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誰かがやってくれたらいいのになぁ?


 アメリカのジャーナリストが2007年に出した「ひきこもりの国」という本を読んでいます。
何かの研鑽資料に使われていたので、興味をもって読み始めました。

 バブル崩壊以降、経済・精神的に低迷を続ける日本のことを第三者の目で冷静に、時に冷徹に分析してあり、何か自分の胸の奥に刺さってきました。
 後半部分で韓国についても2章を割いてあり、良く似た民族性や歴史的背景を持っていながらなぜ韓国はIMF通貨危機を乗り越え、グローバル化に正面から挑んでゆけたのかが書いてありました。
 僕が配置で韓国実顕地にいたころ、「韓国は他からの侵略と抵抗の歴史だ」と、ユンさんから聞かせてもらいました。またキリスト教信者がとても多い国でもあります。
それらのことが、現在の日本と韓国の違いに大きく影響しているのかもしれません。

 顔立ちや生活習慣など、よく似ている面が多い韓国と日本ですが、気質や性格なんかではずいぶんと違いも感じます。
自分の意見をハッキリと言うところや、色んな人が集まって何かをやることに躊躇がない、外国語を使うことに積極的などです。

 そういった素養が、国際化の波に立ち向かっていく時、大きく役に立っているのかなと思いました。日韓の若者同士の企画でも、相手に積極的なアプローチをかけてくるのはだいたい韓国の若者です。
 そして日本語をほとんど知らなくても、カタコトでどんどん使ってきます。そして使う人はどんどん覚えていく。

 うらやましいなとよく思いました。見習おうとも思いましたし。

 自分も含めた日本人は、何かを言ったりする時に、他人の目をすごく気にしますよね。
そして自分の本心をあまりはっきりとは出さない。

 何か世話役などを決める時でも「誰かがやってくれないかな」という空気が流れる。
日本の将来、必然的に高齢者が増えて働き手が減ってくるけれど、どこかで誰かが何か考えてくれているだろう、多分なんとかなるだろう、とか漠然と考えてる。(もちろん真剣に考えてくれている人もいると思います)
慣れない外国語を使う時、恥ずかしくない程度には勉強してからでないと使えないと思い、なかなか使えない。使わないから上達しない…。

 本全体を読んでみて、日本の実顕地が「ひきこもりの国」の一部である以上、同じものを抱えているんだろうなと感じました。

石角聡さん

石角聡さん

 振り返って自分は。
 最近よく「自分がやりたいこと(自分の為でも、他の誰かの為でも)なら自分の口ではっきり言う」という事を思います。
はっきり出せば、わりとはっきりした反応も返ってくる。そこには反対意見や批判などもあるかもしれないが、当然自分個人が受け止める。
 そうすることで、やるにしろやらないにしろ「自分がそうした」という自覚が出てくる。
 でも「やりたい」「やりたくない」をはっきり口に出すって、結構勇気がいるんですよね。波風を立てず自分の望む方向に全体が流れていけばいいな…というのはみんな結構思っているのでは。

僕もそう思うことがよくあります。それって主体性がないですよね。望む方向になったとしても。

 だから今回の調正メンバーを選ぶ時に「僕は今回やりません」と出しました。その理由も。
言ったあとで色々考えたりします。ほんとにそれでよかったのかな…とか。
 でも出した後で考える方が健康的な思考になっていくと自分の場合は思うので、これからもそうしていきたいと思ってます。

 内部川から鳴子に配置替えの時も、また鳴子から戻ってきた時も、色んな人に意見を聞いたり、考えてもらったりはしましたが「最後は自分が決めてそうした」というものを大事にしていきたい。

【内部川実顕地 石角聡】