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正月に


正月に帰省していた息子と話しました、話したいことがあるといわれてです。
学園生活時代のつらい思い出についてでした。
とてもショックでした。
私が参画したきっかけは、子供たちにどう育ってほしいかを考える事でした。
そして研鑽学校へ行って自分もこの世界で育っていこうと決めました。
自分が実顕地にいる事、子供たちが学園で育つことが全人幸福社会をつくる一歩になると確信していました。
まあ信じてしまったことが誤りでした、ということなんでしょう。
息子から聞いた学園の一面もショックでしたが、そのことを親は全然気づかずにいたというのはもっとショックでした。
「家庭研鑽でちょっとは話した」と言ってますから敏感な親なら気が付いたと思います。
鈍感なうえに信じ込んでいるから気がつくわけがなかったのだと思います。
私にとってダメージは大きかったのですが、このままつぶれているのもイヤです。
子供達はそんな事がありながら、たくましく育っています。
済んだことは済んだこと。私も前を向いて今できる事をやろうと思います。

私は参画して27年になります。ここらで自分のやってきたことを検証したいです。
やってみてどうだったかを共に歩んできた人たちと考えたいです。
「実顕地はこうなっているんだ」では無くて「どうして行こうか?」が必要です。
一緒に考えたいことはたくさんあります。  いくつか挙げれば、
一つ財布って言うけど、それは無所有とは関係ないんじゃないか?
同じ食事で同じ風呂、それが一体生活?
愛和館で用意されたものが一番おいしい?
確かに心境面ではいつもそうありたいけど、なんか無理してない?
参画を取り消した人たちにとって、実顕地は幸福社会では無かった、のではないか?
その人たちに問題あり、として済ませていないか?
実顕地は私達参画者にとって理想社会ですか?
趣味とか好みとか、のびのびとやれるシステムですか?
提案と調正、社会を成り立たせるには必要なことだけど、今の規模、形態でいいの?

27年間、自分の心の問題は色々考えてきたけど、実顕地のシステムについてはあまり考える機会がなかったように思います。
今のシステムは、実顕地が発足した頃に当時のメンバーで研鑽して「とりあえずこんなところで始めてみようよ」みたいなノリでスタートしたように思います。
私が参画してからもシステム的にずいぶん進化していると思いますが、まだ不十分なところがあるのなら直したい。
誰かえらい人がいて、やってくれれば楽なんですがそんなことはあり得ないし、そもそも自分たちでやらなければ満足できないでしょう。

こころについては急進Z革命です。
でも社会のシステムについては皆で考え、決め、実践し、検証し、考えて次を決め、で進むしかないように思います。ある程度時間が必要だと思います。
これからは機会あるごとに、このことを発信していこうと思います。
発信の第一歩として、むらねっとに書いてみました。
書いてみて頭の中は大分整理できましたが、私の気持ちは伝わったでしょうか。
ネット上でも直接でもよいので声をかけて下さい。
いろんな意見や好みを持つ人が集まるのが社会です。
それぞれが幸福に、幸福感にも包まれて!

【豊里実顕地 中川洵】