礎作り、と10年ぐらい養鶏に専念したときが、山岸さんがイズムがじかには世論に受け入れられないとして、養鶏にあらわしたと。。。。

 まさにそういう10年だったように思う。

 最初は売れなくて一生懸命に説明をして、英語も上達できたし。

 ヤマギシ養鶏に真面目に取り組むことで、10年ずいぶんヒヨコに教えられた。

 イズムを学ぶ良い機会だったと思う。

 ハッピーエッグとして評判を呼び、始まってからずーといつも足りない状態で、おととしも、鶏舎をたてたけど。。いまでもすでに足りなくなっている。

 ヤマギシ養鶏の本質ー全ての人の幸福を願ってーをはずしたらこの養鶏はなりたたない。

 山岸さんの言葉が本当にあり難いと思う。

 妹尾さん「ヤスさんに”身替わりとしてやらしてもらいました」といっていて、そういう世界だな、と思わせてもらいました。

 法人の会計士をしてくれていたクリスさんが私達の願いをキャッチしてくれ、15年前に夫婦で特講をうけ、その後、友達や会社の社員さん6人が日本の特講をうけ、去年の五月に偶然日本の旅行に行く予定のリアンにダイアンが特講を進めてくれ、11月にオーストラリア人4名が研鑽学校を一緒にうけ、全てが雪だるまのように巻き込んで今回の特講に繋がったのです。

 世界で始めての英語の特講、もしかしたら凄いことなのかましれない。

 すでに受講者のなかから「イギリスでやりたい」「ニュージーランドでやりたい」と出ています。

 次回のオーストラリア特講の希望者の17名いて、10月か、11月に2回続けてやりたいという提案がでています。

 7月31日からの日本の研鑽学校希望者が8名います。(放射能の程度にも関係しますが)

 オーストラリアで研学をやるのを待っている人もいます。

 スイス実顕地でやらせてもらったとき人種は違っても人類は一緒だと感激したけど、今回はちょっと違う感じ。何か不思議な感じがする。

 「どうしてこんなに一緒なのか?」と空を飛ぶ渡り鳥たちの姿をみると、心を強く打たれるものがあると感じていたけれど、それは生き物としての共感なのかと思う。

 ますます、どの人のこころの中にある1つのものを感じます。

 ひとりひとりのひとと、まっすぐに向き合ってみて、どの人も本当に可愛かったです。

 大切にしたい家族です。

【ヤス&和】

久保田康伸 和子 オーストラリア実顕地
久保田大雅 何故オーストラリアで特講が開かれたのか、特講が終わってからも、その意味を考えている日々です。

 去年の5月にリエンが特講に参加してからオーストラリアでの特講開催の話が持ち上がり、その話が現実味を帯びて来たのが10月。5月には開催と言う具合に一気に話が進んで行き実顕地メンバーの準備が追いつかない程のペースで開催一週間前を迎える事になりました。特講の係団が日本から到着し、出発研を全員でやった事で開催に向けての気運が一気に高まっていきました。

 夫々が受けた特講の感想や初めての開催への不安感など、開催にあたって思う事を出し合う中で、特講の本質とは何なのかその中身を調べずにはいられなくなる。自分達がやろうとしている生き方とは何なのか、必ずそこに行き着く。(零位)(無所有)(無固定)特講とは決まったプロセスの上に成り立っているものではなく、自分達の日常とそこに関わる人たちの姿勢が現れるもの。その後も何度か準備研をする中で私の姿勢が問われ続けた様に思います。

 開催日が刻一刻と近づく中、特講会場に看板を付けようと言う事になり、その制作過程にも面白いものがありました。

 明後日には現地に出発するというタイミングだった為、時間も材料も限られている中で先ずは知恵を出し合うとこからのスタートでした。制作段取りを自分が組み、文字を切り抜く過程では起用な女性陣が自然と寄って来る、『色塗りなら自分にも出来る』と5歳の悠夏子が買って出る。仕上げのフィルム張りには経験値豊富な妹尾さんが必須アイテムのハンカチを持って登場し、大人5人掛かりの大仕事でした。あの張り切った妹尾さんの勇姿には自分を生かす事への喜びが全身に現れていて、今でも鮮明に覚えています。夫々が関われる時間を生み出し、持てる能力を発揮し出来上がった看板はまさに一体の出来栄えでした。その晩の送り出し研で、この一体現象も制作担当者の洋平が制作前の願いだった事を知り、心や姿勢の伝播によって現象が生み出される世界をみんなで体感できたように思いました。

みんなで作った看板

 その他にも特講期間中、実顕地メンバーも特構生と同じテーマをやろうという案も出て、特講を受けた自分達が頭で解ったでは無く実践しているかどうか、その姿勢が遠いゴールドコーストにも伝わるのではないかと言う具合に話が進んでいきました。

 開催中予想外の事が次々と起こる中で、遠いゴールドコーストでの緊張感も間近に感じながら共に創った特講でした。 特講を終えてみて、特講開催が実顕地に齎してくれたものが随分あった様に思います。特講の本質を生かせるかどうかはそこに関わる(実顕地)メンバーにかかっているし、実顕地はその特講の本質の上でしか成り立たない。その意識レベルをあげていくいい切掛けを貰ったようにおもいます。イズムが和となって世界中に広がっていく道理がここにあるなっと今は思います。

久保田大雅 オーストラリア実顕地
 特講生同士でウェブサイトを立ち上げて、特講受けてから感じていること、幸福研鑽会の様子、日本の研鑽学校へ行く動きについてなど、何でも出し合っています。

 そのウェブサイトを立ち上げたガイ(男 27才)の文章から一部紹介します。

 ラダ(女 40才)は、自分達でこれからつくっていくコミュニティのホームページ( http://kinsoases.org )に特講に行ってみての感想を紹介しています。

 私はみんなに「特講へ行ったらいい」と言いたいけれど、ほとんどの人は行かないだろう。お金がない、時間がない、いろんな言い訳が邪魔して、自分の人生のたった一週間を使って、それをしらべたら、そういう間違ったプレッシャーから開放されることが特講の一番のプレゼントなのに。

 特講を受けてから自分はどう変わったか?自分の中から親愛の情が溢れています。みんなを抱きしめたいけど、相手を困らすわけにはいかない。「本当はどうか」という問いかけで、自分は根本から変わりつつあります。「本当はどうか」としらべていける場面は一日何万回あることか。それを意識してから、何も考えないで「これはいい、これはよくない」としていることばかりだと気がつきます。

 もう一つ変わったのは、時間のプレッシャーが無くなった。忙しくなりそうになったら、立ち止まって、優先順を考えます。

 特講29人で一体を体験した。自分の中から幸福世界への新しい深い意欲が湧いてきた。それは実現できる、すでに始まった、自分にも、誰にでもやれることがある。

 また研鑽したい。幸福研鑽会に行きます。

原文 The Original (ここをクリックしたら開きます)

I will tell anyone to go and do the Tokkoh, but I know that most will not. Time, money, excuses and more prevent them from taking a week out of their lives to investigate it. A great irony given that an experience of freedom from these false tyrannies is one of Tokkoh’s great gifts.

With that in mind I am trying my best to communicate the essence of my experience to those around me when they have the capacity to receive.

I suspect that it makes very little difference how much someone knows about something, they are going to have expectations regardless. The process of putting them aside is an inevitable step in accepting how things really are.

Immediately, how has my life changed? I am more affectionate. This is a new area of personal growth, development and interaction. It is my wish to increase the affection I feel and express until I feel love and connection to all beings in every moment.

I feel a profound and deepening personal change happening, driven by the question ”how is it really?” It is this inquiry that is moving my internal dialogue beyond good and bad.

There are a million opportunities a day to explore deeper, how it really is. It is incredible now that my attention is there how often I say and hear ”It’s good/bad/nice/whatever” with almost no thought given, it’s become a reflex.

Another big thing that has changed is that I am not buying into artificial time pressures nearly as much. I no longer feel the rush. I relax and keep my own pace based on my observations of the windows of opportunities. If I miss one because I am too busy with other things, that’s ok. It will come around again, or at least give me moment for pause to review my priorities and capacity for holding empty space to be able to take advantage of opportunities that arise.

The Tokkoh opened a space without time for me and I really preferred who I was there.

I shared a Onebody experience with those 22 other people. I felt the quality of their perspective on reality. As we inquired and investigated together, I felt and saw many of the things that they did inside of myself, and I connected to that, when we made progress, we all made progress together.

Some new and deep desires have arisen in me for a world in happiness. It would seem that there is a way, it has already begun and the results are emerging. Thankfully I can help, I am useful and welcome, indeed everyone is. That is the essence of the inclusive society.

All the people that I deeply connected with at the Tokkoh are right now in the world. They all woke up this morning (or perhaps they are still asleep). They all have the full potential of the day ahead of them. I imagine that our thoughts are now diverging but perhaps they will re-converge.

I feel a desire to Kensan again. I will go to the next Happiness Kensan Meeting. I will bring the request that I can bring my partner with me in the future.

Guy

GUY(ガイ) 男 27歳
 皆さんへ

 特講はもう一週間以上前に終わっていますが、私はまだその経験を心の中で一つに溶け込ませようとしています。私にとって 決定的に人生を変える一週間でした。特講の経験を言葉で表すのは難しいですが、ともかく、とても私的な旅でした。心を鼓舞し、心を楽しませ、挑発的であり、心を暴き、真心を感じさせ、最高に人生を若返らせる旅でした。

 感謝は必要ではないでしょうが、人類の最良の利益を願って、このコースを開発してくれた山岸巳代蔵さんに感謝の念をいまだに感じずにはいられません。示唆に富み、感激させる著作を読むと、並外れて先見の明のあった人だったのがわかります。彼の人間への大いなる気遣いや愛や深い思いやりを感ぜられますし、私たちに真の人生を送ってもらいたい、また全ての人のための幸福を得てもらいたいという願いも感じられます。それは可能でしょうか。私は可能だと思います。--山岸さんによると「幸福が真実であり、人生はそれで当りまえの事であって、不幸は間違いです。」とあります。

 研鑽については それを意思決定のテクニックだと特定して皆さんに報告できないと思います。研鑽はみんなのために幸福を得る方法で「本当はどうか。」を探る方法です。この方法でグループまたはカップルが幸福な結果として、最良の結論に至ることができます。研鑽は紛争の解決に役立つでしょうか。私の意見では最高に明らかに可能です。実際、すでに この目的のためにこれを使って成功しています。これについては私はもっと練習が必要だと感じていますが。

 ほんとうに 特講はほんの始まりです。より深く研鑽を探る14日間の研鑽学校もあります。私自身も、オーストラリアの最初の特講に参加した人も、研鑽学校に行く計画をしています。そこで研鑽の実践についてもっと深く探れるでしょうし、おそらくいつか特講の世話係になれるように、とも思っています。

 終わりに、キンオアシス ファンデーションから特講に参加した私たち二人(私自身とデイヴィス)は特講は大変価値ある経験だったと感じています。また特講と研鑽をキンオアシス ファンデーションの組織に組み込みたいとはっきり思っています。もしキンのメンバー全員が特講を、さらに研鑽を経験したら、上手くいく楽しいコミュニテイを共に創っていける最良の機会を得られたものとはっきり言えます。

 愛と 平和と 真実と幸福を

原文 The Original (ここをクリックしたら開きます)

Greetings All

The Tokkoh course finished over a week ago now and I am still integrating the experience. It was definitely a life-changing week for me. It’s difficult to put the experience of Tokkoh into words, and anyway, it’s a very personal journey. For me, it was an inspiring, beautiful, challenging, revealing, heart-felt and ultimately life-refreshing journey.

Although not necessary, I still can’t help but feel grateful to Miyozo Yamagishi for developing this course, with humanity’s best interests at heart. His insightful, inspiring writings expose the extraordinary visionary he was. I feel his great caring, love and compassion for humanity – his yearning for us to live a genuine life and attain happiness for all. Can it be done? I think it can :-) According to Yamagishi, “Happiness is genuine and it is a matter of course that human life is so, unhappiness is a mistake.”

As for Kensan, I suppose I cannot report it is specifically a technique for decision-making, but it is a way to achieve happiness for all; to find out, “how is it really?” Through this method, a group, or even a couple, can reach the best conclusion, with a happy result.

Is Kensan useful for conflict resolution? In my opinion, most definitely! In fact, I have already used it successfully for this purpose.

Although I feel I need more practice with this.

Actually, Tokkoh is just the beginning. There is also a 14 day Kensan School course which goes even deeper into Kensan. Myself and others who participated in the first Australian Tokkoh are planning to attend, so that we may go deeper into the practice of Kensan, as well as possibly being able to one day become caretakers during Tokkoh.

To conclude, the two of us (myself & David) from the KinsOases Foundation who participated in the Tokkoh course feel that it was a very worthwhile experience and we would definitely like to weave the Tokkoh and Kensan into the fabric of the KinsOases Foundation. We feel that if all Kin-Members experience Tokkoh, and thus Kensan, we have definitely given ourselves the best opportunity for co-creating a successful, happy community.

In Love, Peace, Truth & Happiness

Radha

RADHA(ラダ) 女 40歳