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第13回実顕地老蘇高度研鑽会


第13回実顕地老蘇高度研鑽会

第13回実顕地老蘇高度研鑽会

5月22日から26日の4泊5日、春日山交流館で、第13回実顕地老蘇高度研鑽会が開催されました。
8つの実顕地から17人が参加され、そのうち3人が初めてとあって、なにかしら新鮮味もあるスタートでした。

今回は、スタート時点から活況を呈している豊里ファームの基盤となっている、実顕地ひとつの心について、探りあいたいということがありました。それと、『ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点』の著者 村岡到さんの、村人ひとりひとりへの提言を、受けて応えていけるようになり合いたいという呼びかけで開かれました。

最高齢89才から73才までの17人は、はじめから今回の参加を喜び、楽しみ、仲良く、研鑽や生活を満喫していました。受け入れてくれた春日山実顕地の心づかいも、それはそれは行き届いていて、お風呂・食事はもちろんのこと、さくらんぼ・いちご摘みもでき、春日山交流会や日曜市にも招待してくれました。

そういう恵まれたなかでの研鑽会では、はじめのうち各人の出された検べてみたいことをテーマとし、終盤は、いまの動きのなかで、老蘇世代の自分達のありようを考えあいました。そのなかで、初参加の人から出されたことも心に残るものです。

――草創期からやってきた老蘇さんたちは、いろいろな苦労をして今日を築いてきてくれたと、畏敬のような気持を抱いてきたが、どの人も歩んできた道のりを苦労ではなく、みんなと一つになって楽しんでやってきたということに心打たれ、「ごくろうさまでした」というのは違っていた。この人達は宝物のようで、できるだけ多くの人がふれてほしい。――

最近の実顕地の動きは、若い世代の人達が積極的に進めてくれている。そのなかにあって老境にある自分達は、一歩引いてついていくとか、やっていることを見守っているだけではない。「共に」というところにも老蘇のありようがありそうだと気づき合って出発していきました。

【春日山実顕地 逢澤利晃】

第十三回実顕地老蘇高度研鑽会に参加して

一志実顕地 奥谷紀美子 73歳

 初めて参加させていたヾいて、私には不思議な研鑽会だったなぁと思い起こしています。その一つに参加者の中に『イズム生活の長さと深さ』に裏打ちされた『ほんもの』と思える言動を視させていたヾけた事が、終始あったと思えたからです。

 その日、「遠慮気兼ねの無い暮しをしていますか」という、テーマが出されました。している人の声を聞かせていたヾいていると、出されている内容には、ほとんど自分にはテーマは有りませんでした。

なぜなら運転免許証が有り、夫は健康だったからです。だが自分は、他の事では、まぁ一応言ってみようか、だめでもともとだし、と条件付で自分を操作して来たのでは、と気づきました。つまり底は遠慮気兼ねの固まりに、気づきました。しかし、その固まりに一回一回どんな考え方をして来たからそういう自分なのか、解明してゆくの大変だなぁ、と思っていた時、「遠慮気兼ねのある世界、無い世界、どちらがホント、ホントの世界に住んだら良いだけと思うけどなぁ」と声がした。

 私はその時、その人を通して、その声が宇宙意思のように聴こえた。

ハッとして「ある」世界から「ない」世界へ。そうだ、ごちゃごちゃ考えずに飛んだら良いだけなのだと気づき、目の前を流れる小川を飛び越えていた。頭の中から遠慮気兼ねが消えていた。無感覚の世界。

 又、五日間同志の方々のお話を色々聞かせていたヾきまして、私の心の薄っぺらで無機質なイズム運動史に少し血が通い脈が打ち始めたのは驚きであり喜びになりました。この研鑽会だからこそと先達者からの贈り物に感謝感謝です。

最後に色々有りましたが、ふとこんな歌が浮んできました。

春日山実顕地の皆様・世話係様・その他の人達に、こんな研鑽会だったかなぁ~と、御報告。

『メダカの学校はうれしそう そうっとのぞいて みてごらん だれが生徒か 先生か みんなでげんきに あそんでる』