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私意尊重とは…
公意行とは…


 春日山でやっているテーマを、5月から「むらネット」で紹介してきましたが、8月は次のようなテーマで研鑽していきたいと思います。

私意尊重とは・・・・・

○結局自分がよくなるためからすべて出発している

公意行とは・・・・・

○自由の定義 「個人の意思、考えを曲げないで、行動できる状態」
○もっとも窮屈・不自由だと思っていた中に、真の自由があった

 
「私意尊重公意行」・・・研鑽学校でも何回も学んできた感じがします。
 
 先日の研鑽会で、
「やりたいと言った自分と、やらないとなった自分が、同じ延長線上でそうなっていくというのではなく、全く異うものなのではないか」
というのが出ました。

 一人の人なのに、二重人格とも思えるような異いに焦点があたりました。
 自分の中にも二通りあるような感じがします。何だか新しい感覚のような・・・。
 右脳で考える私と、左脳で考える私というか・・・。
 
「最初の私意と、公意とは関係ないのではないかな・・?」
「自分自分と言っている自分とは何なのだろう・・?」

 父と母とから生れてきた自分と、地球上の一個の細胞である自分。一個の歯車というか、そのような中で生かされている自分。ヤマギシズムの自然全人一体の見方で、考え行っていこうとするなら、どれが本当の自分なのだろう?

 はっきりとは、まだわからないけれど、今までの私の中にあった「私意尊重」とは異った、新しい「私意尊重」が見えてくるような気がして楽しみです。

【春日山実顕地 柳 順 イラスト:坂本俊一】