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由喜ちゃんに聞いてみました。


春日山実顕地の楽園村が始まりました。何日か前から食生活に各地から頼もしい助っ人が来てくれています。六川から交流に来ている上門由喜子さんとちょっとおしゃべりをしました。
由喜子さんは8月1日から6日までの交流でした。

上門由喜子さん(六川実顕地)


8月1日に由喜ちゃんの顔みてね、いやーこの時期に来てくれるんだーとすごーくうれしかったわー。楽園村が始まってしまえばそれはそれで、スタッフも来て動いて行くじゃない。
チョッと前の今、食生活は忙しいと思うよー(いつものことですが)研学も始まってるし、、、特講の準備もあるし、モンゴルの研修生受け入れもあるし、、、。
会場の美化も大詰めだしね。

由喜ちゃんは「こんな中途半端な時期でごめん、前に春日山食生活部の静ちゃんが春日山日曜市のおにぎりを握ってそのままその日に六川の金山寺味噌作りにかけつけくれたのを聞いて、行かない訳に行かないじゃなーいという気持ちになってサ、でも交流って結局いつでもいいよねー」と言ってました。

「交流って色々聞くよりやっぱり触れることが大事やね。社会が成熟していくというか熟成していく様子がその場にいくと、感じられるよね。
あれもあって、これもあってお互いその後どう?っていう言葉では言えないものがあるじゃない。それがそこにいくと色々あって今があるんだなーと一瞬にしてその断面に触れられる、大きいな―って思ったよ。
それに2日の夜に研鑽会に出たじゃない。(春日山の定例の資料研)あれがよかった。
話したい人が一同に会していたという感じ。ただ会うというのではなく、その人の中身に触れたというか、そこに現れてる熟成度に触れたというか、、、。
やっぱり金山寺味噌じゃないけど茄子と胡瓜と麹と最初はバラバラなんだけどやっぱり馴染むまでには時間がかかるっていうか、、、ね。
今や現していく好機やなと思ったの。30年前だったら自分に中身がないから現していくったってなんか白々しかった、これからやなーって。
あの研鑽会で「僕は正直が出せない」って精一杯言ってる人に「僕も一緒や」っていう人がいる、、、。
「なんでや?なんでや?」って言ってもそう人って言えるもんじゃない、ここって言う時におんなじ所に立って和らげる一打が言える、そんなお互いになり合う、成り合っていくそんなところに(社会が)なってきたんやなーと思ったよ。
「もう、安心やなー」ってサ。ひとりでもそんなひとが現れたら我々もそこにいけるかもな、、、って。」

元田容子さん(一志実顕地)

高木利佳さん(豊里実顕地)

「あんたもそうと違う?」と。
私は私で「養鶏法から帰ってから沈んじゃったのよー」なんて話もできてお互いの近況も聞きあっていい時間を過ごしました。
「由喜ちゃんに聞く」というよりは私が聴いてもらったかな?