ページを印刷 ページを印刷

豊里研鑽会から


 豊里実顕地の1年を振り返り、自動解任の研鑽とともに次を描こうということで、豊里研鑽会をやってみました。

 参加されたみなさん、やってみてどうでしたか?

 今年、いろいろな行事や企画、動きをみんなでつくってきました。

 この3日間の研鑽会では、様々な動きの詳細や背景を出し合い、これまでやってきたことの意味や価値を、より深く理解し合えたように思います。

 いくつかのテーマに焦点を絞って豊里実顕地の1年を振り返り、そして終盤にはひとりひとりにとってのこの1年とこれから、のテーマに入っていきましたが、時間切れというかんじでした。

 これから、というテーマは新年にピッタリですよね。

・・・という訳で、今回の豊里研鑽会の続編として、正月に「新春豊里研鑽会」を開催が決定です。

 次回は新任のお互いで、2013年を描き合いましょう。

【豊里実顕地 村岡悦史】

私の心が豊かになりました

梶山リッタ

 連絡研を通していろんな村の動きの情報が入ってきますが、「この人の職場配置が変わりました」だけでは解らないんだなと今回の豊里の研鑽会に出てみて実感しました。その人を送り出した人の話、受け入れた人の話、そして本人の話を聴いて「そんなことがあったのか、知らなかったな」と嬉しくなる話の連続でした。

 本当にいろんな人が集まってきて、みんなでこの一年を振り返ながら、一人一人が湧いてきたところで、いろんな話をしてくれて、それを聴いて、私の心が豊かになりました。人の心の動きに触れると自分の心も動くんだなと感じました。

その中から来年のいろんな動きを共に見出していける気がしました。また寄りたいな。


もっと楽しく、大きく、思い切り来年を描こう

呉 星順

 久しぶりにこういうたくさんの人が集まる研鑽会に参加しました。最初は研鑽部だからしかたないという投げやりみたいな気分もあったけど、実際集まって、そこにいる面々を見ていると、あ、この場に居てよかったなぁという気持ちになってきました。

 私って、自分のことを振り返ってみるとか、やってみてどうだったかなどを出すならいろいろポンポン出てくるけど、もっと大きな視野でものごとを見、その意味を考え、先を描くということになるとちょっと弱いかなと思いました。

 この豊里研鑽会では、今年豊里ではこういうことがあったねとか、新配置で職場がどう変わったとか、生産物をもっとたくさんの人に届けるには?とか、モンゴルの人を受け入れてみてとか、いろいろな話が出たけど、私には3日目の研鑽会が一番印象に残っています。

 もっと楽しく、大きく、思い切り来年を描こうという話題で盛り上がりました。表にはジャラコに進出、内面では校舎を文化会館に変えて、文化的に知的に深まって行くという話し合いを通して、自分たちが普段願っていることがあらわれているような気がしました。

 私個人ではいつまでもジャラコ、ジャラコというのがちょっと気に入らなくて、その名前をまずそれらしいものにして、取り掛かることじゃないかと思うのですが、例えば“みんなの広場”とか“世界の窓”とか何か自分たちの願いが込められた名称がいいなぁと。

来年の正月には新春研鑽会をやる予定です。みなさん、たくさん集まって下さい。


野菜出荷場と苗の店を移転して、一歩前へ

跡地に野菜出荷場と苗の店を移転するというのはどうだろう

跡地に野菜出荷場と苗の店を移転するというのはどうだろう

大森雅樹

 蔬菜部の経営研で、ジャラコ跡地の使い方のアイデアを出しあってみた。そのなかで、野菜出荷場と苗の店を、ジャラコに移転するというのはどうだろうかというのが、出てきたので豊里研鑽会でも出してみました。

 野菜出荷場をジャラコに持っていくことで、配送センターも近いので、供給出荷のセンターへの運搬がなくなり効率化できる。野菜の販売も一緒にできる。店番は、出荷場の社員の人にやって貰えば、店番をおく必要もないし、いつでも新鮮野菜を販売できる。販売所を一緒にやることもできる。空いた野菜出荷場は、屋根もあるしワラや発酵飼料をたくさん置ける。2階は、若い社員の社員寮にしたらどうだろうか。蔬菜部にも若い社員はいるから、安い寮費で、そのかわり建物(ジャラコ)の警備はしてね、ということにして。

 苗の店は、ジャラコ内では、太陽の光がないのでジャラコ横にハウスを移転したらいいのでは。今の場所は駐車場が狭く危ないから、あそこなら駐車スペースも広くていい。新しいお客さんが増えるかもしれない。

 どういう使い方にしても、あそこを使い始めることで、一歩前に出る感じにはなるのでは。


実顕地づくり、まず基本研にいきます

四條益枝

 親の事の後始末も大体終わって、気持ち的にも落ち着いてきたので、これからを考えたいなーと思い今回の研鑽会に参加しました。

「畜産のこと」や「ジャラコをどう使っていくか」とか「学園跡地や校舎をどう使っていくか」など、色々な話が出てみんなのやっていること、考えていることを聞けたのが面白かった。

 実顕地の中は今・・・すぐに こうと決めないで あーしたらどうか、こーしたらどうか、とみんなの考え、知恵を出し合って・・・動いているんだなー

 来期は、実顕地づくりを一緒にやらせて貰いたいと思いました。まず基本研にいきます。


「持ち帰りは愛和館の皆の中で」

上山恵理

 研鑽会に出て、大きく変化・進化があった年だったんだなと、あらためて感じています。

 食生活部では穴田節子さんを岡部実顕地に、高瀬洋子さん・呉星順さんを衣生活部に送り出し、高山由紀さんが衣生活部から、加藤志津さんがタイ実顕地から配置になりました。

 職場内でも部門メンバーが替わり、新鮮な目で見直し、さまざまな部分での改良が進みました。魚菜ではスライサーと魚菜準備が別の部屋だったのが、スライサーを移動して魚菜しているすぐ横でスライスするようにして、全体の動きが見合えるようになりました。

 若いメンバーの、利佳さんが厨房、いく子さん・さくらさんが魚菜、会場は瑞季さんが進めるようになり、部門を越えて入りあっています。

 長年の懸案事項だった「会食の間にキッチンを…」も『会食の間 和』が実現し、いろんな人に使ってもらっています。

 私にとって一番の進化は「持ち帰りは愛和館の皆の中で」です。

 地下の持ち帰りコーナーの人たちが愛和館に来る?…どんな感じになるのだろう??

 専門部で研鑽を進めてきて「もっと今の場所でやれることがあるのでは?」と私が出したとき「そこで恵理さんは何をやるの?」と問いかけられ「お世話…用意…」と出したものの、「何のお世話や?何の用意や?何がやりたいんや?」と次の言葉が出てきませんでした。

 単に食べ物を用意することをやりたいわけじゃない。食事の世話?豊かさ?満足?いやいや違う。私がやりたいのは、つながりや背景を伝えていくこと、ひとつ…、幸福人に成り合うこと。

 リッタさんが「皆の顔が見たいんだよね」と言っていて、「そうなの、私もそれやりたいんだよね~、じゃあまずやってみようか」と。

 「やってみようよ」で心を寄せて、軽く丁寧に。やってみてどうかで足して引いて。来期は何が起こるかな?


太陽の家で

渡辺敏子

 豊里研鑽会は、2012年を振り返るなんて、固くて嫌だと思って出なかったけど、基本研でみんなの話を聞いていたら、なんでもいいんだなぁと思いました。

 太陽の家では庭を片付けたいというのがずーっとあって、建設に出してみたら、洋平君や正州君が来て、あっという間に綺麗にしてくれました。

 子どもらに人気の一本橋は芯が腐ってきていたので、どけてもらいました。紫陽花もきれいにしてくれ、乳児さんが庭に出る時の柵も新しくなり、山の方にもブランコができました。一本橋は木の下にあって、木陰で腰かけたり、伝い歩きしたり、バランス感覚を養うにもよくて、おしいのですが、代わりに大きなヒューム管が来ました。昔の太陽の家では土管があって、子どもらがよく遊びました。今の子どもらも中に入ったりしてよく遊んでいます。おばあちゃんの所から帰って来た藤井紗ちゃんが、庭に出て一本橋が無くなっているのに気付いて「どうしたの」って聞いてきて、よく見てるなぁと思いました。

建設ではこれからの構想も考えてくれているようです。