ページを印刷 ページを印刷

いまあるままで容易にできること(2)


          

    いまあるままで容易にできること(2)

    「人は人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく・・・」 

    (知的革命私案 14.人情社会組織に改造より)

  • ここでの「人と人によって生れ」た自己は、「人と人との繋がり」と具体的にどう関わればよいのか?
  • 自己の思いを突っ張り合う権利・義務の法制でか?「その関連を知る」ことでか?
  • では「その関連(=繋がり)を知る」とは?
  • 自己の思い・考えと、何かを行う(実行)ところの自己との異い。
  • ハイ即実行とハイ即研鑽、次に実行と、どちらが本当だろうか?
  • これを実顕地生活にあてはめてみると、「私意尊重公為行」による運営と行動になり、個人の自由や一体家族のテーマにも繋がっていく。

 
先日、研学Ⅲの受け入れ研がありました。

 このテーマにある「人と人によって生れ」=「父と母とによって生れ」た「私(自己)」から発するものが琴線に触れるのなだなと思い、その琴線に触れる思いで人と人が繋がっていく社会になったら、「私意尊重公意行」も、なんだか温かいものになっていくような・・・
そんな気がしました。

そして・・・
 「うわ~っ、おいしそう!」→(食べたい。食べる。)→「おいしいなー。幸せ!」といういつもの私の思い・行動は本当だろうか?と、問いかけられているようだゾ。

 日頃の提案についても、自分の思いがそのまま通るのが理想で、それが自由ということのように思っていて、いろんな人の思いが入って、自分の思いとは正反対のことを公意としてやっていく時に不自由と感じていないかな?そもそも自分の思いがそのまま通るという発想自体が本質から外れていると言われそうかな? などなど・・・いろいろ問いかけられているような気もします。

 「公意」は変わらないもの、絶対のもののように捉えていた時、それは研鑽とは程遠い宗教のようなものに自分の中でしていたのだなと思います。

 個人の自由や一体家族のテーマにも繋がっていくこのテーマ、最初は難しそう・・と感じたけれど、楽しみになってきました。

 まずは、「食べたい」=「食べる」ではないあたりをやっていこうかな・・・。あ!そうするとすぐにまた「食べたい」=「食べてはいけない」=「不自由」にしようとしている私・・・ん?・・・。

 自動解任期に考えたいところだなと思いました。

【春日山実顕地 柳 順・イラスト:諏訪花】