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金メダルを頂いたように幸せ


 
 8月12日春日山実顕地西会場で研鑽学校Ⅰと特別講習研鑽会の交流研鑽会が開かれました。

 今回の研学は5か国の人の参加があり、世界に開かれた研学・特講の交流会となった感じでした。
 開口一番の韓国のジェホさんの、
「真の人生の姿が見えて、それで生きて行こうと思った」
の言葉から始まって聞かせてもらうエピソードの数々はなかなか表せられなくて残念ですが、どのひとも「言葉の壁」より文化の違いや考え方の違いに触れられたのが大きかったと。それにも増して(言葉が)わからないからこそ聞いて行こうとしたし、その分その人に近づけることを実感したようでした。

第1615回ヤマギシズム研鑽学校交流研

 オーストラリアの方が、
「ほかの人が私の心を照らしてくれる、、聞きながら私の心が開いていく。又自分をダメな人、他の人が良くって自分はまだよくないと思っているそういう自分の考え方に気づいた、そこから自分の考え方がかわっていくのが愉しかった、ゲームを手に入れたような気がした」
とも。

一斉作業では楽園村のテント張りを

 ケニアのサファーリさんも、
「心が開いて柔らかくなって一体のテーマでは人が(今までと)違って見えた」と。
 他にも自分が大事にしている子供達からの退職祝いの時計を見紛うことで、「自分が普段これが正しい、絶対やと思ってることが何ほどの事か」と気づいたというお父さん。
 うすうす気づいていた自分の中の「蓋をしていた親愛の情」に出会えて恥ずかしくって泣けてきちゃって、、といいスタートが出来たなと語る近藤さん。

 何人もの人が「私意尊重公意行」(この言葉は諸国の方も日本語で)が今までと違って感じられたと出していてそこを丁寧にやったんだなーと伝わってきました。

 
 後半で大阪の古い会員の田中さんが、
「交流研に参加できて、まるでオリンピックのようで、ロンドンに行かなくっても春日山で金メダルを頂いたように幸せです」
と発言されていました。

第1905回特別講習研鑽会交流研

 第2部は研学生がそのまま残り、特講生を迎えた会場はさらに人が増え、今回は特講生が全体に若いので両親で交流研に参加しているようです。
 参加者の20代以下の人は全員幼年部出身者です。幼年部時代のトラウマを出し切る中でどの子も一週間が終わった今、村で育ってよかった、とか、親の考え方のルーツに触れたとの心境に至ったようですが、そこへ行くまでには色々ドラマがあったようです。とくに関東からきた3人娘組の起こす波紋は係りも『私たちが問われる場面』でしたと。

 村人に触れることで溶けていくものも大きいようです。今回は3グループ・6人に分けた学生を10人の村人で受け入れてじっくり語り合う中でなかなか厳しい本質的ななげかけもあったようです。
 

若い世代から最高齢86才の元気なおばあちゃんまで参加の特講でした

 

 19人目の特講生と呼ばれていたオーストラリアのひかりさん(係り)が進行の人の後ろ姿をみていたら、村の人の姿やいろんなつながりがみえて、自分のなかが溢れてきて、一体の海を見させてもらったようだったと表現していました。

 学生を囲む外円にマイクが次々とまわり熱い思いが語られ、最後に第1回特講に参加された89才の奥村通哉さんがモンゴルへ行ってきた報告と「みんななんのために生きてるんや?」の熱いエールでしめくくられました。

【春日山実顕地 平島春美】