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坂井正吾さんのブログ紹介


参画をされていた坂井正吾さんが、ブログで実顕地についてを書かれましたので紹介します。

現在は沖縄で「沖縄パーマカルチャー・ネットワーク」を立ち上げご活躍されているそうです。

坂井正吾さんのブログ → ドリトル先生のどこでもパーマカルチャー

【むらnet編集部】

今、三重県が面白い、凄い!・・・4 ヤマギシの村

今では「ヤマギシの村」のことを知る人が大分少なくなってきた。

「ヤマギシズム文化祭」~自然と人為の調和~と題して展示された。
これを見た時の衝撃は大きく、天地がひっくり返りそうだった。なかでも子供達(中高生)の純粋な目の輝きに圧倒された。

 この国では、集団を組んで活動していると、オカシナ怪しい集団と思われがちで、ヤマギシも例にもれず、昔からそんな偏見と誤解を受けて来た。
 宗教団体と疑われたり(実際はその逆で科学:哲学集団である)、また原始共産主義と言われたりもした。私有がなく自由・平等・友愛と言う点ではそうだが、的外れである。
 それに反し企業はあまり誤解されない、むしろ大きくなればなるほど信頼が生まれブランド化するほどである。この差はなんだろう?

 それはさておき、この村は山岸巳代蔵(1901~1961)が1953年京都で始め、伊賀に根をおろした組織である。
 
 最初は養鶏の普及活動団体であったが、山岸の考え方は「ヤマギシズム」と称して、深遠で人間愛・社会愛に溢れ、その養鶏場そのものが
 「理想社会の縮図」
 として表現され、共鳴者が増え段々と「全ての人が幸福な社会」を目指す組織として拡大して行った。
 今注目されているGNH(国民総幸福量)が60年前から模索されて来たのだ。

 ヤマギシの村は山岸巳代蔵の考え方・思想を実際に顕すという意味で「ヤマギシズム社会実顕地」と称している。
 以前紹介した富士山の新しいエコビレッジ「木の花ファミリー」の大先輩格で、経済的には≪財布一つ≫で営まれている。
・・・・と言うより「衣食住」全てがタダで享受でき、保育も介護も医療も全てタダなので、お金は必要ないのだ。 全ての人が他人ではなく家族なのだ。

 食料を自給していると強い!

 この国が右肩上がりで経済が発展し、そしてバブルの頃まで、物のみの豊かさを追い求めて狂騒していた情勢の中では、ヤマギシの村の在り方は奇異に見え、いぶかられ誤解を受けたが、経済が行き詰まりエネルギー問題、食料問題で不安を抱える現状、特に3.11以降人同士の繋がりの必要性に気付いた現在、今一度ヤマギシの村を検証し直す契機が出て来たのではないのだろうか。

 ヤマギシの村のウィークポイントは2点ほどある。一つは、閉鎖的に見えるところだ。モクモクファームのようにもっと地域に開放し多くの方に来てもらい交流を図るようになったり、地域の農家とも経済的にも交流関係を築いたりできるようになれば、もっともっと広がりを見せるだろう。
 もう一つはデザイン。建物やランドスケープがありきたりの平凡なもので、パーマカルチャーのように環境デザインを考慮し、一つ一つのアイテムを丁寧にデザインすれば多くの人を魅了しファンも増大するであろう。例えば、

 さて、永続可能な地球環境やエコロジーからの観点で今、世界は大きくシフトしようとしている。否シフトしなければ立ち行かなくなるのは明らかなことで、世界は経済のグローバル化からローカリゼーションにシフトし始めていて、食料やエネルギーを自給する小さな経済のエコビレッジが次々と立ち上がっている。

 ヤマギシの村は1990年代の終りごろが最盛期で、酪農・農産物を生産し家畜の糞を堆肥化し農場に入れる循環農法を既に始めていた。加工食品も盛んで早くから6次産業化していて、年商500億ともいわれ、人口は全体で2,500人くらいいたようである。 規模的に見れば、前回のモクモクファームを遥かに凌ぐ凄い村である。

コミュにティの規模は100人~150人が適正規模と言われ、これ以上になると組織が縦割りになり上手く行かなくなるようである。
 たとえどんなに素晴らしい集団でも「2-6-2の法則」は当てはまり、反発で離れて行った人もいるが、大半の人はヤマギシズムの考え方で、違った運営の仕方を試みるべく巣立った人達が多い。
しかし、今でも国内に14か所、海外にも5か所ほどヤマギシの村はある。

 三重県にある「春日山実顕地」と「豊里実顕地」は参観がいつでも可能で、お泊り参観もOKである。春日山の方は牧歌的な村の雰囲気で、豊里は加工場や畜舎が多く村と言うより小さな町のようである。
 
 参観してすぐ気付くことだが、村の人達はフレンドリーで心優しさに触れ癒される。生活が一生涯保障されているので不安や心配もなく決めつけもない心穏やかな村である。

パーマカルチャーを目指す人にはとても魅力的な村に映ることだろう。

 自分の「目と耳と心」で確かめるのが一番いいのではないだろうか。