ページを印刷 ページを印刷

たかが急須・されど急須


磨いてきれいになった急須、残念ながら小さいのです。



 幼年部の朝の出発研は優子さんが丁寧に緑茶を淹れてくれます。勿論美里のお煎茶です。緑茶を飲むのは伝統なんだそうです。

「最初はね、いいかげんに淹れてたの、でもだんだん美味しく淹れたいと思うようになってね。」

 丁寧に淹れてるわりには美味しくはいらないなーと新参者の私には思えます。
急須の中で葉っぱが泳がない構造になってる。

「ねェ~急須変えたらいいんじゃなーい。折角のお茶がもったいない」

 そこで、前々から利用している美里実顕地で取り扱っている万古の急須の大きい方(3人で飲むので)を提案しました。

 そうしたら、

「ある物でどうですか」と返ってきました。
「良いもの良いものっていくのはどうか?」という話もあったとか、、、。
「自分達で用意したら、、」の話も。ちょっとガッカリ↓

 そりゃー急須や土瓶が色々あるのは私も知ってる。特に一昔前よく使ってたコロンとした急須はたくさんあるよなー。あれが来るのかなー?「うちのお茶を美味しく飲むのになんでー!」最初はそう思ったけど、そうは言ってもお茶の葉が泳ぐという点ではあれでも良い訳か?と気を取り直してお茶にうるさい浦崎さんにも聞いてみました。

「まぁ~葉が詰まってお茶が均等に出て来ない(味が均一にならない)難点はあるなー 急須も進化してるからなー。」
ですって。

 そうか、この「あるものでどうですか」という「公意」をどう受け止めるか?『おいしいお茶を飲みたい』という点に拘っている限りは「はい、そうですか」とはなかなかいかない。
 そもそも私の中が「公意」を見出そうとしていたかどうか?あるものをできるだけ使っていきたいという考えと美味しいお茶が飲みたいという私が、どう「公」を見い出していくか?。

 「私」が相互に尊重されるということは?それと「自分達で用意したら、、」というのにもひっかかってる私。「お小遣い出し合って買うってこと?職場の急須だよー」みたいな。ホントはこれもわからない。そこまで拘るようなことは、職場ではしないとういうことなのか?そういうこともあるか、、、。「公意」をどこに焦点をあてて、見出そうとしているか?「お小遣いってなに?」って話にも発展しそう、、、。

 後日来たほこりまみれの急須を、優子さんが気を取り直して磨いてくれました。
 
 なかなかいい急須なのですが、3人分入れるにはちょっと小さい。探してくれたんですねーあるものの中から。前の急須よりははるかに美味しくはいりましたが、、、。

 さてどうするかな? 

[追伸]
 この文章を夜に書いて一晩たった朝、突然思い出したんです。
 春日山の食生活に一志から配置移動になった頃のことです、朝の出発研で煎茶を入れて飲んでいるのにびっくりしました。
 優子さんほどの丁寧な感じではなかったと思うけど、ちゃんと湯呑に一度お湯をとって冷ましてから入れていました。朝の忙しいこの打ち合わせの時に煎茶?と思ったものでした。「愛和館用に入れるほうじ茶を一緒に沸したら、、、」なんて言ったような気がします、却下されましたけど。
血気盛んな?仕事ぶりの頃です。
 時が変わり立場も変わり、、、。

 その事を思い出したらおかしくって「ねぇねぇ~優子さん実は、、」と翌朝二人で大笑いでした。

【春日山実顕地 平島春美】