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研鑽学校Ⅱ~その後


私意尊重公意行

永瀬さんへ

私は今、自分の思ったことを「私意尊重」できいてもらいたくて永瀬さんに書いているんです。自分の思いを大切にしたくて。

今までは「本当のヤマギシズム」があり、研学という修練所で私という人がこれだけ捉えることができた、できなかったと思ったという世界でした。今回ははっきり違います。本当にやりたい自分がみえたのですから。

ひとつひとつ研学でテーマでやっていてよくわかっていない部分も多々あるけれど、宇宙自然界からみた人間のあり方、人間社会における人のあり方が「私」のあり方、生き方にやっと結びつきました。そのことが万物万人すべて好き好きの愛の世界にすむ私でした。

事実と思ってみても脳内現象でやっていること。本当はどうだったの?零位に立つことをしなかったら何にも始まらない。新しいこともとり入れられずに淀んで、腐ってしまうのかなとさえ思います。例えば川の流れのように。

ひとつとしてみる、その観方でやってみようとして、○○さんという自分が話しているという設定にして聴こうとする具現方式でやってみたら本当に変わってゆきました。まだまだ聴き方はふっと自分の世界に入ってしまったり、適当に解釈していたりで疑問で、このことは継続していくことと肝に銘じたいです。でも今回のやっている中で人の話が、そうか、そうかときいていて、今までの自分がやっていた否定というものがないのに気づきました。こういうことを○○さんという私が言っている。和泉さんが、知的に表現してくれている。こういう意見もあるんだと、な~るほどととても面白く、違った意見もそう考えるのねときけたのです。今まではいいこと言うなあと思っても身近な人だったらうらやましく思ったり、相手をまた同じことを言っているとか、つまらないことを言っているとか否定していました。違った意見が出て楽しい、面白いということが、実感できたような感じでした。枠がとってもとっても拡がった感じでしょうか。枠がはずれるにはもっともっと成長がいるのかなと思います。

私意尊重では、和泉さんのことばがとっても響きました。表現できない部分・見えない部分こそ尊重したい。このことが私にのり移ったような感じです。このことを自分にも相手にも大事にしてゆきたいなあととっても思っています。このことであんな人!と思っていた人が違ってみえます。心が見えます。

公意を見出す、人の公意を見出すの実践テーマがとっても私にはよかったでした。自分がはっきりあって私は何をするのか! 何をしようとしているのか! 相手の人とどうしようとしているのか! 自分があって相手との関わり、交わり、相手をどう思っているのかというテーマでした。
その中で、自分をさらけ出したらいいんだなと思えたし、そういう自分を認められたし、みんなと仲良くやってゆきたい自分がはっきりありました。

愛の世界にすむ自分はこれをやってゆくしかないと思えた「私意尊重公意行」でした。

歩み出したばかりの自分、いろいろあると思うけど永瀬さんの言っていたようにひととおり研学にゆき、私の中のヤマギシズムをもっともっと探り深めてゆきたいと思っています。事柄をいくら進めても本物にはなりえない。

実顕地づくりということが遠くにあったけど今は「仕事の前に」…零位に立つ、ひとつとしてみる。

あったか~い実顕地をみんなで作りた~い!!という心境です。だってみんなの心にあるんですもの。自分の中にあるあったかい心に気づく、心を知ることだもの。実顕地を出た人、そして我が子にも帰っておいで~待ってるよぉ~といいたい。
気づかせてもらってとっても嬉しい。涙、涙です!!

本当にありがとう! みんなみんなありがとう!!!
読んでくださってありがとう!!

(広島供給所 広川晴江)